霊の「関東……もとい、長州ウォーキング」

「関東歩き旅」の続編で、「長州歩き旅」を始めました

山口駅から、雪の地蔵峠を超えて、佐々並まで

2013年02月16日 | 山口の歩き旅

2013年2月16日(土)

山口市吉敷の山奥にひっそりと佇む、大内氏遺跡の凌雲寺跡を訪ねてみた。
いきなり車でいくのも芸が無いので、JR山口駅から歩き始めて、肥中街道始点の安倍橋(道場門前)にまず立ち寄り、旧道沿いに湯田温泉方面へ向かう。袖解橋を過ぎて湯田温泉を抜け、吉敷交差点で国道9号を斜めに横切って、愈々国道435号と並行する肥中街道を北進する。
周防四之宮の赤田神社を右手に見て暫く行くと中尾口バス停があり、肥中街道はそのまま直進するのだが、凌雲寺跡へはここで右に折れた小道を往く。約1km位そのまま歩くと、やがて右手高台にそれは見えてくる。
標識板に沿って高台に登って行くと、まず説明板と共に、大内義興及び義興夫人の墓と伝えられる二つの宝篋(ほうきょう)印塔など、併せて大小3基の石塔(タイトル写真)が残っている。

お墓に懇ろに手を合わせた後、案内板に沿って惣門跡の石垣へ向かう(写真下)。

この石垣は寺の惣門の遺構だそうで、長さは約60mほどもある大規模な石垣だが、普通のお寺の惣門としては異常なほど頑丈な造りであることから、有事の際には城郭としても機能していたのではないかと推定されているようだ。
また、この当時の日本各地の石垣とは違って、大きな石を両面に積み上げて隙間を小石で埋める構造になっている。これは、朝鮮半島若しくは沖縄の石垣に類似していることから、大内氏による朝鮮半島等との交流が、かなり盛んであったことも示しているとのことだ。
この凌雲寺跡の敷地は、説明板によれば「舌状台地」と呼ばれる高台にあって、上の写真でも分かると思うが、背後は山、両サイドは絶壁、そして南側が遠くまで開けているので敵の侵攻を早くから察知できるという、守るに易しい地形であるのが素人目にも分かる。


で、ゆっくりと大内氏の遺構を堪能したので、さてこれからどうしようと思案しながら、元の中尾口へ戻ろうとしたところで地元のオッサンに出会ったので、世間話をしながらもこの辺りのことを聞いてみると、この後、国道に戻って吉敷峠を超えて肥中街道を往くよりも、地蔵峠を超える方が『面白れぇと思うがのぉ~』と言われたので、素直にそのアドバイスに従うことにした。
『今ぁ、熊はまだ寝ちょるが、猪はチョロチョロしおるけぇ、気ぃつけてノォ~』の声に見送られて、地蔵峠に向かう坂道を登り始めた。
凌雲寺跡辺りでは、天気も良くて周囲には雪も見えなかったのが、人家が途絶えて更に坂を登っていくにつれ、辺りが次第に雪景色に変わって行くのが分かる(写真下)。



凌雲寺跡を出てほぼ一時間位で、漸く地藏峠に到着した(写真下)。


地蔵峠を過ぎて旧阿武郡旭村(現在は萩市)に入ると下り坂になるのだが、こちらの方がやはり積雪も多く、10cm程度の新雪をシャクッシャクッと踏みしめて歩くのもまた気持ちのいいもんだ。ふと振り返ってみると(写真下)、自分のガニ股の足跡が見事だ(ンナ訳ナィカ・・・)

下り坂の途中では、猪の足跡が幾つも道路を横切っているのが見え、中尾のオッサンの言ったことを思い出す。まだこの季節だから、猪達も餌を探すのに苦労しているのだろうなぁなんぞと、余計なお世話をしてもみた。

40分くらい坂を下って、やがて高津集落に出る。ここの突き当りを左に往けば明敷峠から薬王寺を経て国道435号の肥中街道に戻れるのだが、今日は敢えてここを右折して佐々並へ向かうことにした。理由は、佐々並へ行けば、バスの帰路で湯田温泉に立ち寄れるからだ。そうすれば、今日の疲れをタップリと癒すことができるんじゃぁなかろうか、という魂胆だ。

という訳で、約6時間、4万1千歩のウォーキングは、目出度く佐々並で打ち止めぇ~。ふぅ~、多少疲れたワィ。



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