アイ!サラマッポ in バギオ

フィリピン人介護者のケアを受けながらの、フィリピンでのインディペンデント・リヴィング…、心の赴くまま、ここに記します。

戦争の記憶と心の傷跡-フィリピンにおける太平洋戦争

2009-03-29 15:01:08 | フィリピン-バギオ

 私の父方の祖父は、1945年4月、このフィリピンのバギオ辺りで戦死したそうです。切り花農家で穏やかに暮らしていた祖父は、赤紙(召集令状)一枚で、激戦地フィリピンに赴き、パンガシナン州リンガエン海岸に上陸後、バギオに向かう途中で戦死したと祖母に聞かされています。もちろん、それも死亡通知だけで、遺骨も遺留品もありません。
 戦争の傷跡、犠牲といったものはあまりに大き過ぎます。

  2005年の東京国際映画祭で上映された『愛シテ、イマス。1941』というフィリピン映画のクライマックスの場面(ごく一部)を、最近たまたまテレビで見ました。フィリピンゲリラのスパイとして、女装し旧日本軍に潜入、情報を提供していたフィリピン人のゲイ(同性愛者)が、日本人将校のイチロウに恋をしてしまい、スパイとしての責務とイチロウへの恋との間で葛藤する、といった内容の映画らしいのですが、そこで描かれている旧日本軍の行為が目を覆いたくなるほど残酷なものなのです。日本の軍人もフィリピン人が演じていますから、言葉の微妙なニュアンスの違い、また、事実が多少誇張されて表現されている部分はあるにしても…。
 その映画は、リヴィングでテレビを見ていた二人の介護者が「アーイ…」と大声をあげて騒いでいたので、何があったのか尋ねると「バクラ(ゲイ-おかま)が日本人男性(イチロウ)と抱き合っている、終わりに近いシーンだったのです。が、その後、二人とも黙りこくってしまうほど悲惨な場面が流れていきました。そして「アナタも、ニホンジンね…。」と…。
 以前も、こちらのテレビで「オトウサン」という映画で、フィリピンの戦争孤児(男子)と旧日本軍将校の間に築かれていった、本当の父子関係のような絆が描かれていたのを見ましたが、その映画の冒頭の旧日本軍の行為はあまりに残虐でした。
 フィリピンでは、旧日本軍の占領下にあった「4年間」は、今でも、歴史の生き証人によって、映画だけでなく、いろいろな形で伝え継がれているのです。

 ここルソン島バギオ市は、真珠湾奇襲と同じ12月8日(1941)に、ジョン・ヘイアメリカ軍基地への空襲が始まり、1945年9月3日に山下奉文(ともゆき)陸軍大将が降伏した地でもあります。太平洋戦争の、フィリピンにおける始まりと終わりの地なのです。
 フィリピンでその財宝の行方が何かにつけ話題とされる山下陸軍大将は、戦時中の彼の行いに対する自責の念と自由を尊び平和を追求する新しい日本に対する理想を伝えるべく、遺言を残したとのことです。
「日本人が、(来るべき)自由社会の中で倫理的判断に基づいて義務を履行すること」「人類を破滅に導く科学ではなく、人類を不幸と困窮から解放するための手段としての科学の追求と教育」「人間教育における母(家庭)としての役割」の大切さ等が書かれているそうです。
 
そしてまた、日本の新しい女性像が次のように希求されています。
「平和の原動力は婦人の心の中にあります。皆さん、皆さんが新に獲得されました自由を有効適切に発揮して下さい。自由は誰からも犯され奪はれるものではありません。皆さんがそれを捨てようとする時にのみ消滅するのであります。皆さんは自由なる婦人として、世界の婦人と手を繋いで婦人独自の能力を発揮して下さい。」
 ファッシズム、全体主義とは何かを考えさせられる、ずしっと心に響く言葉です。「自由は、誰からも侵され奪われるものではなく、それぞれが、自分からそれを放棄しようとする時にのみ消滅する…。」
 それでも、太平洋戦争は勃発し、多くの悲劇を生みました。111万人のフィリピン人が命を落とし、フィリピンに派兵された日本人64万人のうち、約50万人が戦死したそうです。

 
(バギオ市の日本庭園でお参り-Japanese Friendship Garden)

 今日は、私の祖母の命日です。ご冥福を祈ります。
 祖父の戦死後、残された祖母は、悲嘆にくれながらも強く子供たちを育て、63年間戦争未亡人として、その生涯を全うしました。いつの時代でも、戦争の犠牲になるのは何ら罪のない一般市民なのです。

 先日『プーチンのロシア』というNHKスペシャルで、先の北京オリンピック開催中にロシア軍がグルジアに侵攻した時の事実と、その後のグルジアの大打撃と将来への葛藤(欧米側に付くかロシア側に付くか)について報じられていました。その中で、グルジア人の子供たちが、学校で涙をこらえながら作文を読んでいました。
「青い空に突然戦闘機が現れ、たくさんの爆弾が落ちてきました。私は夢かと思いましたが、本当のことで、逃げ回りました。」「あっちこっちで人がたくさん死んでいて…。」と、その様子がよみがえってきて、読むのを続けられなくなりました。その女子の作文のように「突然」、「思っても見ず」、平和な日常が破壊されるのが戦争なのでしょう。

 今、北朝鮮は、長距離弾道ミサイルを「人工衛星の実験」などとして発射台に設置していますが、一週間ほど前に国営放送の女性アナウンサーがいつもの強い口調で「我が国の人工衛星が撃墜されるようなことがあれは、それはすなわち戦争を意味するものだ。」と言っているのを聞いてぞっとしました。
 一体、いつになったら…。