墨絵(行元寺に展示されています)を描く私の叔父は、高齢という理由でつい最近車の運転をやめました。 運転の最後に、いすみの風景を忘れないように、お弁当を持って「里の秋」の生まれたこの辺りをドライブしたそうです。
これは叔父の一日1枚の画です。今手持ちがこれだけなので、色々紹介できませんが、いすみの風景を思い浮かべて描き続けるでしょう。
いすみ市岬町岩熊 童謡の里
海沼実さんの妻・海沼美智子さんの実家跡地に建つ童謡の里のことをtassさんが投稿してくださいました。
写真は2008年6月のもの。
遠山の金さんの法興寺から歩いてすぐの場所です。
1944(昭和19)年、家族と共に岩熊の法興寺に疎開した、作曲者海沼実(かいぬまみのる)氏が、1945(昭和20)年暮れ、作詞家の斎藤信夫氏(千葉県山武郡成東町在住)を招き、斎藤氏の作詩した「星月夜」を「里の秋」と改題し、詩の一部を書き直してもらい、作曲にかかり完成させました。岬町は、「童謡の里」づくりを目指し、1992(平成04)年には、法興寺の入口に「里の秋」と「蛙の笛」の歌詞と音符を刻んだ碑を完成させました。
*こちらからお借りしましたhttp://lake-champ.com/seacret0041.htm
場所:いすみ市岬町岩熊635
連絡先:いすみ市社会教育課 0470-62-2811
交通:JR外房線長者駅からタクシーで15分
いすみ鉄道国吉駅からタクシーで多分15分くらい。
川田正子 里の秋 2000
蛙の笛 川田正子 川田孝子
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海沼実と岬町
昭和の童謡をリードしてきた作曲家 海沼実は、この岬町で、数多くの童謡モチーフをものにした。その代表的な作品が、作詞家 斉藤信夫とのコンビによる「里の秋」と「蛙の笛」といえよう。
「里の秋」は太平洋戦争 終戦直後の昭和25年12月24日、「蛙の笛」は、翌21年8月18日に、そのころJOAKといっていたNHKの電波にのって発表された。
一幅の名画の雰囲気を漂わす新しい童謡は、敗戦に打ちひしがれていた当時の人たちが、待ち望んでいたものだった。
爆発的な人気を得た2曲は、半世紀近くを経た今日でも、多くの人たちに親しまれている。
歌碑建立地は、海沼の妻須磨子の実家跡地である。海沼は戦争中からしばしば岬町を訪れた。義妹の嫁ぎ先である法興寺への参道から見渡す田園風景は、故郷松代の景色とよく似ていた。海沼はさまざまな思いをこめて、これらの曲をつくったに違いない。
海沼は昭和46年に亡くなるまで、「みかんの花咲く丘」など、約3,000曲を作曲した。海沼童謡は自分が昭和8年設立した児童合唱団「音羽ゆりかご会」によって歌い継がれている。
千葉県成東町出身の斉藤とのコンビでは、2曲のほか、「夢のお馬車」「夢のおそり」「母さん訪ねて」「土曜の夜」などがある。 海沼美智子
「里の秋」で思い出しました。
昔、栗をホイルに包んで焚き火に…栗がポンッとはじけて食いしん坊にはたまりません
栗をアルミ箔で包んで・・・いいですね。
でも今は焚き火してはいけないんですよね。
叔父の絵を大切にしてくださって、感謝感謝。
実はこの絵、いすみではなさそうですが、今は手元にないんです。
みむら姉さんの所にあるのが、いすみかも。
「いすみ鉄道も入れて描いてね」と、リクエストしましたが、記憶で描いている叔父。
蒸気機関車を描くかも。
叔父は鉄道博物館辺り、大多喜葵の会さんの地に住んでいました。
良い所ですd=(^o^)=b