【70才のタッチ・アンド・ブースト】ーイソじいの”山””遍路””闘病””ファミリー”ー

【新連載】 『四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ』

四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 8 写真は 民宿ちば さん駐車場にて

2023-01-30 16:09:14 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 発心の道場(徳島県)編
   (8日目・4月28日) 18番札所 恩山寺~19番札所 立江寺~ふれあいの里さかもと

 晴れ。 6:00起床・朝食・談笑→7:20発→7:50 18番札所 恩山寺→10:00 19番札所 立
江寺10:40→途中、遍路休憩所など立ち寄る→13:50昼食(ジビエレストランで鴨肉う
どん)14:35→14:50道の駅“ひなの里”15:30→15:45ふれあいの里 さかもと泊
 朝、“NO WAR 戦争は絶対悪”“RESPECT HUMANRIGHTS 人権の尊厳”のゼッケン
を安全ピンでとめてやっとみられるようになったので、民宿 のご主人に写真を撮って
もらう。ご主人自身も記念に撮っておきたいとのことで被写体了解。朝一の18番 札
所恩山寺の納経所のご婦人が達筆で写経をしておられた。納経をして頂いたが、今ま
で何気なく見ていたのだが、それぞれ個性があり、この方は梵字にしても美しく書か
れるのだなあと内心感銘して見ていた。  
 ゼッケンのことに触れられ、しみじみと『戦争は絶対にしてはいけませんねえ』
と。
 恩山寺から19番札所 立江寺への道にきれいな『お遍路休憩所』があり、立ち寄っ
てノートに英語でコメントを残しておいた。立江寺を過ぎてしばらく行くと道の北方
の山に地肌がむき出しのところがあり、20年前の自転車遍路の時にも見た景色が残っ
ていた。以前もあれは自然災害の崩落か、砂利採集などの乱開発か。いずれにしても
癒される景色ではない。県道や工事中道路など歩いているうちに、『真稔へんろ道』
などの案内が出ており、そちらの方を歩くと古道ではないけれど歩き遍路が歩きやす
いように山中につけられた道のよう。しばらく結構な距離の遍路道を歩き、県道に出
てやっとあった食事処。ジビエ料理のレストランで鴨肉うどんを頂いたが、美味しか
った。
 ご主人(オーナーさんと思うが)が挨拶にこられて、まだお若そうに見えたんだけ
れど30年ほど前には大阪で調理師をされていて、こちらへ移住とのこと。遍路日目以
降、昼は行動食のはずだったが、この工程は道の駅”ひなの里”があり、道中何軒か食
事所があると楽観していたが、実際はジビエ料理レストランまで何もなく、飢えに耐
えて遅い昼食だった。
 ひたすら歩き、道の駅から本日の宿泊所”ふれあいの里坂本”に電話をすると車で迎
えに来てくれる。本日宿泊の ”ふれあいの里 坂本”(地名)は、廃校になった小学校を
きれいに改築し農村体験型施設・おへんろさん大歓迎をキャッチフレーズに、在所坂
本の住民の皆さんが過疎対策、Uターン対策などで共同運営されている。本日担当の
ひとりに若い女性がおられて、京都の大学にいて、Uターンで戻ってきたとのこと。
楽しそうに仕事をしておられた。他のスタッフは地元の方。同宿は男性二人と女性一
人で女性は大阪出身で長野に移住し、鍼灸師をしており今回は明日が最終日というこ
とで、ここまでの行程を尋ねたら彼女もまたなかなかの健脚だった。歩き遍路の人
は、健脚の人が多い。
 明日は20番 鶴林寺、21番 太龍寺を回り、そのあと阿南市に住む大学1年後輩で学
術系サークルの部長をしていた一言居士で論客のKちゃんと会い、いよいよ発心の道
場(徳島県)も最終直前になる。

(民宿の夕食。客は私一人で心のこもった夕食に心より感謝。)

(遍路への出で立ち。)
(朝の静寂の18番札所 恩山寺)



(19番札所 立江寺山門)
(お遍路休憩所。英語でメッセージを残してきた)
(ジビエレストランで、鴨うどんの昼食)
(ちょっと痛々しい景色。20年変わらず)
(ふれあいの里坂本)
(部屋から校庭を眺める)
(教室がリニューアルされたきれいな客室)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿