2010年7月24日(土)
肥中街道の続きを歩き始める前に何だカンダあった挙げ句に、ようやく「常森の分かれ」に辿り着き、ここから本日の旅が始まった。
県道240号は車もごく偶にしか通らないのでノンビリと歩くことができる。小さな峠を越えると大嶺町奥分麦川地区に入り、県道38号に突き当たるのでこれを右折する。この交差点の手前すぐ左側に、麦川川に架かる旧大嶺支線の錆び付いた鉄橋が見えたので、近くまで行ってみた(写真上)。
平成9年に廃止になった僅か2.8kmの旧大嶺支線だが、旧大嶺駅舎と思われる建物は地元の企業が再利用しているようで、入り口近くには、地元の小学生が描いたと思われる当時の大嶺駅やSL風景が壁画として展示してあった。
そもそも美祢線は、明治時代後期の日露戦争勃発に呼応して海軍省徳山燃料廠での石炭需要が急増し、産炭地のここ麦川と山陽本線の厚狭とを結ぶ為に作られたそうな。つまり、大嶺駅と厚狭駅との間を結ぶ大嶺線がそのルーツなんであって、大正時代後期になって於福から正明市駅(現長門市駅)が開通したことで全体を美祢線と改称したのだナ。
大嶺線開通当時の麦川の賑わいはいかばかりであったかと想像するが、その名残とも思える建物が小さな通りに幾つか残っている。平原(ひらばる)地区への分かれ道角にある大きな二階建ての入り口には、風格のあるガラス戸に「□□時計店」と書いてある(写真中)。
ここから、写真奥に見える坂が県道240号でこれを登って行き、平原地区に向かう。
登り坂の途中で「山頭火の道」なる道標が見えたので、そちらへ行ってみた。平原集落中程の大嶺酒造前に、山頭火が宿泊したと言われる辺りに句碑があり(写真下)、『よい宿で、どちらも山で、前は酒屋で』と刻んであり、酒に目がない山頭火の面目躍如たるストレートな句である。
肥中街道はここの三叉路を右折し、更に坂を登って平原堤の横で左から来た県道と合流する。小さな峠を越えて上桃木地区に出ると、後はどんどん下って行き、やがて桃木小学校のところで国道435号に合流し、その先の三ツ杉地区を抜けて国道から左へ逸れる旧道を行くと、美祢市豊田前町麻生だ。
その2へ続く
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