【70才のタッチ・アンド・ブースト】ーイソじいの”山””遍路””闘病””ファミリー”ー

【新連載】 『四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ』

大峰奧駈➀

2020-08-31 23:24:42 | 山(剣・大峰奧駈・羅臼その他・・・)
 二〇〇三年八月に四国霊場八十八カ所を、八回に分けて自転車と歩きで結願した。四国曼荼羅の未来を信じそして凛とした世界に溶け込み、心地よい達成感と充実感に浸りつつ「さて、次は何をしようかな」と考えていた。
 二〇〇四年八月には屋久島に行き、西日本最高峰の宮之浦岳(一九三五メートル)に登り、翌日白谷雲水峡から縄文杉まで登山した。次は、「熊野古道」の踏破を考えていた。登山としての魅力もたっぷりだが、『日本の原始宗教』『役行者などが開祖の修験道』『女人禁制と民俗学・文化人類学』等々の関心もあったので、どうせチャレンジするならなら大峰奥駈道をという思いがだんだんと『確信』となってきて、二〇〇五年になってから連れ合いとの話でいよいよ大峰奥駈を決行することを決めた。大峰山は「山上ヶ岳」周辺が女人禁制となっており、要所に女人結界門が設けられている。連れ合いは、女人結界門まで行き、そこを横目に見て(記念写真撮影を写して)奥駈道を辿ることにこだわっている。そんなことで二〇〇五年三月には、吉野から青根ヶ峰、四寸岩山、大天井ケ岳他を縦走し、五番関の女人結界門を横目に見て洞川温泉までを踏破しようと計画を立てた。


 二〇〇五年三月二十一日出発 阪急電車の始発に乗って、吉野へと

 二〇〇五年三月二十一日朝三時四十分に起床、本日の山行の朝・昼食のおにぎりやおかずを作り出す。ばたばたとしているうちに連れ合いも起きだして、準備を整えた。
 朝、始発の梅田行き阪急電車に五時二十分に南茨木駅から乗車した。車内は結構多くの人が乗っている。休日であり、仕事や商売で「ご苦労様」の人々、遊びや趣味で「お楽しみの人」それぞれだ。西中島南方で阪急電車を降りて、地下鉄御堂筋線に乗り換え、天王寺下車。近鉄阿部野橋駅から六時十八分発の吉野線の朝一番の準急に乗り、一路「吉野」を目指した。
 近鉄もはじめのうちは結構混んでいたが、藤井寺あたりからは徐々に空いてきて、ぼちぼちと連れ合いと朝食のおにぎりを食べ出した。車窓の風景を眺めているうちに、やがて橿原神宮や飛鳥地方を通り抜け、吉野川沿いを走り出す。「上市」を過ぎて、電車は吉野山に向かい、八時一分に「吉野」に到着。
 観光地独特の雰囲気の「吉野」駅だが、まだ早朝のため、土産物の売店などはすべて閉まっている。駅舎を出るとすぐに吉野ケーブルがある。これは、ケーブルとはいうものの、実際はロープウェイ、というよりむしろ距離も短く、定員も八~十名程度で、遊園地にあるゴンドラのよう。今回は、距離も長く歩き、夕方も時間との競争になりそうなので、とにもかくにも時間を稼ぐために吉野ケーブルに跳び乗った。八時十分発で、一人の地元のおばさん乗り合いとなった。吉野を超えて大峰山、洞川温泉まで行くといったら、感心していた。
二〇〇三年八月に四国霊場八十八カ所を、八回に分けて自転車と歩きで結願した。四国曼荼羅の未来を信じそして凛とした世界に溶け込み、心地よい達成感と充実感に浸りつつ「さて、次は何をしようかな」と考えていた。
 二〇〇四年八月には屋久島に行き、西日本最高峰の宮之浦岳(一九三五メートル)に登り、翌日白谷雲水峡から縄文杉まで登山した。次は、「熊野古道」の踏破を考えていた。登山としての魅力もたっぷりだが、『日本の原始宗教』『役行者などが開祖の修験道』『女人禁制と民俗学・文化人類学』等々の関心もあったので、どうせチャレンジするならなら大峰奥駈道をという思いがだんだんと『確信』となってきて、二〇〇五年になってから連れ合いとの話でいよいよ大峰奥駈を決行することを決めた。大峰山は「山上ヶ岳」周辺が女人禁制となっており、要所に女人結界門が設けられている。連れ合いは、女人結界門まで行き、そこを横目に見て(記念写真撮影を写して)奥駈道を辿ることにこだわっている。そんなことで二〇〇五年三月には、吉野から青根ヶ峰、四寸岩山、大天井ケ岳他を縦走し、五番関の女人結界門を横目に見て洞川温泉までを踏破しようと計画を立てた。


 二〇〇五年三月二十一日出発 阪急電車の始発に乗って、吉野へと

 二〇〇五年三月二十一日朝三時四十分に起床、本日の山行の朝・昼食のおにぎりやおかずを作り出す。ばたばたとしているうちに連れ合いも起きだして、準備を整えた。
 朝、始発の梅田行き阪急電車に五時二十分に南茨木駅から乗車した。車内は結構多くの人が乗っている。休日であり、仕事や商売で「ご苦労様」の人々、遊びや趣味で「お楽しみの人」それぞれだ。西中島南方で阪急電車を降りて、地下鉄御堂筋線に乗り換え、天王寺下車。近鉄阿部野橋駅から六時十八分発の吉野線の朝一番の準急に乗り、一路「吉野」を目指した。
 近鉄もはじめのうちは結構混んでいたが、藤井寺あたりからは徐々に空いてきて、ぼちぼちと連れ合いと朝食のおにぎりを食べ出した。車窓の風景を眺めているうちに、やがて橿原神宮や飛鳥地方を通り抜け、吉野川沿いを走り出す。「上市」を過ぎて、電車は吉野山に向かい、八時一分に「吉野」に到着。
 観光地独特の雰囲気の「吉野」駅だが、まだ早朝のため、土産物の売店などはすべて閉まっている。駅舎を出るとすぐに吉野ケーブルがある。これは、ケーブルとはいうものの、実際はロープウェイ、というよりむしろ距離も短く、定員も八~十名程度で、遊園地にあるゴンドラのよう。今回は、距離も長く歩き、夕方も時間との競争になりそうなので、とにもかくにも時間を稼ぐために吉野ケーブルに跳び乗った。八時十分発で、一人の地元のおばさん乗り合いとなった。吉野を超えて大峰山、洞川温泉まで行くといったら、感心していた。
 ものの三~四分でロープウェイ「山上」駅に到着。奥の千本までバスで行こうかと思ったが、始発のバスが五十分後まで出発しないので、早速歩きだした。私も連れ合いも快調だ。宿坊や旅館・民宿、土産物屋などが軒を並べる、歴史のたたずまいのある吉野の街道を暫く行くとやがて仁王門があり、立派な伽藍を構える「蔵王堂」に到着。そこで記念撮影。「蔵王堂」を出て中千本の坂道を登っていくと、「勝手神社」や「竹林院」があり、この辺は記念撮影をしながら、ぶらぶらと通り過ぎた。有数の桜の名所であるのだが、開花にはまだまだ暇がかかりそうだ。まだ蕾が色づいてもいない。
 上千本に入り、九時十五分に「水分神社」(みくまりじんじゃ)を過ぎ、奥千本に至り九時四十五分に「金峯神社」(こんぷじんじゃ)に到着。神社の横手の道から、いよいよ山道となってくる。小休憩とした。
 「金峯神社」を出て、尾根伝いの山道に入っていくと、「旧女人結界」の石碑がある。時代を感じさせる碑を横目に見て、どんどんと山道に入っていくと、やがて作業用のモノレールが敷設されている。吉野側つまりピークの北面は結構雪が残っており、『これはひょっとすると、難儀するかも』と思いつつ登る。暫く登り十時十五に「青根ヶ峰」(標高八百五十八メートル)の山頂に到着。ここまで来ると回りの山々の展望が開けてくる。「青根ヶ峰」を超えて十五分ほど行くとやがて山道は舗装された林道に合流する。舗装道ではあるが、まだ冬季通行止めのようで、車は通っていない。日差しも良くのんびりと歩きたいところだが、長い行程であり山道は余り良くなさそうなので、林道を跳ばして行く。 
 十分ほど行くと、道は舗装道から再び山道へと入っていき、すぐに尾根筋となる。この尾根は「助四郎尾根」といい、これから目指す「四寸岩山」(しすんいわやま)のピークへと続いている。昔、修験道として多くの修行者が大峰山を目指したときに休憩したのだろう五十丁茶屋跡は、わずかな平坦地がその名残となっている。さて、山道は残雪が多くなってくる。地図では尾根を忠実に辿っていくのが正解だが、尾根上はところどころ雪に埋もれた作業用のモノレールと交錯している。道は雪に埋もれており、とにかく尾根のピークを辿るようにしているが、時々モノレールに浮いた雪を踏み抜いてしまう。本日の山行は、スパッツもアイゼンも冬装備は何も用意していない。少し難儀しそうだが、とにかく「せっせと」歩き続ける。
 やがて、十一時三十五分「四寸岩山」(標高千二百三十六メートル)に到着。山頂は「日当たり」が良く、雪は積もっていない。山頂で連れ合いと記念撮影。
 四寸岩山を越えると尾根は南斜面の下り坂となり、雪はまったくない。それでも前方にはこれから目指す大天井ケ岳、小天井ケ岳の北斜面が望まれ、どうやら雪はかなり残っていそうだ。登山地図では「アシズリ宿小屋」のしるしがあるが、それらしきものは山道ではわからなかった。

 アイスバーンの大天井岳北斜面に大苦戦。大天井を超え、五番関の女人結界門を横目に洞川へ。

 暫く行くと舗装された林道に出、林道を斜めに横切って再び山の尾根道を辿っていく。やがて十二時四十五分に百丁茶屋跡の広場があり、そこに二蔵宿小屋がある。この小屋は現在も使用されていて、整備されており、時々は行者さんなどが使っている形跡がある。ここの小屋の前の広場で、昼食とした。昼食は家で作ってきたおにぎりと目刺しとウィンナーソーセージとゆで卵。
 昼食を食べて十三時二十分に出発。ここの広場から道は二つに分かれる。稜線を登り大天井岳を超える道と、大天井岳の東側の巻き道だ。私は、早く洞川温泉に浸かりたいので『巻き道を行こう』と連れ合いに言ったら、彼女は『だめ。登る。』とのこと。ああ、えらいことやと思いつつ、渋々尾根へ続く山道へと歩き出した。
 道は尾根を忠実に辿っていくが、残雪がだんだんと多くなり、そのうちに完全に積雪の状態になってきた。踏み跡はまったく無く、モノレールの上に積もった雪を踏み抜いたりで悪戦苦闘。高度がどんどんと上るにつれて雪が硬いアイスバーン状態になってきて、蹴り込んでもステップが切れなくなってくる。斜面も急になってきて、滑落しないように慎重に登り続ける。尾根上の五~六メートルの岩に張り付いたアイスバーンを、連れ合いは直登している。たいしたもんだと感心する。私のほうは、左のほうをまいて登るが、やはりアイスバーンで悪戦苦闘する。アイゼンを持って来ればよかったと、事前の情報収集と準備を怠ったことをつくづく後悔するが、いずれにしても滑落して怪我したり事故を起こさないように慎重に上り続けた。大苦戦の挙句、急斜面を這うように登っていくと、傾斜がやがて緩やかになってきて大天井ケ岳(標高千四百三十九メートル)頂上へ十四時四十五分に到着。普通なら一時間弱のコースと思われるが一時間二十五分かかった。頂上で、苦労の挙句の記念撮影後十分ほど休憩。
 休憩後、南斜面を今度は五番関を目指して下ってゆく。南斜面になると、先ほどの苦労がうそのように雪が消えている。快適に行くうちに前方の山上ケ岳(標高千七百十九メートル)、稲村ケ岳(標高千七百二十六メートル)の山並みが一望に見えてくる。連れ合いと同行で、今回は女人禁制の山上ヶ岳には登らずちょうど鞍部にある五番関から洞川温泉に向かう予定である。
 やがて、十五時四十分に五番関に到着。五番関には女人結界門があり、その横には女人禁制の説明の看板があり、身の丈以上の大きな置物の錫杖が置いてある。早速記念撮影。女人結界門から入って直登していくと山上ケ岳にいたるが、わが一行は女人結界門を横目に見て、洞川方面へと向かった。
 十五時五十五分に林道との出合いに下りてきた。林道との出合いはトンネルの出口近くにあり、ちょっとした休憩所がある。本日の山行も殆ど終りに近づき、あとは舗装された林道を洞川温泉まで歩いていくだけ。この休憩所で十五分ほど休憩しお菓子を食べる。
 林道は冬季通行止めで自動車は通らない。このあたりはまだ標高も高く道路の上にはシャーベット状や、日陰のところではアイスバーンの状態で、雪が残っている。早く温泉に浸かりたいので、どんどんと急いで歩くが、時々雪に足を滑らせる。毛又谷という谷道を歩くため、少し早い目に薄暗くなってきた十六時四十分にケマタ橋を渡る。このあたりはまだまだ雪が残っている。暫く歩いて本日宿泊予定の『旅館紀伊国屋甚八』に電話を入れて、「現在ケマタ橋を過ぎてそちらに向かっているので、到着はあと四十分くらいかかる」というと、自動車で迎えに来てくれるという。これはありがたいとお願いした。十分ぐらいすると、やがてワンボックスカーで青年が迎えに来てくれた。
 合流地点から、「大峰山(山上ケ岳)の登山口へ行って見ましょう」と、今来た道を引き返し、ケマタ橋を渡らずに、二股になったもう一方の林道を直進し大峰登山口の駐車場、大峰大橋と女人結界門のあるところへ連れてくれた。開山の時期には山伏装束の行者さんでさぞかしにぎやかになるのだろうと思う。売店などが並んでいるが、今は一面に雪が残り、店は戸締りをしてひっそりしている。雪が多く大峰大橋まで行けなかった。自動車はUターンし、再びケマタ橋を過ぎ林道を走った。途中青年から大峰山の登山道の補修作業の苦労話や、昨年弥山への登山道で熊が出たとか山の話をいろいろ聞かせてもらったり、途中にある名水『ゴロゴロ水』の話を聞き、楽しい道中を過ごし十七時十五分に『旅館紀伊国屋甚八』に到着。おかみさんらのお出迎えを受け、まずは何より、早速温泉にゆっくりと浸かった。
 温泉の後、山の幸をメーンとしたおいしいご馳走を頂き、連れ合いと本日一日の反省などを話し、就寝。


 二〇〇五年三月二十二日(火) 洞川温泉の朝の散策から御手洗渓谷へ。

 三月二十二日は曇り空で、雨が降り出しそうな空模様。六時三十分に起床し朝風呂に浸かる。露天風呂に入ると山の冷気が心地よい。昨日の疲れが露天風呂の中に溶け込んでいきそうだ。
 八時においしい朝食を頂く。朝食後、宿で作っている揚げせんべいをお土産に注文し、その後連れ合いと二人で洞川温泉の町を散策することとした。洞川は水がおいしい。きっとコーヒもおいしいだろうと「洞川マップ」などで喫茶店を探したが、二軒ほどあるようだ。早速行ってみたが一軒目は閉店しており、どうも待っても開店する様子が無い。一軒目のコーヒをあきらめて、洞川の町並みを散策し、龍泉寺に立ち寄った。霧のような雨がしとしとと舞っている。護摩壇などもあり、修験道の歴史のある寺のようだ。
 龍泉寺を出て、里山を登り、上のほうに架かっている吊り橋を目指した。十分ほどの登りで吊り橋の袂についた。吊り橋を渡りだすと結構高度があり、洞川小学校や、町並みが一望に見える。ここで連れ合いと記念撮影をする。
 吊り橋を渡り、里山の展望台を超えて山をぐるっと周り、「踏み跡」のような道を辿って下へ降りることとした。滑りそうな道の途中に地蔵さんが祀ってあり、地元の人たちの信仰の場なのだろう。やがて里山を降り、民家の裏に出て、犬に吠えられながら一般の道に出た。洞川小学校の角を曲がり、門に続く道をとると二軒目の喫茶店があるのだが、こちらのほうも閉店していて、コーヒを賞味できなかった。
 宿に戻り、土産を詰めたりして準備を整え、十時に宿を出発。本日は御手洗渓谷を歩き、約九キロメーター先の天川川合まで行き、そこからバスに乗り、近鉄下市口から帰路をとる予定。
 宿から暫く行くとやがて橋があり、そこは、昨日登ってきた大天井ケ岳から沢を集める小泉川と、毛又谷、大峰登山口からの川瀬谷が一緒になる山上川が合流する場所で、その袂が御手洗渓谷の入り口だ。合流地点から先は山上川となって、山上川に沿った谷が御手洗渓谷で十時十五分に出発。


 御手洗渓谷を歩き、天川川合へ。そこからバスで下市口駅へ。楽しい山行でした。

 御手洗渓谷は、洞川から白倉出合が上流部分で、白倉出合から天川川合までが下流部分になる。白倉出合は、洞川からの山上川、白倉山・稲村ケ岳の沢を集める白倉谷、そして行者還岳・弥山・八経ケ岳の大峰連峰の真髄からの沢を集める川迫川、弥山川の合流点で、大峰山の西斜面の水を一気に集めている。白倉出合から先が天ノ川となる。
 二〇〇四年の台風で、御手洗渓谷の特に下流部分が斜面の土砂崩れなどでかなり傷んでしまい、復旧が追いつかず、通行できないとの案内掲示が出ている。白倉出合までは何とか行けそうなので、遊歩道を歩いていくこととした。天候は、小雨がしとしとと降っている。山上川は、大小の岩や滝、深い淵や滑滝があり変化に富んだ渓谷を創っている。遊歩道は、最初のうちは整備され、ぶな林の中の散策路などを通るが、やがて岩場やはしご場なども随所に出てくる。暫く行くと舗装路に合流し、アスファルトの道を歩く。稲村ケ岳への登山路のバス停も過ぎ、やがて再び山道へと入っていくが、山道への入り口には、やはり白倉出合より下流は昨年の台風で道が崩落していて通行できない場所があるとの掲示が出ている。山道に入ると、かなり急な岩場の下り斜面や木橋、吊り橋なども出てきて、遊歩道とはいえ、逆の登りなら結構厳しいルートになる部分が随所にある。三組ぐらいのパーティとすれ違ったが、それぞれ結構なアルバイトの様子であった。やがてミタライの滝、ミタライ渕にかかる吊り橋を渡り、十一時二十分に白倉出合に到着した。
 白倉出合は、大峰連峰へのアプローチの交通の要所でもあり、駐車スペースと建物がありちょっとした広場である。白倉出合から下流部分は、いくつかの川を集めて天ノ川となる。ここから下流は掲示板にあったように御手洗渓谷の川沿いの遊歩道は通行止めとなっている。見ればかなりひどい崩落が放置されたままであったりして、残念である。
 私たちは、対岸の舗装されたバス通りをひたすら天川川合を目指して歩いた。かなり空腹になってきており、宿で聞いた天川川合に一軒だけある食堂で、バスに間に合うように何とか昼食を食べようと、かなりのハイピッチで歩き続けた。約四キロメーターの距離である。途中変電所があったぐらいで、ただひたすら歩き続けていくうちに、ようやく人家が点在して、天川川合に近づいてきた。それからも暫く歩き、十二時十分に天川川合の三叉路に到着し、その「付け根」に食堂があったが、満員のようなので、立ち寄らず。すぐに天川川合のバス停があり、バスを待つこととした。
 十二時三十九分発の「大淀バスセンター」行きのバスに乗り込んだ。バスは十三時四十分頃「下市口駅」に到着し、昼食を食べていないので近くのスーパーで弁当などを買い込み、駅で食べる。
 十五時四十分発の「あべの橋」行き急行に乗り込み、帰宅の途についた。楽しい山行であった。
                                                                         (➀完)