【70才のタッチ・アンド・ブースト】ーイソじいの”山””遍路””闘病””ファミリー”ー

【新連載】 『四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ』

四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 41 写真は 86番札所 志度寺 門前からの五重塔

2022-12-26 16:40:03 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 菩提の道場(香川県)編
(41日目・5月31日) 屋島寺から一気に第87番札所 長尾寺まで。いよいよ
            結願に思いを馳せる。楽しくて充実の遍路の旅。20年
                 ぶりにお世話になった遍路宿さんは、今のご主人は息
           子さん。お接待に心が憩まる思い。
 晴れ。5:40起床、朝食、7:35遍路宿発→8:30 第84番札所 屋島寺9:15→悪路の歩き
遍路道→壇ノ浦古戦場跡散策→洲崎寺→12:00 八栗寺参道、ケーブル乗り場→12:35 
第85番札所 八栗寺13:00→14:30琴電・JR志度駅前→14:45 第86番札所 志度寺
15:10→16:35 第86番札所 長尾寺17:00→17:05遍路宿(宿泊)
 いよいよ結願に思いを馳せ、気も高ぶり気味で5時前には目覚めていたがしばらく
微睡みつつ、5時半過ぎに起き上がって、女将さんに挨拶して7時半過ぎに出発。旅館
は廃止になった屋島ケーブルカーの乗り場跡にすぐ近く、かつては大変賑やかだった
と思う。乗り場前は今でもちょっとした広場になっていて観光バスや路線バスなどの
スペースもありそう。屋島寺には車両専用のスカイウェイが頂上へ繋がっていて、歩
きの場合屋島の西側の小学校の横の道を歩いて登っていく。その道は多くの地元の方
の健康登山やウォーキングの道で、遍路姿で登っているとすれ違う地元の皆さんが激
励の声や朝の挨拶の声を掛けてくれる。
(左:遍路宿の朝 右:参道の柱状節理 下:屋島寺山門(仁王門))
 柱状節理の岩壁や古い石仏を見ながら50分ほどで標高約200mの第84番札所 屋島寺
山門(仁王門)着。山門を潜って広場になった場所にベンチがあり、そこで朝食。屋
島は変わらず観光地だけれど、20年前から比べるとずいぶん落ち着いてきた感じがす
る。お詣りを済ませ境内や展望のきくところを歩き、対面の八栗寺を抱える五剣山を
見て下山を始める。まだ朝の内で観光客や自動車での遍路さんもあまりおらず、スカ
イウェイを走行している路線バスの時間表を見るとあまり本数も多くない。かつては
国民宿舎などもあったように思うけれど、今では賑わいはそれほど感じることもなく
少し寂しい思い。
(左:源平合戦説明看板 右:下りの遍路道(悪路) 下:洲崎寺のモニュメント)
(屋島寺境内)
 スカイウェイは自動車専用で、歩行や自転車は禁止なので、八栗寺に行くには山道
の遍路道を降りるか、登ってきた登山道を戻るかしかなさそう。現在は廃墟のように
なっている観光ホテルの前から遍路道が出ているが、20年前に通ったときにはかなり
の難路、悪路だった。少しは整備されていることを期待して下山を開始したが、相変
わらずかなりの悪路のままだった。天気は晴天で道が滑とは無いが、目の不調で遠近
感がつかめずかなり苦労をして下山、4回転倒しいずれも前のめりの転倒を避けるよ
うに歩き、尻餅をつく転倒だったが、とにかく難儀した。四国遍路道の中でも一番の
難路、悪路ではないかと思う。
 やっとの思いで、壇ノ浦合戦の由緒を伝える地元の神社や会館が点在する最奥部の
市街地に出るとスーパーマルナカがあり、休憩を兼ねて簡単な行動食。ここまできて
足に魚の目ができたため、スピール膏も仕入れて店を出た。源平の合戦の由来を石板
に刻んだプレートを多く並べている洲崎寺(すさきじ)に立ち寄り平家最期の地に思
いを馳せ、一気に八栗寺を目指した。参道の結構登ったところに八栗寺まで登ってい
く八栗ケーブルの乗り場がある。今回はスルーして横の鳥居をくぐり歩いて八栗寺を
目指す。行く手には五剣山が聳えていて、山岳修験の寺に向かう感じ。
(左:八栗寺参道 右:ウェルカムゲートの山門(仁王門))
 12寺30分過ぎに歩き遍路へのウェルカムゲートの山門(仁王門)着。山門越しに立
派な荘厳とした雰囲気の 第85番札所 八栗寺(やくりじ)の本堂が見える。摩崖仏が
刻まれた岩壁もあり、厳粛な雰囲気の境内を歩いてお参りを済ませ、ケーブルカーの
八栗寺の降り場の横から屋島を振返れば壇ノ浦を隔てて屋島が一望、左の方は高松の
市街地が一望の絶景。
(左:八栗寺の摩崖仏 右:頂上駅付近からの屋島振り返り)
 志度方面に向かうJRや琴電方面から八栗寺に登ってくる県道を降りる。やがて琴電
の踏切を超えて国道11号に出て、交通量の多い国道を志度方面に向かう。八栗寺から
2時間弱歩き琴電志度駅、JR高徳線志度に着きそこから10分強、14時45分に 第86番
札所 志度寺(しどじ)に着。門前から立派な五重塔が聳えるのが見え、海に近く近在
の人たちで賑わいの有るような雰囲気の寺だ。20年前と大きく変わったのは、境内中
が草木で整備されて緑の寺になっている。自然が残りつつ、よく整備もされ大変落ち
着いた心地良い境内になっている。納経所の裏は池のある石庭で、納経所のガラス越
しに見ていても素晴らしい景色が作られている。納経所の僧侶さんにそのことを話す
と、先代の住職さんが庭の手入れに腐心されたとのことだった。
(左:志度寺本堂 右:立派な石庭 下:平賀源内記念館)
 志度の町並みは旧街道のような雰囲気で、歴史を感じる。志度寺の寺前町だったの
だろう。結願の寺の2つ前の里寺で、そういった賑わいの町ではないかと感じる。そ
してなんといっても日本の天才、平賀源内に縁があり志度寺門前の墓地には源内さん
の墓があり、町中には『平賀源内記念館』があり、町に調和している。今回、実は時
間が迫ってきており見学は残念ながらパス。
 15時過ぎにいよいよ長尾寺を目指す。大丈夫とは思うけれど時間も迫ってきてい
る。志度駅から右手は里山、左手は田園で高徳線と並行し、住宅のニュータウンも見
える県道3号線を辿り、途中から遍路道の看板に従って県道を離れ、少し落ち着いた
旧街道のような遍路道に入る。玉泉寺(ぎょくせんじ)を経てさらに歩くと一旦県道
に再合流し、そのまま横断して川沿いの土手の道を行く。横断地点の一つ先の橋のた
もとには遍路休憩所が作られている。ここは20年前には真新しい休憩所で、ここで長
寺方面を遠望しながらパートナーとゆっくりして、激痛の足を癒したことをはっきり
と思い出す。橋のたもとには遍路道、長尾寺の看板があり、いよいよ本日のゴールも
近い。
(左:長尾寺近くの休憩所 右:長尾寺への遍路道が続く 下:長尾寺仁王門)
 16時半過ぎに 第87番札所 長尾寺(ながおじ)着。門前にある遍路宿さんに荷物を
預かっていただき身一つでお詣りする。立派な里寺で落ち着いた懐の深さを感じる寺
で、個々の僧堂も本堂の鴨居の彫刻も相変わらず立派で存在感が絶大。お参りを済ま
せ納経を頂いて少し長尾の町を歩く。ここは始発が高松築港駅の琴電長尾線終着駅長
尾に近く、20年前は駅前商店街は賑わっていて、私は足の激痛がたまらなく薬局を探
し回った。幸いすぐに見つけて大きめの絆創膏やら消毒液を買い込んだ。当時、靴の
選択に大失敗。履き慣れたはずの登山靴を履いてきたが、白峯寺から五色台を歩き通
すのがやっとで、道が舗装道路となった下山路は真夏の灼熱下、歩くのも困難になる
ほどのまめができてしまった。実は20年前は、結願を目前にここでリタイア、断念を
一旦決断したのだった。結果どのように結願したかは『自転車遍路遍』に書いてあ
る。
(左:長尾寺本堂 右:遍路宿の快適な部屋)
 その駅前商店街も現在はほとんど店も無く、駅前の賑わいもほとんどない。町自体
が東の方面に広がり少しはずれにはスーパーマルナカもできて、住民の皆さんの動線
も変わってしまっている。長尾寺門前の遍路宿も当時お世話になった民宿と同じ屋号
の旅館で懐かしく思っていたが、きれいに新築されて別館まで建てられていた。当時
宿泊した場所が今は新築の別館となっていて、向かいの本館は新築。現役世代と思わ
れるご主人が対応していただいたが、当時の女将さんはお母さんとのこと。今もご健
在で時々は旅館に見えられるそう。当日は所用と言うことでお会いできなかったが、
一気に懐かしさがこみ上げてきた。この日は同宿は50~60才代くらいの男性の歩き遍
路さん。私と2人が宿泊だった。明日も晴天とのこと。いよいよ結願に向かいワクワ
クしてくるが、快食、快眠。
            (本日移動距離 26.4km    内歩行 35,195歩 26.4km)

四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 42 写真は結願の寺88番札所 大窪寺参道 山門下

2022-12-25 17:28:11 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 菩提の道場(香川県)編
(42日目・6月1日) いろんな思いが駆け巡りながら結願の寺 大窪寺へ
 晴れ。6:10起床・朝食→7:15出発→8:55前山遍路交流サロン10:10→道の駅 ながお
10:45→遍路道昼寝城址道→太郎兵衛館→女体山超え(頂上直下はロッククライミン
グ状態)→14:15女体山頂→昼食→林道下り→15:15結願の寺 大窪寺16:00→寺前茶店 
八十八屋→16:40遍路宿
(二代にわたりお世話になった長尾寺前の遍路宿)
 朝食を頂いて出発の準備で荷物整理をしていて、すべてが名残惜しい。朝食もご一
緒だった同宿の歩き遍路さんは私より30分以上前に出発されたようで、私はその分ぐ
ずぐずしていた。気を引きしめて7時過ぎに出発。長尾寺門前から遍路道に出て右折
し、やがて県道3号線と並行するように遍路道が続いている。地道の遍路道には休憩
所や善根宿がある。そのうちに県道に合流し道路補修の工事が続き工事用トラックな
ども走り少し歩くのも緊張したが、1時間強で前山ダムが見え、ダムサイトの前山おへ
んろ交流サロンや道の駅ながおの建物や駐車場に着いた。記憶違いかもしれないけれ
ど、20年前は県道をはさんで西に交流サロンがあって、ダムサイト側にうどん屋さん
があったような気がしたのだが、逆になっていてダムサイト側により充実した記録や
資料が展示されているおへんろ交流サロンがある。
(左:前山ダムへの途中の善根宿、右:前山ダム)

(左:おへんろ交流サロンの展示①、右:歩き遍路への記念品類)
 おへんろ交流サロンには四国遍路の開創やら由来、弘法大師空海や88箇所の札所を
定め自らも10回以上通し打ちをして『道しるべ』を著した江戸時代大阪の真言宗高野
聖真稔さんに関わる人の資料、歴史をたどるような納経帳や般若心経、白衣などの展
示があり、興味深く見学させていただいた。休憩スペースに『歩き遍路は申し出てく
ださい』と掲示があり、私は『途中一部公共交通機関を利用したが、ほとんどは歩き
遍路』と申し出ると、『少々お待ちください』と言われ、すぐに『四国八十八ヶ所遍
路大使任命書』『同行二人の徽章』『88札所の立派なスライドショーDVD』を記念品
としていただいた。嬉しい、心に残る記念グッズとして大切に。おへんろ交流サロン
で1時間以上ゆっくりと余韻を楽しみ、隣接の道の駅によって10:45に出発。
(左:交流サロンの展示②、右:展示③)

(遍路道の女体山への道しるべ)
 ここから遍路道はいくつかに分かれるが、今回は女体山越を目指して昼寝城址道を
歩いた。ダムサイトの県道3号を歩き、しばらく行くと地道へと入っていく。すぐに遍
路道中物故者供養碑などがあり、道半ばで倒れられた多くの遍路さんが偲ばれる。暫
く行くと右の方にかつて東讃岐の豪族寒川氏の居城であった昼寝城の城址へ続く道が
あったが、今回はスルー。おへんろ交流サロンから約2時間で太郎兵衛館跡がある。
太郎兵衛さんは修験者とか地元の山人かの説があるらしいけど実在した方とのこと。
現在は今は使用されず廃墟になっているが、大学の農林関係の研修所として使われた
建物が残っている。この跡地から右手の山道が、いよいよ女体山越えの遍路道の入り
口。
(左:遍路物故者碑、右:女体山登り口)

(左:この先はロッククライミング状態、右:ほぼ水平の目線で)
 遍路道はそれなりに整備されているけれど荒れていた。最後の山頂への難所はちょ
っとしたロッククライミングで、金剛杖を手に持ったり底の柔らかい靴に緊張を強い
られた。写真の岩場はカメラの目線がほぼ水平に近かったので、このままの高度感が
ある。実際に頂上直下の安定した鎖場までは高度差10m以上はあるかと思うが、実際
に雑木の間を抜けたところは東讃岐の素晴らしい展望で、昨日歩いてきた屋島、八栗
寺、志度寺、と瀬戸内・播磨灘方面、長尾寺方面が一望の大展望だった。この道は遍
路道の一つとされているが、誰でもが行ける道でもないので要注意。あとで納経所で
聞いたけれど時々転落事故が起こっているとのこと。特に逆打ちで下っているときに
転落しやすいとのことで、十分実感する。
(左:頂上直下からの東讃遠望、右:女体山頂、山岳会の人と写真撮影の交換)
 岩場に取りついたときに、後方から10名以上の男女のパーティがにぎやかにおしゃ
べりしながら登ってきていた。『大丈夫かなあ』と気にしながら頂上直下の展望所で
写真を撮っていると、変わらず皆さん平気で登ってこられた。14:15すぐ上の山頂広
場の東屋で休憩していると皆さんが登ってこられた。リーダーらしき人に
 「皆さん、ヒョイヒョイと登ってこられたようで、たいしたもんですねえ。山の会
かなにかのグループさんですか?」
 と聞くと、高松の山岳会で四国88札所を区切り打ちで歩き遍路を続けていて、今回
が最後の結願の遍路です、とのこと。納得。皆さん晴れ晴れと楽しそうで、ご一緒に
昼食(行動食)タイムとし記念写真を撮りあった。山頂から結願の寺大窪寺には1km
以上の距離の下りだけれど、地図では下りの尾根道でそんなに問題はなさそうだけれ
ど、下り道でしかも登りは厳しい道だったので、ここは時間はかかるけど舗装された
林道を下ることとした。約30分の下りで大窪寺に至り、道を回り込んで歩き遍路のウ
ェルカムゲートである山門(仁王門)から入り、2022年6月1日15時15分、四国88霊
場結願の第88番札所 大窪寺に到着した。
(左:結願の寺に到着、右:ウェルカムゲートの二王門)
(左:大窪寺本堂、右:本堂前で自撮り) 
 本堂の前で自撮りし、余韻を感じながら大師堂そして境内を散策し、納経を済ま
す。20年前に足がボロボロになり、足を引きずり心の中では泣きながら歩いた境内や
その時の賑わい、いろんな思いが浮かんでくる。境内を出て門前の土産物屋さん兼飲
食店で閉店の準備中のようだけど、申し訳なさげに山菜の盛り合わせを注文し、ノン
アルコールビールで一人乾杯。実はこの通し打ち中で、何度か飲酒欲求に誘惑された
けど、その都度ポカリスウェットやオロCでしのいできた。さすがに美味しかったけ
れどやはり本物ではなく、『おかわり』とか『浴びるほど』とはならない。そのうち
余韻も落ち着いてくる。よかった。
 土産物屋さん兼茶店さんでゆっくりして、16:45に結願の寺前の遍路宿さんに入
る。きれいな宿でした。部屋には浴衣も用意されていてまず入浴して汗を流す。今日
の入浴は通し打ち43日間のいろんなことに思いを馳せながら流す汗で格別の入浴だ。
入浴後に浴衣に丹前も気持ちを安らげて頂ける素敵なプレゼントでした。それぞれの
部屋には清潔なトイレが敷設されてあり、宿によってはトイレに行くのに気を使いつ
つといったところが少なくないのですが、それも細やかな心遣いを感じさせていただ
ける。夕食の案内があり食堂へ集まると、年配の男性の歩き遍路通し打ちの方がお二
人。寡黙な方で自己紹介もごく簡単にかわす。そのうちに、女性の通し打ちの方がコ
ミュニティバスの最終便で到着されて合流した。この方は女将さんと電話でやり取り
していて、宿に着いてすぐに親しげに話されていた。まもなく大女将さんも合流し合
計6名で夕食。本日の夕食はメーンが結願お祝いで、お赤飯。お造り、煮物等も付い
て大御馳走でした。私はオプションでノンアルコールビールも頂きました。
皆さん、結願の充実感と言うか単純にFREADE(歓喜)と言うか、心が軽くなってき
たのでしょうか、だんだんと話が弾みだしてきました。一番ご年配と思われる男性
は、今回は88札所のみならず別格20霊場も周り合計108ヵ所を回られたとのこと。そ
して今回で『杖を納めようと思う』と言われた。大女将さんが
 「杖はお大師さんの分身やし、杖を納めるといってもお金も取られるし、いいことも
    ないよ」
  と言われる。こういうことは大女将さんの私心のない度量の深を持つ人のみが言え
る言葉なのだろう。もう一人のやはり寡黙な男性は、73番札所 出釈迦寺の奥の院に
なる弘法大師の『身投げ堂』に登られたことを話された。私は登っていないけれど、
よほど心に残ることを感じられたのだろうと思う。
    私は、一部公共交通機関を利用したり、松山からは現地調達の足踏みペタルのママ
チャリを移動手段にしたけれど、ほとんどは歩き遍路で通したことや”NO 
WAR””Respect HUMANRIGHTS”のゼッケンのこと等を話したけれど、どうも自己ア
ピールの様でなんとなく場違いの感じで、あとで恥ずかしく感じた。
   最終のコミュニティバスで合流した女性は活発に話され、バリバリの『鉄子さん』
で、17日間で通し打ちをしたとのこと。にわかには信じがたかったけれどお話を聞
くとネットで調べまくりローカル線はもちろん路線バス、コミュニティバス、不定期
運行のバスや交通機関も調べ上げての遍路で、感心しつつも納得した。明日は一旦高
松に戻りそこから高徳線で徳島に移動、フェリーで和歌山の深日(ふけ)から高野山
にお礼参りをして、出発地(名古屋と言われたかと思う)へ戻る計画。凄い、と内心
エールを送る。実際に全く交通手段のない札所もいくつもあるのに、情報量だけでな
く体力も『交渉力』も必須だと思う。
    大女将さんは御年90才で、70年前に初めて遍路をしたそうだ。
「それでは、戦後間もないときで大変だったでしょう?」
   と尋ねると、
「毎日お百姓さんに稲の藁を頂いて草履を作りながら旅をした。結願までに5~6足は
   履き潰した。」
「お百姓さんの家や納屋に止めていただいたけれど、米を持っていかなければご飯を
   食べさせてもらえなんだ。」
   とのこと。
   この長い通し打ちの遍路宿で、御主人や女将さん、大女将さんも混ざってほかの遍
路さんと心を開いて話し合ったのは初めてではなかったか。
(八十窪の大女将さん、女将さんと)
部屋に戻り、明日、明後日のお礼参りの打戻にワクワクしながら、心地良く就寝した。
(本日移動距離  22.2km  全部歩行 30,030歩)

四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 43・44 帰阪へ(写真は お礼参りの1番札所 霊山寺門前にて )

2022-12-24 16:48:36 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 菩提の道場(香川県)編
 (43日目・6月2日) 逆打ちでお礼参りに 1番札所 霊山寺へ、その1日目。
          旦 10番札所 切幡寺へ行き、そこから逆打ちでお礼参り 
          の打戻
 6月2日、晴れ。5:00起床、朝食、宿で大女将さん、女将さんと記念の写真→7:50発
→大窪寺改めてお礼の参拝、結願の土産購入→8:35出発→国道377号線→9:50長野い
こいの家→香川・徳島県境越え(徳島県道2号線となる)→徳島自動車道高架をくぐ
り→12:30ファミマで昼食→15:30 7番札所 十楽寺→行き過ぎたので戻って→16:30遍
路宿着
 朝は早く目覚めた。本日も爽やかな好天の様子。朝食時から大女将さん女将さんも
ご一緒で、改めて食堂に沢山飾ってある東京オリンピックの写真の訳を尋ねると、な
んと女将さんの娘さんは女性ソフトボールの全日本メンバーの正捕手で高校時代から
ジャパン、2021年の東京オリンピックでも正捕手で、あの上野投手の女房役で金メダ
ルメンバーとのこと。そして現在は在版プロ野球球団に所属し日本で唯一の女性スカ
ウトをされているとのこと。後々フェースブックで『八十窪』を検索すると娘さんの
写真や金メダリストの写真も沢山載せられている。あらためて新しい出会いに感謝し
つつ記念写真。
(左:お礼参りの朝、快晴、 右:女将さんの娘さんはオリンピックの金メダリスト)
(左:大女将さんの2年前のお祝い、 右:遍路宿に書き置いてきたメモ)
(五輪金メダルの瞬間)
 8時前までゆっくりさせていただいた上で出発。まず、大窪寺に改めてお詣りをす
る。境内のお堂は新築や改修で新しいお堂や建物も歴史を感じさせるお堂や建物も混
在して、それなりに調和している感じ。『原爆の火』がともし続けられているのも、
結願の寺に調和しているようでよかった。女体山をバックに従える本堂と納経所で、
結願祝いのお土産を買い込む。途中のお土産も四国が偲ばれて良いのだが、ここまで
来るとやはり結願祝いのお土産が格別。と勝手に満足する。
(左:大窪寺境内に灯し続けられる原爆の火、 右:女体山を従える大窪寺本堂)
 再び八十窪の前を通り国道377号線を徳島県、あの333段の階段の10番札所 切幡寺
を目指す。国道ではあっても交通量はさほど多くなく、青大将のような蛇が横断して
いたりしてのどかなお礼参りの歩き。長野いこいの家で道は東かがわ市の白鳥方面に
行く道と分岐するが私は切幡寺の方面へと歩く。やがて県境を越えて徳島県へと入り
四国4県すべてを繋いだ。県境を越えると徳島県道2号線となりのんびりと1時間近く
歩くとトンネルがあり、さらに40~50分ほどで、前方に徳島自動車道の高架が見えだ
した。さらにその先には川面は見えないけれど吉野川の地形にさらには鴨島の町か、
焼山寺の山かと思われる懐かしい景色が広がってきた。
(左:県境を越えて再び徳島へ入る。 右:振り返れば香川県)
(左:蛇もお見送り。 右:10番札所 切幡寺の参拝道を超えて逆打ちへ)
高架をくぐり少し行ったところのファミマで行動食の昼食を食べ、15時30分に切幡寺
の寺前通りを通過し、4月21日からスタートした撫養街道の遍路道を逆打ちして本日
の遍路宿を目指した。宿の越久田屋さんは熊谷寺と十楽寺の間にあるのだが、良く分
からずに十楽寺まで戻ってしまい、電話をすると十楽寺まで車で迎えに来て下さっ
た。結局16時30分に宿に着いた。越久田屋さんは近在のお寺の住職さんが何人かでお
世話していただいており、素泊まりということだが近くにある、天然温泉御所の郷ま
で送迎していただけて、そこで入浴と食事をする。同宿の歩き遍路さん、これから回
られるのだが、温泉と夕食はご一緒させていただいた。私のように結願後のお礼参り
の打戻には、温泉と夕食はリラックスして快適だった。宿に戻ると住職さんらしく、
四国遍路のいろんなお話を聞かせてせていただき、大変勉強になった。宿は改築して
それほど年月が過ぎているわけでもなく、清潔で快適だった。最後の洗濯をして明日
の霊山寺に思いを馳せて、就寝。
       (本日の移動距離  35.6km     内歩き44,911歩  距離 32.5km)

 (44日目・6月3日) 1番札所 霊山寺へのお礼参り。その後Kさんと再会、
           余韻に浸る
 6月3日晴れ。5:00起床→6:40出発→十楽寺→安楽寺→地蔵寺→(大日寺)→金泉寺→
極楽寺→11:55 1番札所 霊山寺→12:40 Kさんと合流→昼食 びんび屋(鳴門の鮮魚料
理屋)→SETOUCHI SWEETCRAFT で食後のスウィーツ→徳島駅前 ステーションホ
テル(泊まり)
(左・右:遍路宿の朝。本日も快晴)
(左・右:1番札所 霊山寺へお礼参りの打戻り達成!!)
 爽やかに目覚め、昨日コンビニで仕入れてきた朝食を食べ、荷物を作り6:40出発。
最終日のお礼参りにふさわしいような晴天で、軽やかに出発。撫養街道の遍路道を、
十楽寺、安楽寺、を経て行きの時のやっと探し当てた県道沿いの大きなセルフ食堂を
過ぎ、地蔵寺へ。大日寺へは山道を入るのでパスをして金泉寺、極楽寺を経て12時前
に第1番札所 霊山寺に戻った。
 早速、お世話になったKさんに連絡。
 「今、霊山寺に戻ったよ。ありがとう。早速やけど、昼飯一緒できる?」
 Kさん
 「おめでとう!!偉いねえ。昼飯一緒に食べよ。美味しい魚が食べられるところが
  あるよ。割り勘やけど。」
 「了解。そしたら霊山寺で今からお参りするし、そのまま待ってるわ。」
 実をいうと遍路宿の食事はほとんどが魚料理で、少々肉料理が食べたかったけれ
ど、そんなことはどうでもよい。どうにでもなる。
 本堂、大師堂にお詣りし、納経所でお礼参りのお茶のお接待を頂き、納経して頂い
た。結願の土産を買い足して、納経所前で待っていると間もなくKさんがやってき
た。話したいことは一杯あるのだけれど、とりあえずはとりとめのない話ばかり。案
内してくれた料理屋さんは多分11号線だと思うけど、高松へ行く国道の鳴門の海沿い
にある、びんび屋さん。先ほどは肉料理などと思っていたが、びんび屋さんの魚は絶
品。海鮮丼とノンアルコールビールを頂いたが、これは記憶に留められるお店だっ
た。平日なのにほぼ超満員。納得。食後コーヒでもということになり、鳴門の入り江
を見下ろす山の上にある、SETOUCHI SWEETCRAFT というオシャレな店に連れて
もらい、コーヒとチョコレートケーキ。一気に娑婆に戻ってしまったが至福の時間だ
った。そのあとJR徳島駅近くのビジネスホテルに送ってもらい、チェックイン。至福
の時間を過ごした。
(本日移動距離‐除、昼食・スウィーツ 24.3km  うち歩き 31,439歩 22.8km)

  そして 帰阪へ・45日目
 (6月4日5日 土・日) さようなら・ありがとう、四国曼荼羅ワールド。またくる
よ!!
 6月4日 ビジネスホテル→高徳線→高松→散策して帰阪の荷造り→フェリー乗り場確
認とチケット購入。 6月5日 フェリー乗り場→ジャンボフェリー→神戸中央突堤→
知人宅→帰宅!!
 コンビニで仕入れた朝食を食べて、JR徳島駅へ。高徳線に乗り高松へ戻った。すぐ
に駅前に預けてあったママチャリと荷物を受け取りそのまま本日のホテルに向かう。
ちなみに自転車の預かり料は6日以内なので100円!!ホテルは昼前なのでチェックイ
ンは出来ないけれど、荷物を整理して預かってもらい、そのまま明日の朝一のジャン
ボフェリー乗り場の確認にママチャリで向かう。ジャンボフェリー乗船場は中心部か
ら結構離れていて、目前には小さな入り江をはさんで屋島が。チケットも購入し、市
の中心部に戻り昼食と、スタバに行ってこの間の情報整理。夕方ホテルにチェックイ
ンして、夕食に出かけ、ホテルに戻りまたまた余韻を味わう。
 6月5日。本日日曜日。4:00起床。準備して4:30発。4:50フェリー乗り場→6:00出
帆。五色台も屋島も高松市街の中心部も見送ってくれている。『さようなら・ありが
とう、四国曼荼羅ワールド。また来るよ!!』心の中で大声で叫んだ。
(左:さようなら高松市街、 右:同じく屋島)
(左:五色台方面遠望、 右:小豆島に途中寄港)
(明石大橋通過。四国曼荼羅ワールドから娑婆へ戻ってきた)
途中小豆島を経由して、10:40に三宮の中央突堤着。10時前に明石大橋をくぐったの
だが、明石の方の景色を見ていると都会の景色になってきて、ここで一気に再び娑婆
に戻ってしまった。そこからママチャリを漕いで、13:30に、この通し打ちを応援し
てくれた尼崎の知人の元に立ち寄り、近所のすし屋で昼食の寿司をご一緒した。約1
時間40分後にお礼を言って我が家を目指す。5時過ぎに茨木のわが家へ帰着し、四国
曼荼羅花遍路-通し打ち45日のマイウェイがエンドマークを掲げた。
                                   (完)