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上常呂駅>旧池北(ちほく)線

2024年03月23日 23時05分03秒 | 社会のことなど
今は、この池北線の後継のふるさと銀河線も2006年に廃線です。

>ここは、高校の先生の実家でした。上常呂のお寺の住職さんのお子さんで国語の先生、一年生のときにお世話になったエンですね。

上常呂駅
北海道北見市上常呂

>すでに、過去の事象ですね。
国鉄池北線時代に訪問したところです。もちろん、駅も廃止で、現在、記念公園のような施設になっているようです。

池北線>ちょほくせん:

以下のような顛末です。
>1989年(平成元年)6月4日 - 北海道ちほく高原鉄道に転換。
>2006年(平成18年)4月21日 - ふるさと銀河線廃線により廃止。




上常呂駅(かみところえき)は、北海道北見市上常呂にあった北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の駅(廃駅)である。電報略号はカロ。



1977年、国鉄池北線時代の上常呂駅と周囲約500m範囲。右上が北見方面。千鳥式の相対ホーム2面2線と外側に副本線や留置線など3本、油槽所向け引込み線1本、駅舎横の池田側に貨物ホームと引込み線1本、その池田寄り駅表のストックヤードへ引込み線1本を有する。ストックヤードにはまだ木材が野積みされている。製糖工場専用線は当駅裏側の留置線から構内北見側端で駅表側に渡り、本線横を北光社方面に併走した後、南七線に沿うように東へ別れて工場へ向かっていた。


 

歴史[編集]




  • 1911年(明治44年) 
    • 9月25日 - 鉄道院網走線の淕別駅 - 野付牛駅延伸に伴い開業[3]。一般駅。
    • 11月18日 線名改称。池田 - 網走間を網走本線とする。
  • 1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
  • 1957年(昭和32年)10月10日 - 芝浦製糖(後の北海道糖業)北見製糖所操業開始に伴い専用線使用開始。
  • 1961年(昭和36年)4月1日 - 網走本線のうち、池田 - 北見間を池北線に改称。同線所属となる。
  • 1984年(昭和59年)2月1日 - 貨物・荷物取扱い廃止。製糖工場専用線廃止。
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道に継承。
  • 1989年(平成元年)6月4日 - 北海道ちほく高原鉄道に転換。
  • 1994年(平成6年)9月25日 - コミュニティプラザ併設の駅舎へ改築[1]。
  • 1995年(平成7年)12月20日 - 無人化[4]。
  • 2006年(平成18年)4月21日 - ふるさと銀河線廃線により廃止。




6・16・2021
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2 コメント

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Unknown (ra9gaki_do)
2022-08-01 16:28:51
こんにちは(^-^)
いつも温かいリアクション
ありがとうございます。
今日から〜八月。
猛暑に負けず💦💦💦💦💦
水分補給しっかりと!
どうぞお元気でご活躍を(^。^)
返信する
Unknown (Items)
2022-08-04 09:32:01
こちらこそ、いつもありがとうございます。

今年の八月は、殊の外猛暑です。

コロナとともに、、なんとか乗り切りましょう☆

引き続きよろしくお願いいたします。
返信する

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