goo blog サービス終了のお知らせ 

多摩平通信

多摩平の森でのんびり暮らすシニアの日記です。

宮城県 常磐山元自動車学校

2011年05月23日 21時12分53秒 | 日記・エッセイ・コラム

流された実家から1.5キロほど離れたところに常磐山元自動車学校があった。

地震があった日も多くの若者が教習を受けていた。姉の末娘も免許を取りたかったがお金がないので断念した。夏休みにウズベキスタンに遊びに来る予定で、お金はその旅費に回すためだ。そして、それが幸いした。
学校では地震発生後、余震が続き校舎内が危険なことから学科・技能教習をいったん打ち切り、生徒を校舎外のバスに一時避難させた。

しかし、送迎中に津波に遭い奇跡的に助かった高校3年の男子生徒(18)は「地震後まもなく消防の車が来て津波の警報を伝えていた。先生方も知っていたはず。なのに避難指示はなく40分以上バスで待たされた」と証言する。
結局、生徒と職員を合わせた死者37人の悲劇となってしまった。

鉄骨がむき出しとなった校舎

避難所の壁に貼ってあった自動車学校の岩佐重光社長の張り紙。

Kyousyuup1000979

<東日本大震災で、生徒と教職員計37人が亡くなった宮城県山元町の自動車学校に通っていた早坂薫さん=当時(18)=の葬儀が21日、自宅がある亘理町でしめやかに行われた。この日は薫さんの誕生日。親友の菅田彩乃さん(18)は「今までありがとう。そして19歳のお誕生日おめでとう」と涙ながらに語り掛けた。
 生まれて来た日にまな娘を見送ることになった父満さん(49)は、祭壇に置かれたケーキを前に「まだ夢を見ているよう。こんな形で娘を失い、悔しい」と声を震わせた。
 薫さんが乗るはずだった車は、母由里子さん(47)が譲り受け、大切にするという。
 同じ教習所で、早坂さんとは別のバスで避難中に津波にのまれたものの、屋上にはい上がり無事だった交際相手の斎藤瞭さん(18)も参列。他の人たちを助けられなかったことを今でも悔やみ、「学校がもっと早く避難させてくれていれば」と涙を拭った。
 常磐山元自動車学校では地震発生から約1時間後に生徒を帰したが、7台の送迎バスのうち、5台が津波に巻き込まれた。保護者側の「なぜもっと早く避難させなかったのか」との指摘に対し、学校側は「教習を再開できないか検討していた」と返答。双方が弁護士を立てて協議を続けている>


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。