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多摩平通信

多摩平の森でのんびり暮らすシニアの日記です。

トレッキング パート1

2011年06月27日 02時13分28秒 | 旅行記

山登り隊のY原隊長以下、総勢6名でトレッキングに行った。

朝8時、ブユク・イパク・イューリからマッシュルートカに乗ってガザルケントに向かった。1人3,000スム。

1時間数十分ほどでガザルケントに着いた。

ガザルケントからはタクシー(15,000スム)でチムガンのスキー場に向かった。ここでガイドと待ち合わせをしてトレッキング開始。

待ち合わせ場所の近く。リフトが見える。

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トレッキング開始

薄曇りの天気に恵まれて最高のトレッキング日和。大チムガンがきれいだ。

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今日は大チムガン(3,309メートル)にも小チムガン(2,091メートル)にも登らず、グルカムキャニオンを目指す。

グルカムパスに向かって丘を登り始めた。

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登りが少しきつかったが、グルカムパスに到着。

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ここからはグルカムセイ川沿いに丘を下っていく。

急斜面が続く。乾いた土が滑るので慎重に下って行った。

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途中、珍しい花がたくさん咲いていた

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続く


シャフリサーブスの旅 グルメ編

2011年04月08日 22時30分45秒 | 旅行記

タフタカラチャ峠は景色もいいが、サムサと同じタンドール(円筒形の粘土製の壷窯型オーブン)で、塩やスパイス、ハーブで味付けしたラムを焼いた名物料理『タンドリー・ケバブ』が食べられる。

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1Kgで2万スム。一人100~150gで十分だ。

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羊が苦手な私だが、匂いが全く無く美味しい。

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素晴らしい景色の中でゆっくり食事が出来て最高だ。シャフリサーブスに行ったら、街での昼食は我慢して、帰りのタフタカラチャ峠で『タンドリー・ケバブ』をお勧めする。

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<日本赤十字社と中央共同募金会、被災した15都道県などで構成する義援金配分割合決定委員会は8日、義援金の第1次配分基準について死者・行方不明者は1人当たり35万円を遺族らに支給することで合意した。家屋全壊、全焼は1戸当たり35万円、半壊、半焼は18万円とした。>

姉が被災した山元町の役場は被害の実態を把握できているのだろうか?早く配って欲しい。


シャフリサーブスの旅 峠越え編

2011年04月05日 01時48分25秒 | 旅行記
サマルカンドからシャフリサーブスへは前日に知り合った、個人で通訳やガイドをやっているロシア人の車で行った。タフタカラチャ峠を越えるので、車は標高1,600メートルまで峠を登っていく。春は雪山がきれいだし、花も咲いていて途中の景色が素晴らしい。
サマルカンド郊外の景色も素晴らしい
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タフタカラチャ峠のピーク
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杏の花がきれいだ。ここから峠を下っていく。
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1週間くらい姉から連絡が無かったので心配したが、今日メールがあった。
避難所からの声

情報ありがとう。私が無職になり、生活どうしようと思ってたらアルバイトの仕事入り、31日から娘と2人で行ってます。今のところ4月いっぱいと言われてます。自衛隊の船岡駐屯地の中のコンビニの仕事です。通常は500人位の隊員しかいないのですが、今は全国から応援に来ていて、4000人の自衛官がいます。その方達が入れ替わり買い物に来るので、どんどん品出ししないと間に合いません。1日何百個の品だしの仕事です。10時間立ちっぱなしで、家に着くのは毎日22時近くになります。どちらかというと肉体労働です。慣れないからか毎日疲れきって帰ってきます。若い娘でも足腰痛くなります。だけど仕事ないこの時期に働かせて貰えのるのはありがたいです。気力で頑張ります。なので、今は暇がなくなりメールの返事もなかなか返せなくなり遅くなりました。

避難生活している人の中には姉の様に家だけではなく仕事を失った人も多い。よって、今後は震災復興事業(がれきの撤去や仮設住宅の建設、被災者生活再建支援金の支給、義援金の被災地への分配作業等)で被災者の雇用対策を実施してほしい。元気な人には肉体労働を、そうでない人には事務作業を担当してもらえばいい。一日中家や避難所にいるよりは、仕事で社会とつながっていた方が精神的にも良いのではないかと思う。



ヒヴァの旅 見どころ編

2011年04月03日 15時38分10秒 | 旅行記

ヒヴァは乾燥していて埃っぽいが、内城はいつもきれいに掃除されていた。

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城壁の中。

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高さ10m、厚さ6m、長さ2250mの城壁。

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ジュマ・モスクの彫刻が施された柱。

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2つのミナレットは3000スムで登ることが出来る。

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朝日が当たるミナレット。

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昼は観光客で賑わっているヒヴァだが、夕方になると店が閉まり、人もいなくなり、中世にタイムスリップした気分になる。そして、ここで奴隷売買がされたり、拷問や処刑が行われていたと思うと怖くて一人では歩けなくなる

滞在中は鼻水が出たり喉が痛くて、花粉症の様な症状に苦しんだ。眼に見えない土埃のせいだと思う。冬は極寒で夏は50度以上になることもあるという。ここで暮らす人の生命力は強い

<ソフトバンクは3日、孫正義社長が東日本大震災の被災者への義援金として、個人で100億円を寄付すると発表した。ソフトバンク社長としての役員報酬(09年度実績は約1億8000万円)も、引退するまでの分全額を寄付する。このほか、ソフトバンクグループも企業として10億円を寄付する。

孫社長は今回の寄付についてコメントしていないが、震災後に福島県を訪ね、インフラ復旧などへの協力を申し出たり、震災で両親を亡くした震災遺児に18歳になるまで携帯電話を無償貸与する方針も打ち出すなど、公私両面で被災者支援に取り組んでいる。

ライバル会社だけど、涙が出た。カリスマ創業者はやることが違う。お金の使い方を知っている。こんなことされたら、iPhoneに乗り換えたくなる。

震災は悲しいけど、日本国民、いや世界中の被災者を支援しようという気持ちがうれしい。


ヒヴァの旅 番外編

2011年04月03日 01時48分46秒 | 旅行記

ヒヴァの内城、イチャン・カラは世界遺産とはいえ、庶民も居住している。夕方になると子供たちがメドレセの前に集まり、暗くなるまでサッカーボールを追いかけていた。

観光に飽きた息子も一緒にプレイ。

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キョフナ・アルクの見張り台の下ではビデオの撮影が行われていた。

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ジャマ・モスクのミナレットの頂上は落書きだらけ。日本語は無かったので安心した。

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西門の外の老朽化した観覧車。怖くてとても乗れない。

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門を通り抜ける赤い車。車体をこすることなく見事に通り抜けた。

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地球の歩き方の表紙となった風景。西門前から撮影。

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ウズベキスタン共和国からの支援物資の受け入れ

  1. 今般の東北地方太平洋沖地震を受けて,322日(火曜日)午前,ウズベキスタン共和国からの支援物資(長靴2,000足,テント200張,毛布2,000枚)を乗せた同国特別機が成田空港に到着し,23日(水曜日),福島県に対しテント及び毛布が,24日(木曜日),宮城県に対し長靴が,それぞれ届けられました。

  2. ウズベキスタン政府からは,カリモフ・ウズベキスタン大統領(H.E. Mr. Islam KARIMOV, President of the Republic of Uzbekistan)から菅直人内閣総理大臣に対し,お見舞いとともに日本国民に対して,必要な援助を提供する用意がある旨のメッセージを受領しています。また、ガニエフ・ウズベキスタン副首相兼外務大臣(H.E. Mr. Elyor GANIYEV, Deputy Prime-Minister, Minister of Foreign Affairs)から松本剛明外務大臣にお見舞いのメッセージが寄せられています。我が国政府として,ウズベキスタン政府の協力に深く感謝します。

3年間駐在したモンゴルでも以下の記事

モンゴル、全公務員に一日分の給料の募金を呼びかけ

 東日本大震災に対して世界各国からの支援が相次ぐ中、親日国モンゴル(人口約270万人)の政府が全ての公務員を対象に給料1日分の募金を呼びかける異例の対応をとっている。これが一般国民や企業の自発的な募金運動に発展し、すでに1億2500万円以上が集まった。モンゴルは24日に100万ドル(約8100万円)の義援金を日本に送ったが、この募金を元に救援物資または追加の義援金による支援を検討している。

 在日モンゴル大使館は日本への募金活動について「日本はモンゴルが市場経済に移行した1990年代、政府開発援助(ODA)で一番支援してくれた。国民みんなが感謝している」と語っている。

 一方、同胞が被災した日本でもさまざまな募金活動が進んでいるが、日本政府が「公務員の給与を募金に」と呼びかける兆しは今のところない。



私がいたころは給料1日分は500円くらいだった。今はいくらか知らないが、その気持ちが嬉しい。


ヒヴァの旅 グルメ編

2011年03月30日 03時30分15秒 | 旅行記

ヒヴァの食事は全く期待していなかったが、東門を出たところで売っているサムサは美味しかった。タンドール(円筒形の粘土製の壷窯型オーブン)で牛肉とオニオンがたっぷり詰まった焼きたてのサムサを頬張る。パリッとした食感がたまらない。

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カフェの食事はこんなもの。普通のウズめし。

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ホテルの朝食はパン類ばっかり。少しウンザリ。

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綿菓子が気に行って何度も食べた。300スム(12円)。丸めた綿菓子をボールの様にパスされる。何故かさらさらしていてで手がべとべとになることは無かった。

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タシケントの様に中華や韓国料理、西洋料理は無いが、プチ美味しいウズ料理を発見するのが楽しい。東北震災後は美味しいものを食べると何故か後ろめたさを感じる。よって、ヒヴァの食事は今の自分にとって丁度いいかな

夜7時過ぎになるとほとんどのカフェやチャイハナはクローズとなる。健全な街だ。


ヒヴァの旅 ミナレット編

2011年03月29日 00時09分09秒 | 旅行記

1年ぶりの任国内旅行でヒヴァに行った。ウルゲンチにも一泊したかったが代理店の対応が悪く、ホテルがとれなかった。ウルゲンチ隊に会いたかったが残念。
ホテルの側にあるイスラーム・ホジャ・メドレセとミナレット。ミナレットはヒヴァで一番高く45m。

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118段の階段を登ったが、暗く狭く、結構大変だった。上からは内城はもちろんヒヴァ全体を見渡たすことが出来る。

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避難所からの声

24日無事火葬終わり、お骨持ち帰り家に保管してます。こちらは毎日のように余震があり、いつになったら安心して暮らせる日が来るのでしょうか。相変わらずガソリンが買えず、身動き出来ません。近くのガソスタで明日朝6時半から給油があると情報入ったので、今日の16時半から並んでます。そこまでしないと買えません。今後の生活不安だらけですが、今はいろんな手続きやら、生活環境整えるのに精一杯です。

はい、15時間前から並んで(実際は寒くて車にいられなくて、一度車放置して家に帰ったのですが)やっと買えました。まだまだ長蛇の列です。私同様、家も仕事も失った人も多く、これからどうやって生計立てたらいいかって感じです。また連絡します。


春のチョルバック貯水湖とチムガン

2011年03月25日 02時08分20秒 | 旅行記
家族、学生と標高1400mのチョルバック貯水湖(タシケントの高級リゾート)にいった。
夏や冬と違って景色は最高だった。Choru015
更に走って1550m辺りのチムガンというスキー場に行った。ぽかぽか陽気の中、雪山を観ながらの昼食(シャシリク、お握り、卵焼き)は最高
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リフトが1800m辺りまでのびている。
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ダブルリフト
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おまけで乗馬
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明日から地方に行きます