久我原さんの今までのお話は こちら
ドン・ロドリゴ漂着~日墨交流400周年記念ドラマ 第二十二話
「ううむ、なかなか思うようにはいかんな。」
桑名城の自分の部屋の縁側で本多忠勝は晩秋の陽だまりの中で左手に持った小さな木片を見て、つぶやいた。昨年の慶長十四年に長男の忠政に家督を譲り隠居の身になり、平穏な日々の無聊を慰めるために仏像を彫り始めたのは最近のことである。この日は小さな弥勒菩薩像を作るつもりだったが、出来上がってみるとお地蔵様になってしまっている。
「地蔵菩薩は弥勒菩薩が現れるまで、我々を守ってくださっているというが、まだまだ弥勒菩薩がお姿を見せるときではないということか。」
雲ひとつない秋の青空を見ながら、忠勝はため息をついた。
「わしも年を取ったのう。」
この時、忠勝は六十三歳。徳川の四天王と呼ばれた忠勝も今は隠居の身だが、将軍職を譲った家康はまだまだ対豊臣の政治活動を精力的に続けている。去年は忠朝が助けたドン・ロドリゴと会見をし、イスパニアの親交を勧めようとしているという話を聞いた。そのような話を聞くと、忠勝は胸の奥に何かがうごめいているのを感じる時がある。
(わしも、まだまだ働けると思うのだがな。)
「父上、今日は何をおつくりになりましたか。」
ぼんやりとしている忠勝に長男の忠政が声をかけた。
「おお、忠政。今日はこんなものができた。」
忠勝はできたばかりの木像を忠政に見せた。
「ほう、お地蔵様ですか。これはまた随分をかわいらしい。」
「そう見えるか。そうか。弥勒菩薩を作るつもりだったのだが、、、まだまだ修練がたりんな。」
「いいえ、私は良い出来栄えだと思います。いつ現れるかわからない弥勒菩薩を作るより、現世の民の幸せを願ったからこそ、お地蔵様ができたのでしょう。」
「忠政。」
「はい。」
「それは、ほめておるのか?」
「はい、そのつもりですが、、、」
「わしには先の事を考えず、今のことしか考えていないから地蔵しか作れなかったと聞こえるがのう。」
忠政は唖然とした。現役を退き、無傷の鬼の武将であった父も気が弱くなったものだと思った。
「そ、そんなことはありません。父上の心に平穏が訪れているということでしょう。」
「そうか、、、、」
忠勝はどことなくさびしそうである。
「わしももう、長くはあるまい。できることなら戦場で死にたかったが、そうはさせてもらえそうもないな。」
「父上、、、、」
今日の父は少しおかしいと思った忠政は話題を変えた。
「そういえば、忠朝から知らせがありました。国吉原の新田開発は順調に進み、今年は豊作だったようです。これも父上から譲り受けた土地とその民のお陰だと感謝しているそうです。」
「そうか、順調か。この一年、異人の世話をしたり、新田開発と忙しそうだな。結構なことだ。後は徳川家のために戦場で手柄を、、と言ってももう大きな戦もあるまいか。」
「いえ、まだまだ豊臣の事で不穏の動きがあるとのこと。紀州の信繁も今はおとなしくしていますが、早まったことをしなければよいと願っています。」
「小松にも思わぬ苦労をかけることになったのう。」
忠勝の娘、小松姫は真田昌幸の長男の信之に嫁いでいる。信繁とは、真田幸村として知られている信之の弟である。関ヶ原の戦の時に、父昌幸と供に徳川方から西軍に奔り、その敗戦のため、紀州九度山に流された。当初、家康は昌幸と信繁の親子を死罪にすると言ったが、忠勝が婿の信之と供に強烈な命乞いをしたため、罪を減じて九度山への流罪となった。この時、忠勝は真田親子の命を助けなければ、家康と一戦も辞しないと啖呵を切ったのである。その迫力に負けて家康はしぶしぶと真田親子の命を助けることにした。その時の迫力も今は大分しぼんでしまっている。
「父上、まだまだお働きになることもあるでしょう。お気を強くお持ちください。」
忠政が去ると、忠勝はもう一度、手の中の木像を見つめて、
「気にいらんな。」
とつぶやき、小刀で木像を再び刻み始めた。
「ちっ!!!」
ごつごつとした忠勝の手の中で小さな木片を削っていた小刀がつるっと滑ったかと思うと指にすっと触れた。指に小さな傷を負い、わずかに血が流れ始めた。忠勝はこの時、生まれて初めて自分の皮膚から流れ出る血を見た。
「乙女!!おーとーめー!」
その傷をなめると大声で叫び、もう一度傷を負った指をくわえた。
「はい、はい。殿さま、何事ですか、大きな声で。」
忠勝の側室の乙女がやってきて、子どもの様に指をくわえている忠勝を見ると、思わず笑いが漏れてしまった。
「なんですか、子どもみたいに指をしゃぶって。」
「笑いごとではない。今、しくじって小刀で指に傷をつけてしまった。」
忠勝は怪我をした指を乙女に見せた。
「まあ、無傷の大将がついに負傷ですか。」
乙女がからかうと忠勝は眉毛を吊り上げた。
「冗談を言っている場合ではない。このようなことで傷を負うとは、もうわしの命も長くはあるまい。」
「殿さま、そんな大げさな。」
「大げさではない。」
乙女は心配になった。関ヶ原の後、大きな戦も無く、家督を忠政に譲り、その人生のほとんどを修羅場で過ごしてきた忠勝にやっと平穏な日々がやってきたかと思ったら、ここのところ元気がない。そんなところに指を切って、この弱気な態度だ。
「殿さま、お手を貸して下さい。」
忠勝が怪我をした指を乙女の前に差し出すと、乙女はぺろりとその傷口をなめた。
「な、何をする。」
「大丈夫ですよ。このくらいの傷はすぐに治ります。ちょっとしばっておきましょう。」
たまたま持っていた手ぬぐいで忠勝の指をしばってやると、
「四天王さまともあろう者が、このぐらいの傷がなんですか。」
と乙女は言った。乙女は側室であるが、忠勝が若いころから苦労をともにしてき、誰よりも心が通い合っている。忠勝は乙女にそう言われると、なんとなく安心をした。思えば、こんな小さな傷、生まれて初めての怪我とはいえ、うろたえた自分が恥ずかしかった。
しかし、その夜、忠勝は高熱を発して倒れてしまった。
ちょうどそのころ、大多喜では、忠朝は中根忠古と相談をしていた。
去年から始めた、国吉原の開墾がうまくいっているので、今度はその近くの万喜原の新田開発を始めようと言う相談だ。
「忠古、どうやら国吉の開墾もようやく先が見えはじめてきた。そろそろ、万喜原の事も始めても良いと思うが、お前はどう思う?」
「はい、人手が足りないのが少々不安ですが、国吉の成功を近在の民に知らしめ、開拓者の年貢や雑役の免除をし、種の貸し付けなどをすれば人は集まるかと。ただ、十分な準備をして、あまりあせらない方が良いとはおもいますが。」
「そうだな、来年はさらなる準備をして、再来年ごろから始めようと思っていたところだ。」
「それでよろしいかと。」
「それに、もうひとつ考えがある。」
「それは?」
「万喜といえば、父上が滅ぼした土岐氏の城があったところ。土岐氏の旧臣もいくらか本多でめしかかえ、そのほかの多くは帰農して本多家に反抗するということは今のところはないが、まだまだ恨みを持っているものいると聞く。そこでだ、万喜原の仕事にはできるだけ土岐の旧臣を登用したいと思っている。仕事を与え、生活が成り立つようにすれば、本多に対する恨みも時間と供になくなると思うのだが。」
「それは、良いお考えです。安房の里見も今はおとなしくしていますが、万が一事を構えるようなことになれば、領内の結束は大切なものとなりましょう。」
忠朝の父、忠勝が大多喜を支配する前、房総は長く群雄割拠の時代が続いた。都からも遠く、袋小路になっている半島は、大勢力に飲みこまれることはなく、安房の里見氏とその家臣の正木氏、万喜の土岐氏、下総の千葉氏、真理谷の武田氏などが覇権を争い、長い間戦い続けてきたが、ついに房総を統一する勢力が現れる前に北条が豊臣・徳川に敗れ、徳川家が房総半島に侵入してきたのである。
徳川が侵入してくる前、房総の大名たちは小田原の北条氏、古河公方や関東管領の上杉と同盟する形で、その関東の大勢力が争う事があれば、必然的に房総の諸勢力も争いを繰り返してきた。海を隔てているとはいえ、船を使えば、小田原の北条軍は容易に房総を攻めてくるので、里見氏にとって北条は脅威であった。
この時から約五十年前の永禄六年の暮れ、江戸城を守る太田氏が北条を裏切り上杉謙信に寝返った。この時、上杉の要請を受け太田氏の救援に向かった里見氏は房総の諸将とともに一万六千の軍を率いて出陣し、下総の国府台に入城したのは明けて永禄七年の正月であった。それを迎えた千葉氏は北条に救援を求めると、北条氏康は二万の兵を率いて国府台に向かった。こうして里見軍と北条軍は江戸川を挟みの対峙することになった。当初、北条軍と千葉軍の連携作戦の失敗から里見軍が優勢だったが、その勝利に浮かれて兵士に酒をふるまった後、北条の夜襲を受けて大混乱のうちに里見は敗走した。この機に乗じて北条軍は房総半島深く侵攻し、その時里見側だった土岐氏が里見を裏切り北条側に寝返った。北条が房総に進出すると北条と里見の争いは一進一退を続けたが、里見氏は上総からは大きく後退し、半島の南端の安房に押し込められる形となった。
その後、徳川家康が豊臣秀吉とともに、北条家を倒した時、北条に従っていた土着の諸勢力は房総から一掃され徳川家の家臣の支配するところとなり、生き残ったのは徳川家に味方した里見家だけだった。
「殿、国府台合戦の折の里見の敗因は完全な勝利が確定する前に酒宴を持ったことだと聞いています。ですから、、、」
「わかっておる。酒はほどほどにせよと言いたいのであろう。」
忠朝と忠古が万喜原の開墾の相談から、里見と北条の争いに話題が移ってくると、大原長五郎がやってきた。
「殿、一大事でございます。」
「どうした、大原。また、面倒なことか?秋も深まってきたというのに、相変わらず汗っかきな奴じゃのう。」
「冗談を言っている場合ではございません。今、桑名から使者が参り、大殿さまがお倒れになったとのことです。」
「何?父上が倒れた?何故じゃ。」
「詳しい事はわかりませんが、すぐに桑名においで下さるようにとのことでございます。」
「よし、わかった。忠古、聞いての通りだ。わしは支度ができ次第桑名に向かう。わしの留守の事は頼んだぞ。」
「はい、お任せ下さい。道中お気をつけて。」
忠古は淡々と答えた。忠朝がその場を去ると大原は忠古を睨みつけた。
「中根殿、おぬしは相変わらず冷たいな。大殿の具合が心配だとか言うことが言えんのか?」
忠古は黙って大原を見返して、その場を立ち去った。
「全く、相変わらず何を考えているのかわからんの。」
一人残された大原は額の汗を拭いたが、日に日に日没が早まる晩秋の夕暮れの空気は冷たかった。
数日後、急ぎに急いだ忠朝一行は桑名に到着し、旅装を解いた。
落ち着いたところに忠古の父、中根忠実がやってきた。
「若様、遠路はるばるとお疲れ様でございました。」
「おお、じいか。久しいな。」
「若様、、御立派になられた。御幼少のころのいたずら坊主からは想像がつきません。」
「それをいうな。わしもいい年じゃ。いつまで鼻たれの小僧ではないぞ。」
「わかっております。わかっております。」
忠実は涙ぐみ、御立派になられた、を繰り返した。息子の忠古と違ってこの忠実は感情をあらわにする性質の様だ。
「それよりも父上の具合はどうだ。大分悪いと聞いているが。」
「はい。この二、三日はほとんどお眠りになっていますが、目を覚ますと、忠朝はいつ来るのかとおっしゃいます。まだお着きにならないと申しますと、力が抜けたようにまた眠ってしまいます。」
忠実はそう言って止まらない涙を拭き、忠朝を忠勝のもとに案内した。忠勝は眠り続けていた。忠朝は愕然とした。目の前に眠っているのは、あの無傷の猛将ではなく痩せこけた小さな老人であった。
「ち、父上、、、」
思わず、忠朝が声をかけると忠勝の眉毛がピクリと動いたが、目を覚ます様子はなく眠り続けた。中根忠実は忠勝、忠朝の親子を残して部屋から出て行った。忠朝にはその後ろ姿が、何か悲壮な決意を固めているように思え嫌な予感がした。続く
*冒頭のイラストは戦国画http://sengoku-gallery.com/よりお借りし、古写真加工をしています。
このたびはタイムマシーンで桑名城まで行かれての執筆、お疲れさまでございます。
そろそろ、久我原さんの口からでる言葉が「せっしゃ」とか「そなた」とかなっていないか心配です。
さて、ストーリー!!
いよいよ切ない時の描写ですね。
無傷の忠勝公がまるで子供みたいになって、死期が迫っているのでしょう。
って、読んじゃってますけど。
戦国の世も終わり、忠勝公のような武功派が中央から遠ざかっていくのも時代の流れ。
常に死と隣り合わせで人生を送った人々がいたからこそ、今の世があります。
忠勝公が整備した街並み。それが今に受け継がれていることを感じていたいです。
久我原さんの物語はフィクションといえ、ドラマ性があります。
私でもシナリオを読んでいるように細かく想像できます。
続きはどうなるのですか?
ほとんど知らなかったのに、ちょっと前に本多忠勝と大多喜城の夢を見ました。ジャンヌさんも出てきました。相当ですね。
そんな僕の適当な話の犠牲になった美沙さんが忠勝の夢を見たと言うのはちょっとうれしいですね。
早く書きたかった、実は書きたくなかった?
とうとう、忠勝の臨終の巻です。死ぬ数日前に怪我をしたというエピソード位しかなかったので、どうしようかと思いましたが、思い切って忠朝に桑名に行ってもらいました。物の本には忠朝が忠勝の臨終に立ち会ったと書いてあるものありましたが、確信がもてません。
桑名に忠朝が行けば、兄の忠政や忠古の父である家老の中根忠実にも会えるから、話も膨らみました。それで、、、おっとこの先は次回のお楽しみだ。
ところで今回の登場人物は
本多忠勝
本多忠政
本多忠朝
中根忠実
中根忠晴
中根忠古
と、みんな忠の字がつくのでややこしいですが、ジャンヌさんの迷編集で読みやすくなっていると思うのは僕だけでしょうか?
そういえば、僕も最近へんな夢を見ました。
なんと、日本の首都が北京になっているではありませんか!どうやら、過去に僕たちの知っている歴史とは違う物語があったらしいのです。
友人に聞きました。(場所はどこかは忘れましたが、東京以外)
「日本の首都って東京じゃないのか。」
「東京ってなんだ?」
僕が地図で示すと、
「ああ、そこか。それは江戸だ、ど田舎じゃないか。」
「そんなはずは無い。徳川家康が天下を取って、、、」
「何バカな事を。あれは謀反人じゃないか。」
「謀反人?しかし関ヶ原で西軍と戦って、、」
「関ヶ原で家康が戦ったのは織田信長公で信長公の大勝利だぞ。」
「???」
「信長公はその後、姫路の豊臣を滅ぼし、関東の抑えに伊達を置いた。信長公が皇位についてからは、伊達に本土を守らせ、明を攻め、その後、長い間かかって、明を征服して、日本の都を北京に移したんじゃないか。」
、、、
どうやら、織田信長が本能寺の変を行きぬいて、日本を伊達政宗といっしょに征服し、ついには天皇になり、中国までせめて行ったという話になっているようでした。その織田王朝が現在まで続いている。と言うことはスケートの織田信成は王子様という事になっているのか?、、どうかは知りません。
明け方に、変な夢を見たなと思い、思い出したら、こんな話になっていました。おそらく、寝ぼけながら、夢の話を膨らませてしまったのでしょうから、どこが夢でどこが起きてから考えた事かは良くわかりません。、、
これを元にもう一本、とも思ったのですが、織田信長が天皇になって明を攻めたとは想像上とはいえ、問題になりそうなのでボツにする事にしました。
なんのこっちゃという感じですが、、、
馬の口取りです!
覚えてますか?
いろいろありがとうございます