アイ!サラマッポ in バギオ

フィリピン人介護者のケアを受けながらの、フィリピンでのインディペンデント・リヴィング…、心の赴くまま、ここに記します。

コリー・アキノ元大統領…「安らかに。」

2009-08-02 09:18:18 | フィリピン-バギオ

 マルコス独裁政権を打倒した1986年の「ピープル・パワー革命」で大統領に就任し、フィリピンの民主化を進めたコラソン・アキノ元大統領が1日早朝、入院先のマニラの病院で逝去されました(享年76歳)。去年3月に結腸がんを患っていることを公表し、闘病生活を続けていました。
 夫は、83年8月21日、亡命先のニューヨークからマルコス政権打破のために帰国した際、マニラ国際空港で到着直後に暗殺された民主派のベニグノ(ニノイ)・アキノ(Benigno Servillano Ninoy Aquino Jr.)元上院議員。夫が暗殺されたのを契機に、反マルコス独裁政権の象徴的な存在として政治活動に入っていきました。
 夫のアキノ元議員暗殺でマルコス政権打倒の機運が高まる中、86年2月の大統領選に野党候補として出馬。議会はマルコス氏の当選を宣言しましたが、アキノ氏側は選挙に不正があったと抗議、当時の国防相らも反旗を翻し、マニラに数十万人の群衆が集結したピープル・パワー革命が起こり、同月大統領就任を宣言。21年間も政権の座に居座り続けたマルコス氏とイメルダ夫人は国外へ脱出したのです。このフィリピンでの劇的な政変の様子は世界中に放映され、夫の敵討ちをも果たしたコリー夫人の姿が印象に残っている方も多いでしょう。
 政権が長く続けば様々な不正が起こるのは世の常です。イメルダ夫人が
国外追放の際にマラカニアン宮殿に残したコレクションは、約3千組のシューズ、2千着のパーテイドレス、5百着の高価な下着、世界最高級の香水などの化粧品類、多数の未使用のハンドバッグetc.すべてオーダーメードだということです。政府が不正蓄財として差し押さえしている海外の預金や財宝の額は天文学的な数字であることは言うまでもありません。

 http://www.youtube.com/watch?v=0TtmZu-MJIU&feature=related
(1983年8月21日ニノイ・アキノ氏暗殺される。)

 http://www.youtube.com/watch?v=Srfn5yAUTb4&NR=1
(1986年2月25日ピープル・パワー革命の歌)

  
(1986年2月25日-中央やや右下にエドサの聖母マリア像が見えます。)

「コリー・Cory」という愛称で人々に親しまれていた故コラソン・アキノ元大統領。1986年の2月25日には、エドサ・Edsa Shrine周辺が、彼女のシンボルカラーの黄色のTシャツを着たり、黄色のハンカチ、リボンを持った人々で埋め尽くされ「闘い-Laban(タガログ語)」を表す「L」の文字を、親指と人差し指を広げて高々と掲げる映像が大変印象的でした。
 現在も、マニラの国際空港は「ニノイ・アキノ国際空港」の名前で呼ばれ、5百ペソ紙幣にもニノイ・アキノ氏が描かれています。長男のベニグノ・アキノ3世は上院議員、娘のクリス・アキノ(Kris Aquino)さんは、芸能界で人気マルチ・タレントとして活躍しています。
 大統領府は、即日アキノ氏の葬儀を国葬にすると発表しました。
「天国での安らかなお眠りをお祈りします。」

 http://blog.goo.ne.jp/isshin3_ph/e/e0adaefcfccea2a141af73290be56f46
(以前の記事-ピープル・パワー in 1986)

 私には、ミヤンマーで19897月に軟禁されてからも、ここ20年間ずっと、軍事政権に対して「非暴力・民主化」の運動を続けているアウンサンスーチー氏と重なることがあります。