霊の「関東……もとい、長州ウォーキング」

「関東歩き旅」の続編で、「長州歩き旅」を始めました

大田から明木 その1

2010年05月08日 | 山口の歩き旅

2010年5月8日(土)

先週、小郡から大田まで歩いたのに続いて、今日はその先の大田から明木を目指してみた。この道は明木で萩往還と合流するので、明木から先は既に歩いた道だ。
大田のバスセンターで下車し、先週立ち寄った金麗社を右に見ながら、呑水峠への登り坂を上って行く。

峠を過ぎたところで、国道490号はそのまま直進して絵堂に通じるが、ここを左折すると長登地区に向かう。長登には、近年再確認された「長登銅山跡」がある。
国道沿いには特に見るべきものも無いので、迷わず左折するが、道路脇には「発破作業の予告」なる物騒な看板が立っている。
そう、例の「小郡萩道路」工事のために、山肌をバンバンとダイナマイトで崩している訳だ。千二百年以上も前に先人達が苦労の末に築き上げた遺跡のすぐ横では、現代人が「文明の利器」とやらを使って、簡単に自然を崩壊させているのだ。いつかは、現代人に罰が当るのではないかと、思っている。

長登銅山遺跡そのものは、多くの堅抗跡や鎔鉱爐などの製錬遺跡も含めてとても広大で、足腰が丈夫な人でないと、とても全部を見て回ることはできない。
一番高い所にある「大切・滝の下4号坑口」まで登って行くと、最後の方は急な階段の連続になるので、流石に息がゼイゼイしてくる。
坑口は、入口にロープが張ってあって、『危険だから坑口には入るな、事故の責任は負えない』旨の警告板が立っていた。
それをちょっとだけ無視して、10mばかり坑口に入り、中から外向きに撮ったのが上の写真だ………良い子はマネしないでネェ~

鎔鉱爐のすぐ山手側斜面には「煙道」なるものも残っていて(写真中)、山の頂上まで長さ90m、直径1.5mのレンガ造りの煙突が土中に造りつけてある。
こんな山中で、奈良時代前期から延々と、江戸時代を経て明治時代後期まで、銅の精製が行われていたとは、全く驚愕するしかない。

長登銅山を出て、国道には戻らずに県道241号を上って行き、下の峠を越える。
この峠の前後が、小郡萩道路の工事が最も良く見える区間で(写真下)、写真でも分かるように、工事区間の殆んどが石灰岩の岩盤で、これを巨大な削岩機で崩しているのだ。
この辺りは、3億年前の古生代石灰紀に出来た地層とのことだが、これだけのものを、たかがバイパス道路ごときで粉々にしていいのだろうかネ?
オイラには、削岩機の爆音の陰で、石灰岩たちの悲鳴が聞こえた(…ような気がする)。

下の峠を越えると、下り坂の先には絵堂宿が見えてくる。 その2へ続く



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