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「美人とイケメンは得」という事実が、教師400人の実験で明らかに! なぜ「容姿がよければ頭もいい」と評価されるのか
3/24(月) 7:01配信
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現代ビジネス
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人間の社会にはびこる咒(まじない)の正体とは? それは「言葉の隠された力」であったり「美醜に囚われる脳」であったりします。中野信子さんの『咒の脳科学』では、人間の脳にかけられた咒のような影響とはどういうものかわかります。
【写真】男性が、命がけで助けられるのは“美人”だけという現実
今ますますルッキズムへの批判が強くなり、人も口では「自分は見た目で人を判断しない」と言います。しかし、実際はこの言葉を裏切っているという多くの実験結果があるのでご紹介します。脳の掟を知ることは仕事や人生にとって非常に重要だとわかるのではないでしょうか。
「あの人には見る目がある」を裏返すと
前記事< 「美人は本当に得か」研究の驚くべき結果とは? 男性が、命がけで助られるのは“美人”だけという現実 >で述べたとおり、人間は一般に、口では「自分は見た目で人を判断しない」と言うが、実際の行為はこの言葉を裏切っているものだ。この言葉に反論したいという気持ちを持たれた方は、ぜひ自分自身の行動を観察する自身の観察眼が不十分である可能性について時間をかけて冷静に吟味し、十分な数の客観的な証拠をご準備いただいてから反論なさるほうがよさそうである。
前述の実験に限らず、実際、容貌の魅力度と、何らかの行動変容について調べると、統計的な有意差が出やすいという。すでに多くの研究結果が蓄積されてもいる。
おおむね、外見が魅力的な者がそうではない者よりも好まれ、対人関係上、好意的な扱いを受ける、という結果になっている。
またこのことが自己成就予言的な機能を果たし、容姿の魅力度の高い者は、そうでない者と比べて、より他人の助力を得やすいことも手伝って、目的を達成しやすくなり、さらに自己肯定感が高まっていくと考察されている。
あの人には見る目がある、という言い回しがある。この言葉は「誉め言葉」であるというのがトリッキーである。普通の人間には見る目がないものだ、という事実が暗黙の前提として厳然と存在するということになる。それを、私たちは半ば自覚的でないながらも認めているということでもある。
教師400人の下した評価
容姿で判断してはならない、が厳密に守られるべきだと考えられている最たる場所の例のひとつは教育現場であろうが、残念ながらそこでも外見の効果は如何なく発揮されているようだ。
アメリカのある小学校で、教師400人に5年生のある生徒の成績表を与えて評価を依頼するというかたちで実験が行われた。実は、そこにはまったく同じ試験の成績、操行、学習態度、出席率が記入されているのだが、貼ってある生徒の写真はそれぞれ違い、容姿、性別はばらばらである。驚くべきことに、教師たちは容姿のよい子のほうが頭がよく、友だちも多く、人気があるとして評点をつけたのである。
実際に、容姿のよい子は本当にいい成績をつけられてしまうことが多いこともわかっている。生徒の評価に主観的な要素が入る評点と、シンプルにテストの結果だけに基づいた評点とでは、成績に乖離が生じてしまうという。
これらの研究結果を信頼するなら、米国型のAO入試を採用する際には、容姿による選抜の要素が入ってしまうことを考慮しておくべきかもしれない。日本でも同方式で入試を行う大学が増えているが、AO入試では容姿の効果が無視できないため、容姿はよいものの実力のともなわない学生を、従来より多く合格させることになるだろう。
念のためだが、それがよいか悪いかについては特にここでは問題にするつもりはなく、私はどちらでもよいと考えている。が、多くの読者がどう感じるかについては興味がある。おそらく、正しくないと感じる人が相当数出るのではないか。自らも相手の容姿によって無自覚に態度を決定しているという現実は、そのとき省みられることはあるのだろうか。
アーティストも容姿で仕事の評価が変わる
性別によらず、容姿のよい人のほうが頭がよいとみなされやすいというのは、子どもばかりでなく成人に対してもそうであることがわかっている。女性よりも男性で容姿のよい人に対してその傾向が顕著である。
画家、アーティストなど、基準のはっきりしない職業についている人に対しては特に、容姿がよいほどその仕事が高く評価されるという結果が出ている。そして、容姿のよさは仕事のできがよくないときにその不足分を補う役割を果たすが、仕事のできがよいときにもより多くの称賛をもたらすということもわかった。
前項で再犯率と整形手術について述べたが、容姿のよい人は情状酌量されやすいということも明らかにされている。
7歳の子どもが犬の尻尾を踏んづけた、もしくは他の子どもの頭に雪玉を投げつけたと仮定して、これらの行為を容姿のよい子がした場合には、大人たちは、「その子はその日何か不愉快なことがあったのだ」「何かそんなことをさせてしまう事情があったのだろう」と理解を示した。さらには、その子がそんなことをするのははじめてで、「もう二度とこんなことはしないだろう」と好意的に考えた。一方、容姿のよくない子の場合は、「この子はゆくゆくは非行に走るだろう」などと冷ややかな目で見られてしまったのである。
もちろん、子どもに対してばかりでなく、大人に対しても同様である。容姿のよい人は、万引きから凶悪犯罪まで、どんな悪行を犯したとしても「何か事情があったのだ」「もう二度とこんなことはしないだろう」と思ってもらいやすい。もちろん、嫌疑をかけられることも少なく、取り調べを受けても、告訴されて有罪になる率はより少ない。警察官も弁護士も裁判官も人間である。時には客観的な事実を覆い隠してしまう容姿の効果がどれほど大きいものか、ご理解いただけるだろうか。
まったく同じ成績表を見ていながら、教師たる人々が、生徒の容姿によって異なった評点をつけてしまった実験と同じことが現実に起きているのである。容姿をよりよく整形された囚人たちは、釈放されたのち、自分たちに向けられる目が収監前とは異なることにおそらく気づいただろう。
中野 信子(脳科学者)