【70才のタッチ・アンド・ブースト】ーイソじいの”山””遍路””闘病””ファミリー”ー

【新連載】 『四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ』

四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 16 写真は竹林寺への歩き遍路道での古地蔵

2023-01-21 14:13:03 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 修業の道場(高知県)編
(16日目・5月6日)  サンビア セリーヌ~31番札所 竹林寺~34番札所 種間寺~
         ホテルSP 怒涛の歩きの1日目
 6:00起床、準備、朝食→7:40発→8;40 31番札所 竹林寺9:30→竹林寺小学校→11:30 
32番札所 禅師峰寺12:00→14:10渡船14:15→14:30 33番札所 雪蹊寺15:00→16:20 34
番札所 種間寺16:45→17:45ホテルSP泊
 本日は薄曇り後快晴。朝食は昨日買い込んだコンビニでの行動食のロールケーキ
で、ホテルでは食べず休憩中に食べようと思い持ち歩いた。
   五台山竹林寺(H120m)への遍路道は意外と時間がかかったが、山道となって古道を
登って行ったら自然と牧野植物園の中に入っていく。自転車遍路の時には植物園には
寄らなかったが、今回は竹林寺に行くには通らなければならず、見学しながら竹林寺
へ向かうと植物園入り口ゲートに着き、そこから逆に外へ出る。前回は五台山全体が
墓地公園のような感じだったが、今は全体が植物園のようで市民の憩いの場や観光地
としても整備されている。四国出身の植物学者牧野先生の業績を記念して作られた植
物園ということで、植物学の実習、研究施設なども整備されている。
 
(牧野植物園の中を通って)
(竹林寺本堂)

 竹林寺のお参りと納経を済ませ、32番 禅師峰寺へ向かう遍路道の山を下りてすぐ
に五台山小学校があり、校門前に児童たちと遍路との交流メッセージやり取りのコー
ナーがあった。外国人の遍路が多いのか、子供たちの優しい微笑ましいメッセージが
沢山あり外国人の遍路が英語でメッセージやリスポンスを書いていたりする。私
も“The WAR is ABSOLUTE IVIL”“RESPECT HUMANRIGHTS”(イソじい 大阪府 73
才)と書いておいた。見てくれるかなあ。リスポンスはあるかなあ。
 禅師峰寺へ向かう途中、武市半平太の旧家があった。武市半平太は幕末土佐藩の上
士で官僚であったと思うが、その割には旧家はかなりくたびれている。きっと約200
年前に建立された家がそのまま残っているのだろう。幕末の歴史のワンシーンに触れ
る思い。旧家から少し行くと高知市をちょっとはみだし南国市へ入るトンネルがあり
そこを抜けると、大きな池がある。自転車遍路の時の景色と同じだけれど、その時は
蓮の花が見事だった。今回は全くない。ハスの群生がある年に全く無くなってしまう
ことはよくある、という話は聞いたことがあるが、そうなのかなあ。
 
(武市半平太の旧邸。歴史のワンシーンのよう)

 しばらく行くと土佐湾に面した 32番札所 禅師峰寺(H82m)。前回も気になったけれ
ど寺から浜辺を見るとビニールハウスが沢山ある。葉から見ると“らっきょ”かな
あ“ニンニク”かなあと思っていたが、寺を降りて地元の人のきくと、
「らっきょはやってない。ショウガやしし唐の近郊野菜。」
とのことだった。それに、前回来た時には圧倒的な存在感のある猫がデーンと構えて
いたが、今回もそれに替わる猫が居られるかなあ、と少し期待していたがふつうの猫
が2匹のんびりとしていたが、デーンと構える猫はいなかった。
(禅師峰寺の境内)
 
(禅師峰寺境内から土佐湾を望む)

 次の㉝番をめざして歩いていると、ご婦人がバイクで追い越しざま、
 「お遍路さん、ご苦労様です。気を付けて。渡船に乗っていってください。」
 と言って、黒糖飴2個をお接待で頂いた。お礼を言う。前方に大きな浦戸大橋を眺
めながら私が、
 「この細長い半島のようなところは埋め立て地ですか?」
 と聞くと、自然地形とのこと。13:55に渡船乗り場着。14:10発にジャストタイム。
待合にはご夫婦の歩き遍路さんが待っておられて、そのうちバイクの地元の方、女性
の歩き遍路さんがやってきた。5分で対岸着。5分間だけだったけれど、浦戸湾内側の
風景とそこで暮らす皆さんの生活の風景をたっぷりと見させていただいた。下船時に
渡船の運航をして頂いている所謂船頭さんに納札を渡そうとしたけれど、『仕事です
から』と言って受け取ってもらえなかった。渡船の料金は無料。
(渡船から見る浦戸大橋と浦戸湾内)
(渡船降り場)
(渡船を降りるとすぐに、”酔鯨” の蔵元が)

 14:30 33番札所 雪蹊寺着。雪蹊とは四国の猛将長宗我部元親の戒名で、この寺は長
宗我部家の菩提寺。関ケ原の戦い以降、土佐は山之内一豊とお千代さんが領主とな
り、それまでの有力地方武士長宗我部家が、微妙なというか弾圧される立場になりな
がら、元親の戒名を寺名に冠したのは、地元の教育やらで貢献し住民に大いに慕われ
た僧 月峰(げっぽう)さんの貢献によるとのことを自転車遍路の時に納経所のご婦人
に教わったけれど、今回は同じご婦人ではなかったし、種間寺への時間も微妙になっ
てきたので、納経所で少し話して種間寺へと向かった。
(由緒ある 雪蹊寺の門。里寺で山門ではない)

 急いで歩いて、16:20 34番札所 種間寺着。弘法大使が種を在所の人たちに施したと
の言い伝えがある。納経を済ませていると、ご夫婦の歩き遍路さん、女性の歩き遍路
さんもやってきた。付近に宿泊施設はないので、約2Km先の春野総合運動公園内の、
昨日荷物を運んでおいたホテルSPに道迷いしながら17:45に到着。その途中には現役
時に出張で訪れたK信用金庫の威厳のある本部施設の横を偶然通り、懐かしい思いを
した。いずれにしてもここでも南北方向ランダムの地図でパニクりながらのゴールイ
ンであった。
(種間寺の境内。里寺で、ほっこりして休まるお寺)

                  (本日、52,820歩 すべて歩きで、36,9km)


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