三月三日、この日には特別の思いがあります。
六年前、8時間に及ぶ前立腺癌の全摘手術を終え、麻酔覚醒後の痛みに殆ど眠れぬまま、三月三日の朝を府立病院のベッドの上で迎えました。
忌まわしい思い出ではありますが、今となっては一種の懐かしささえ感じるようになりました。
この日を以って男性としての機能を失ってしまったことは、煩悩多き者への神慮と分別して納得はしたものの、一抹の寂寥感は未だに拭い去ることはできません。
一方、手術によってずたずたになった自分を、もう一度建て直さなければならないという危機感と、死を身近に感じたことによって、「今」を大切に精一杯生きなければという自覚を持ち得たことが、その後の人生に大きな力となりました。
逆境に立てばそれを跳ね返すためのエネルギーが、自ずから生まれてくるものなのでしょうね。
「雛の日や飛行機雲の向かう先」
六年前、8時間に及ぶ前立腺癌の全摘手術を終え、麻酔覚醒後の痛みに殆ど眠れぬまま、三月三日の朝を府立病院のベッドの上で迎えました。
忌まわしい思い出ではありますが、今となっては一種の懐かしささえ感じるようになりました。
この日を以って男性としての機能を失ってしまったことは、煩悩多き者への神慮と分別して納得はしたものの、一抹の寂寥感は未だに拭い去ることはできません。
一方、手術によってずたずたになった自分を、もう一度建て直さなければならないという危機感と、死を身近に感じたことによって、「今」を大切に精一杯生きなければという自覚を持ち得たことが、その後の人生に大きな力となりました。
逆境に立てばそれを跳ね返すためのエネルギーが、自ずから生まれてくるものなのでしょうね。
「雛の日や飛行機雲の向かう先」