【70才のタッチ・アンド・ブースト】ーイソじいの”山””遍路””闘病””ファミリー”ー

【新連載】 『四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ』

四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 12 写真は金剛頂寺から室戸市街地を振返る

2023-01-24 17:17:25 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 修業の道場(高知県)編
(12日目・5月2日)  旅館~26番札所 金剛頂寺→ホテルなはりへ国道をひたすら  
      歩く快晴。5:45起床、準備、朝食→7:15旅館さん出発→7:50接待 
      所民宿うらしま→8:35 26番札所 金剛頂寺9:10→9:40道の駅キラ
      メッセ 室戸10:50→13:40昼食(ドライブイン オハラ)  
      14:25→16:15ホテルなはり着、泊り。
 
 本日珍しく朝から快晴だが、やはり朝は肌寒い。本日は土佐湾東側を歩きに歩いた。
 寝覚めの微睡んでいるときにいろんなことが思い浮かんでくることが多い。今朝も
そうだった。四国で生活をされておられる方は、コロナ禍の今遍路に対してどういう
思いを持っておられているのだろうか。子供たちやとくにご高齢の方々からはよく挨
拶の声をかけていただく。しかし、本当に歓迎してくれているのだろうか、遍路がウ
イルスを持ってきたとか、クラスターを発生させていなかったのか、地元のメディア
からそんな報道はないけれど、どうだろう。本当は歓迎したくない方も少なくないの
ではないか、とにかく浮かれることなく歩こう、そんなことを何故かふと思いながら
出発の準備に取り掛かった。津照寺門前、室津漁港に面した旅館さんでは気が通じ合
うような、安心・やすらぎのもてなしをして頂き、朝食時のお接待の小夏もとてもお
いしかった。
 歩き始めて朝から多くの地元の皆さんに挨拶を頂いた。30分ほどで26番 金剛頂寺
への登り口についた。その入り口にある民宿喫茶うらしま は2000年の自転車遍路の
時に甲の浦に真夜中に着いて24番25番と参り、走りに走って朝食を食べたところ。店
は改築しているが懐かしかった。しばらく歩くと遍路道の山道と舗装道路との分岐
で、前回ここで金色の納札の名古屋からの自転車遍路さんと出会い怒りっぽいけど人
の好い方だったこと、ここで自転車を止めておいて歩いて登ったことなど、懐かしい
思い出。今回は歩きなので26番にお参りし、室戸岬と室戸市街地を撮影した後、登り
口と異なる先の道へのショートカット道を降りた。国道に合流したところは、道の駅
キラメッセ 室戸。多くの田舎の道の駅と同じように地元の人たちが野菜を持ち寄り賑
わっていた。休憩していると御高齢の上品な夫人が声をかけてきた。
 「どちらから来られましたか?」
 「大阪です。」
 「通し打ちをされておらるのですか?」
 そこで22日以降のこと、焼山寺での打ち直しのことなどを話したら、
 「私は、20回以上回ってます。但し通し打ちは2回だけですけど。歩き遍路さんに
 出会いますと本当に懐かしくてほっとするんです。お接待をさせて下さい。」
 とおっしゃられて500円のお接待をいただいた。丁重にお礼を言い納札を渡した。
自らお名前(N子さん)を言われ、御歳は80歳とのこと。こんな時は、朝のもやもや
感もすっきりする。
 さて、先々の都合上ここからは、ひたすら歩きに歩いた。腰も重く痛くなってくる
ほど。左手に土佐湾東側が迫る国道55号線が遍路道。いい加減腰の重い、じわじわ痛
に悩まされる中を16:15に本日の宿泊地、ホテルなはり に到着。ここまで今回は路
線バスも使っての3日間の行程だったが、20年前に自転車で来た時に甲の浦から、ほ
とんど同じ道を1日でやってきたホテル。懐かしいのとやっと着いてほっとしてフロ
ントでそのことを話すと、
 「すごいですね。」
 と。そう、50才代のころはすごかったのだ。ホテルの露店風呂からは明日登る心に
残った27番神峯寺(こうのみねじ)の稜線がよく見え、部屋に戻った時に写真に収め
た。
                    (本日、41,706歩  歩行、29,1Km)

(室津漁港の朝)

(金剛頂寺への歩き遍路道にて)

(金剛頂寺遍路道での山門)

(金剛頂寺本堂)

(境内から、振り返り室戸岬を望む)

(道の駅キラメッセ室戸、心のこもったお接待を頂いた)

(思いで多いホテルなはり)

(明日登る神峯寺を頂く稜線)



四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 13 写真は神峯寺への歩き遍路道登り口

2023-01-23 00:49:48 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 修業の道場(高知県)編
 (13日目・5月3日) ホテルなはり~27番 神峯寺~28番 大日寺~遊庵 H460m 
         の登山と土佐くろしお鉄道に初めて乗って高知市内へ
   5:45起床、準備、朝風呂→7:05朝食→7:55ホテルなはり発→8:05土佐くろしお鉄道
奈半利駅→8;45唐の浜(神峯寺への登山道)→10:05 27番札所 神峯寺→11:25神峯寺
発→12:20土佐くろしお鉄道 唐の浜駅着→12:42唐の浜駅発→13:54のいち駅着→14:15
昼食→16:15 28番札所 大日寺(道迷いの挙句地元のご婦人に車で送ってもらう)
→16:50ハウス着・泊

 起床後すぐにホテルの露天の朝風呂に入浴。さっさと朝食を食べ、8時前にはホテ
ルなはりを出発した。本日も快晴。本日は行程が長いので、唐の浜~のいち間は土佐
くろしお鉄道を使用した。唐の浜駅からは駅前広場から見えている神峯寺、神峯神
社、展望塔(H569.8m)へと続く舗装道路を登りだす。神峯寺は標高430mを距離約
4Km、平均10%で登る。最初は穏やかな登りだが徐々に傾斜も厳しくなってきて、車
道から山道の遍路道が分岐する地点では結構急な斜度になってくる。この分岐点も自
転車遍路の時に自転車をここに置いて、歩いて登った。前回と変わらず『マムシに注
意』の看板が出ており、何と今回は数歩あるいたところに体長40cmくらいの赤マム
シがいた。足元もカジュアルサンダルであり、本日は好天だけれどやはり遍路道は断
念して舗装道へ。標高350m位以上からはかなり急坂となり、自動車もスリップしてい
る。2時間で何とか登り切った。
(神峯寺境内と神峯の水)

 自転車遍路の時には寺の庭園が素晴らしく、紫陽花の花が見事で神峯の水と呼ばれ
る湧水がさわやかで、とても印象深い寺だった。今回はまだ開花していないのか、株
が少なくなったのか、紫陽花のウェルカム・ブロッソムは見られなかったが、端正に
手入れされた庭は変わらずで20年の年月が寺と周りの山をより一層シンクロさせてい
る。納経所の前にきれいな善根宿ができていた。自転車の時は、真夏で暑い中、納経
所で聞かれたので「自転車遍路です」と答えると、「お接待です」と言われ、よく冷
えたスイカを頂いた。その後夫人に再会できるか楽しみにしていたが、お会いするこ
とはできなかった。きれいな境内を廻り、お参りを済ませてもう一度善根宿を見て、
また来ることがあれば利用させて頂こうと思い、下山した。
(神峯寺の奇麗な善根宿)

 唐の浜駅までの下りは55分だった。神峯寺から次の大日寺まで約40km、歩きだと1
日半要する。唐の浜駅から、のいち駅までくろしお鉄道で1時間12分なので、土佐く
ろしお鉄道を利用し、一気に高知市内へと向かうこととした。
 14時前にのいち駅着。近くにスーパーマルヤスがあり、フードコートで焼きそば定
食の昼食。食後28番札所 大日寺を目指した。ところが道に迷いに迷い、挙句車の車
庫入れをしていた女性に場所をきくと丁寧に教えてくださったのだがよくわからな
い。それではとスマホで地図を示してくれたけれどますますわからなくなってきた。
 それではと大日寺まで送ってくれるという。ありがたくお接待と思い、送って頂い
て無事大日寺につくことができた。私は、地図は北が上になっている地図を見て、方
角や地形をイメージして動くという認知機能で、どこへ行っても道迷いや方向を外す
ことはない。山のサークルでも道探し、方向定めでは頼りにされている。ところが北
が上でないとイメージがぐちゃぐちゃになって方向が分からなくなりパニックになっ
てしまう。南半球へ行ってもやはりパニクってしまう。遍路地図は、まさに『道迷い
地図』。これは批判ではなく私の認知機能の問題だと思うので、実際は詳細に情報が
書かれ、必携の地図であるとは思いますが。
 28番札所大日寺駐車場まで送っていただいた後、大日寺のお参りを済ませた。自転
車遍路で来たときは、古い里寺という思い出だが、今はきれいに改築されている。里
寺と思っていたが、小高い里山にあるし、周囲の街並みも奇麗になっている。
 本日宿泊のハウスは住宅街の中にあって、きれいに黄色く塗られた普通の2階建て
住宅でB$B(Bed and Breakfast)の雰囲気。ご夫妻(だと思いますが)で経営しておら
れているが、“お宿”と言ってはおられるが、ボランティアかお接待かと思うほど細や
かなお心遣いのおもてなし。まったくアットホームの雰囲気でホッとする。おまけに
夕食のおかずは豚の生姜焼きに鯵のフライ、野菜煮物他の家庭料理。料金は1食分か
と思っていたら朝食はお接待とのこと。
 宿泊の部屋は2階の3部屋のようで、最大4人収容か。本日は神奈川から来た男性の
若者と私と2人で、彼も通し打ちを目指していて、1番からずっと歩いてきているとの
こと。明日も歩く日なので、エールを交換して、早く就寝した。
        (本日移動距離約47.5km、 うち歩行30,754歩  歩行22,5km、)

(朝の奈半利の街並み)

(神峯寺境内から麓、土佐湾を望む)

(土佐湾に沿って走る、土佐くろしお鉄道)

(大日寺山門)

(大日寺境内)

(ハウスのアットホームな夕食)

四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 14・15 写真は松尾大師堂(接待所)

2023-01-22 22:25:50 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 修業の道場(高知県)編
(14日目・5月4日)小さなお宿ハウス~松本大師堂(接待所)~29番 国分寺
         ~30番 善楽寺~ホテル・サンピア セリース泊
   5:00起床、準備、朝食→7:00出発→9:00松本大師堂接待所9:20→10:20 29番札所 国
分寺(在所の賑わいの里寺)11:00→12:50 30番札所 善楽寺、昼食14:20→15:00ホテ
ル サンピア セリーヌ泊り。

 快晴。朝食は昨日から引き続いてのファミリームードの朝食を頂く。ご夫妻ともま
だお若く、失礼ながら今までのいくつかの遍路宿の『ばあちゃん大女将』などではな
く、ご主人もまだひょっとして現役バリバリで仕事をしておられるのかなあといった
感じだった。本日は5月4日の祭日で、在宅されているのかなあとも思う。朝食はお接
待とのことで、ご夫妻の心優しさに改めて感激する。 
 私のゼッケンの“NO WAR”の話題にもなり、戦争は絶対悪、絶対反対の思いを共有
する。神奈川の青年は先に出発し、昨日の話では歩きで通し打ちの予定とか。かなり
健脚のご様子で、若者パワーがうらやましい。私は、マイペースで準備をととのえ、
お礼を言って出発。出発前におしゃれできれいに黄色に塗られたハウスの建物を撮
影、私自身も撮影していただき、「お気をつけて」の声に送られ出発。
(明るくおしゃれなハウス)

(出発前の記念撮影)

 さて、やはり南北上下方向ばらばらの地図に悩まされて、うまくイメージ通りに歩
けないけれどなぜか、なんとか松本大師堂に着いた。この大師堂は簡単な屋根付きの
町内の人が寄りあうような場所になっていて、朝9時というのに10人以上の方が寄っ
ておられた。
 すでに歩き遍路さん3人が先客で、一人の方は私と入れ違いのように出発され、一
人は外国人のIT技師ともう一人は女性の歩き遍路さん。在所の方が集まりお茶やコー
ヒ、紅茶、いろんなお菓子を接待してくれている。在所の方は和気あいあいと話し合
いながらお遍路さんとも話を楽しんでいる。地元の人は若いころに就職とかで京阪神
に行かれて、特に大阪と何らかのつながりのある人が多く、地名などよくご存じ。歩
き遍路さんは関東からの人が多く、外国人はやはりドイツ人が多いとのこと。次から
次へと入れ代わり立ち代わり地域の人がやってきて楽しいひと時。中心になっている
のはご夫妻の方のよう。
 「去年の今日は一日で7名の歩き遍路だったけれど、今年は今でもう9人。」
 と、賑わいが戻ってきて嬉しそうだった。以前は外国人が日本人より多かったとか
外国人はドイツ人が一番多いとか、最近は中国人の方が多いかもしれない、とか、い
ろんな話をしてくれた。接待所にいて一緒におしゃべりをしていた女性、外国人(国
籍は聞いていないが黒人の方だった)に続いて私も出発するまでに別の遍路さんもや
ってきた。出発して農道をしばらく行くと軽自動車が停車し、中から男性の方がお接
待と言って小分けしてパック入りにした“おこわ”を出してきた。今から接待所へもっ
ていくとのことで、ありがたく頂戴し、納札を渡した。
 やがて29番札所 国分寺着。かなり道は遍路地図ではわかりづらかったが、にぎやか
な都市部なので、行きつ戻りつで何とか。ここ高知県の国分寺は在所の人が集まる賑
わいの里寺。このあたりから遍路地図の番号が変わり北が上になった。さすがに道と
方向のイメージがわいてきて道迷いすることがなくなった。
 
(上2枚は、国分寺境内風景。)

 国分寺から30番札所 善楽寺を目指しながらいろいろと考えた(朝からだけど)。
歩き遍路をしていると、体力(健康)もメンタル(健康)も社会的諸条件(資金、仕
事、社会活動等)も“目、一杯いっぱいを今生きている”実感がずっしりとくることが
ある。この贅沢が自分に許されていることに感謝して、浮かれることなく地に足付け
た生き方をしようと、真面目に思うようになってきた。高知での断酒会の参加も、プ
レスリリースなどの当初思っていた“受け狙い”はサッパリと辞めて自然体で素直に生
きようと思っている。
 蒲原の遍路休憩所や銀行の野球グランド過ぎて、坂を上り詰めたら予想通り自転車
遍路の時にあえぎあえぎ、ついには押して上った逢坂峠への県道に出た。30番札所 善
楽寺はもうすぐ。やがて善楽寺に到着。お参りと納経を済ませると、松尾大師堂を先
に立った外国人と再会し、彼もいただいたお接待の“おこわ”の昼食を食べるというの
で、ベンチに並んで食べた。足を痛めているようなので、私のカジュアルサンダルを
見せると“Good Idea”とのこと。
(蒲原の遍路休憩所)

(善楽寺境内にて)

 昼食後、彼と別れて再び歩き出し高知市内も徐々ににぎやかな地域になってきて、
やがて本日の宿泊所ホテル サンビア セリーヌにチェックイン。このホテルを確保す
のに難儀した。連泊と4日は1泊2食が条件とのことで、5日は“遍路価格”とのこと。
連泊は予定外だったけれど、野宿の場所もなく、ネットカフェもゆっくりできずでや
むなく連泊として、明日は遍路をオフにして、レンタサイクルで明後日の宿泊所に荷
物を運んで明後日は身軽でたくさん歩く予定。それ以外に明日は溜まったタスクをこ
なすのに有効に利用しようと戦術変更。
 
                  (本日、37,690歩  すべて歩行、26,3km)


(15日目・5月5日)  オフ中閑話‐その2
    本日は久しぶりのリラックス日で、溜まってきている用事をクリアしようその前に
明日から“怒涛の歩き3日間”なので宿泊予定の春野のホテルにレンタサイクルで不急の
荷物を運んでおこう、ということで、まずJR高知駅へ。観光案内所で無料のレンタサ
イクルを借りて春野へと向かう。
 遍路道ではなく近い道を、と女性に道を聞いてその通り行ったのはよいが、それが
かなりのアップダウンで、トンネルもありその入り口でコース案内の看板を見ている
と、地元のハイカーの女性が『ここはハイキングコースの登り口』『ようこんなとこ
ろまで自転車で』という道だった。
 帰りは目的地のホテルのスタッフに桂浜と市内をつなぐ道を教えてもらい、比較的
簡単に帰ってきた。高知駅にある懐かしの『王将』で夜食のテイクアウト、コンビニ
で間食を仕入れてホテルに戻ると18時で、結局何もできず。
 最近思うことは、どう表現していいかまだよくわからないけれど、“今、体力もメン
タルも社会的諸条件も、目一杯に生きている。幸せなこと”という実感。なんとな
く“邪(よこしま)なことや、打算的なこと”そんなことが思い浮かばない感じがす
る。体力も、メンタルも一杯だからなのか、一杯といっても今のところ限界という一
杯でもなく、フルスロットルしてるという方が近いかもしれない。明日からの怒涛の
歩き3日間、考えてみよう。

四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 16 写真は竹林寺への歩き遍路道での古地蔵

2023-01-21 14:13:03 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 修業の道場(高知県)編
(16日目・5月6日)  サンビア セリーヌ~31番札所 竹林寺~34番札所 種間寺~
         ホテルSP 怒涛の歩きの1日目
 6:00起床、準備、朝食→7:40発→8;40 31番札所 竹林寺9:30→竹林寺小学校→11:30 
32番札所 禅師峰寺12:00→14:10渡船14:15→14:30 33番札所 雪蹊寺15:00→16:20 34
番札所 種間寺16:45→17:45ホテルSP泊
 本日は薄曇り後快晴。朝食は昨日買い込んだコンビニでの行動食のロールケーキ
で、ホテルでは食べず休憩中に食べようと思い持ち歩いた。
   五台山竹林寺(H120m)への遍路道は意外と時間がかかったが、山道となって古道を
登って行ったら自然と牧野植物園の中に入っていく。自転車遍路の時には植物園には
寄らなかったが、今回は竹林寺に行くには通らなければならず、見学しながら竹林寺
へ向かうと植物園入り口ゲートに着き、そこから逆に外へ出る。前回は五台山全体が
墓地公園のような感じだったが、今は全体が植物園のようで市民の憩いの場や観光地
としても整備されている。四国出身の植物学者牧野先生の業績を記念して作られた植
物園ということで、植物学の実習、研究施設なども整備されている。
 
(牧野植物園の中を通って)
(竹林寺本堂)

 竹林寺のお参りと納経を済ませ、32番 禅師峰寺へ向かう遍路道の山を下りてすぐ
に五台山小学校があり、校門前に児童たちと遍路との交流メッセージやり取りのコー
ナーがあった。外国人の遍路が多いのか、子供たちの優しい微笑ましいメッセージが
沢山あり外国人の遍路が英語でメッセージやリスポンスを書いていたりする。私
も“The WAR is ABSOLUTE IVIL”“RESPECT HUMANRIGHTS”(イソじい 大阪府 73
才)と書いておいた。見てくれるかなあ。リスポンスはあるかなあ。
 禅師峰寺へ向かう途中、武市半平太の旧家があった。武市半平太は幕末土佐藩の上
士で官僚であったと思うが、その割には旧家はかなりくたびれている。きっと約200
年前に建立された家がそのまま残っているのだろう。幕末の歴史のワンシーンに触れ
る思い。旧家から少し行くと高知市をちょっとはみだし南国市へ入るトンネルがあり
そこを抜けると、大きな池がある。自転車遍路の時の景色と同じだけれど、その時は
蓮の花が見事だった。今回は全くない。ハスの群生がある年に全く無くなってしまう
ことはよくある、という話は聞いたことがあるが、そうなのかなあ。
 
(武市半平太の旧邸。歴史のワンシーンのよう)

 しばらく行くと土佐湾に面した 32番札所 禅師峰寺(H82m)。前回も気になったけれ
ど寺から浜辺を見るとビニールハウスが沢山ある。葉から見ると“らっきょ”かな
あ“ニンニク”かなあと思っていたが、寺を降りて地元の人のきくと、
「らっきょはやってない。ショウガやしし唐の近郊野菜。」
とのことだった。それに、前回来た時には圧倒的な存在感のある猫がデーンと構えて
いたが、今回もそれに替わる猫が居られるかなあ、と少し期待していたがふつうの猫
が2匹のんびりとしていたが、デーンと構える猫はいなかった。
(禅師峰寺の境内)
 
(禅師峰寺境内から土佐湾を望む)

 次の㉝番をめざして歩いていると、ご婦人がバイクで追い越しざま、
 「お遍路さん、ご苦労様です。気を付けて。渡船に乗っていってください。」
 と言って、黒糖飴2個をお接待で頂いた。お礼を言う。前方に大きな浦戸大橋を眺
めながら私が、
 「この細長い半島のようなところは埋め立て地ですか?」
 と聞くと、自然地形とのこと。13:55に渡船乗り場着。14:10発にジャストタイム。
待合にはご夫婦の歩き遍路さんが待っておられて、そのうちバイクの地元の方、女性
の歩き遍路さんがやってきた。5分で対岸着。5分間だけだったけれど、浦戸湾内側の
風景とそこで暮らす皆さんの生活の風景をたっぷりと見させていただいた。下船時に
渡船の運航をして頂いている所謂船頭さんに納札を渡そうとしたけれど、『仕事です
から』と言って受け取ってもらえなかった。渡船の料金は無料。
(渡船から見る浦戸大橋と浦戸湾内)
(渡船降り場)
(渡船を降りるとすぐに、”酔鯨” の蔵元が)

 14:30 33番札所 雪蹊寺着。雪蹊とは四国の猛将長宗我部元親の戒名で、この寺は長
宗我部家の菩提寺。関ケ原の戦い以降、土佐は山之内一豊とお千代さんが領主とな
り、それまでの有力地方武士長宗我部家が、微妙なというか弾圧される立場になりな
がら、元親の戒名を寺名に冠したのは、地元の教育やらで貢献し住民に大いに慕われ
た僧 月峰(げっぽう)さんの貢献によるとのことを自転車遍路の時に納経所のご婦人
に教わったけれど、今回は同じご婦人ではなかったし、種間寺への時間も微妙になっ
てきたので、納経所で少し話して種間寺へと向かった。
(由緒ある 雪蹊寺の門。里寺で山門ではない)

 急いで歩いて、16:20 34番札所 種間寺着。弘法大使が種を在所の人たちに施したと
の言い伝えがある。納経を済ませていると、ご夫婦の歩き遍路さん、女性の歩き遍路
さんもやってきた。付近に宿泊施設はないので、約2Km先の春野総合運動公園内の、
昨日荷物を運んでおいたホテルSPに道迷いしながら17:45に到着。その途中には現役
時に出張で訪れたK信用金庫の威厳のある本部施設の横を偶然通り、懐かしい思いを
した。いずれにしてもここでも南北方向ランダムの地図でパニクりながらのゴールイ
ンであった。
(種間寺の境内。里寺で、ほっこりして休まるお寺)

                  (本日、52,820歩 すべて歩きで、36,9km)


四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 17  写真は 清滝寺への遍路道での古仏

2023-01-20 00:37:41 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 修業の道場(高知県)編
(17日目・5月7日) ホテルSP~35番札所 清滝寺~三陽荘~36番札所 青龍寺 
           いよいよ足摺に向けて歩きだす。そして様々な出会いと、
         懐かしい風景。
 6:00起床、準備、朝食→8:40発→11:20 35番札所 清滝寺(きよたきじ)
12:15→16:10三陽荘→16:30 36番札所 青龍寺(せいりゅうじ)16:55→17:05三陽荘
泊り

 晴れ後快晴。本日怒涛の歩き2日目。昨日の道迷いのおかげで本日はスムーズに歩
けた。とはいえずっと県道、国道の交通量が多い道路で、あまり快適ではない。やが
て仁淀川、清流で自転車遍路の時はしばらく橋上で止まって、上から川で魚を取って
遊んでいる子供たちを見ていたの思い出す。10:00前に仁淀川大橋を渡り順調だった
が土佐市の街中に入ってからが大変。
(仁淀川大橋を渡る)
(仁淀川は河口近くでも清流)

 遍路道の案内看板がほとんど見当たらず、山の中腹に清滝寺は見えてはいるのに。
地元の人に道を聞いて11:20に何とかたどり着いた。標高100m程度の遍路道を登った
ところの山門では、私と同年配と思われる男性が石段の掃除をしておられた。先方か
ら、
 「どこから来られました?御歳はいくつですか?通し打ちですか?」
 しばらくいろいろと話していると
 「私は、徳島で仕事をしていましたが、この寺が好きでこちらへ移ってきま
した。」
 とのこと。清滝寺には平和観音という新しいけれど立派な観音像が境内に建立され
ている。その観音像の後光が太陽の当たり具合で黄金に輝くという。今日は天気がい
いから見られると思う、と言われるので見に行くと、なるほど時計でいうと1時から
5時くらいの部分が太陽の光を反射させ、黄金に輝いているように見える。お礼を言
い、これからの通し打ちの予定を言って、青龍寺を目指した。お詣りを済ませ、平和
観音様の後光を見て、境内で佇んでいるとしばらくすると男性が再びやってきて、
 「お遍路さん。無理には言いませんが、失礼かもしれませんが青龍寺までお送りし
ましょうか。私は足摺の金剛福寺まで、お送りしたこともあるんですよ。」
 と、言われた。清龍寺までは15Km以上ある。しかし、車に乗せていただくという
のは遠慮してもいいことになっているので、丁重にお断りした。仕事はリタイアされ
ているが、遍路との触れ合いをとても大事にされている。思いやりに感謝。
(清滝寺山門にて)
(清滝寺の境内)
(清滝寺の平和観音。後光が金色に?)
(清滝寺境内から土佐市街、土佐湾遠望)

 青龍寺を目指して土佐市街を抜けると、また遍路地図に悩まされる。地元の方に道
をお聞きして確かめつつ歩いていると、後ろから40代前半位に見える歩き遍路さんが
追い付いてきた。彼も道悩まされの“ご同病”やはり北が上になって書かれていないと
イメージが大きく狂う。お互いマイペースで、というルールーを守りながらも、しば
らくの区間同行した。島根県からきて明後日までとのこと。今回は室戸半島東側の番
外霊場の鯖大師のある鯖瀬からスタートして、全部歩き通しているとのことで大変御
健脚。やはり山が好きで中国山脈はほとんど踏破しているそうだ。私は大山と蒜山、
それと近畿圏かもしれんけど氷ノ山、扇の山などと話も弾んだ。ずっと県道を歩いた
が、塚地の休憩所から彼は山道の峠越えというので、そこで別れた。謙虚で優しそう
な人だった。私の“通し打ち作戦”を話していると、参考になります、と言ってくれ
た。
 やがて、土佐市も南西の端となる宇佐町に入り宇佐大橋を超えて本日宿泊の海辺の
三陽荘に着。立派な旅館だ。荷物を置いて、先に近くにある青龍寺に参る。古刹であ
った。
 
(青龍寺への遍路道にて)
(青龍寺山門)
(青龍寺の民衆の歴史を感じる境内)

 観光地にもかかわらず、摩耗した古仏が寺に落ち着いて並んでいる。清滝寺は
清滝が落ち、宇佐町のシンボルは青龍寺の名前にあるように Dragon で、青龍寺にも
竜神が祭られている。竜は水神のシンボルで、この地方は雨水が少なく、雨乞いなど
で寺が在所のコミュニティセンターだったのだろう。お参り後三陽荘に戻り、宿泊の
チェックイン。
(本日の宿泊所 三陽荘の立派な夕食の一部)
            (本日、45,511歩。  すべて歩きで、31,8Km)