【70才のタッチ・アンド・ブースト】ーイソじいの”山””遍路””闘病””ファミリー”ー

【新連載】 『四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ』

四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 36 写真は、雲辺寺の羅漢さん

2023-01-04 00:17:22 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 菩提の道場(香川県)編
(36日目・5月26日)遍路宿から 65番札所 三角寺を往復し、いよいよ菩提の道
         場(香川県)に入り、海岸沿い国道11号線を走り、長いマ
           マチャリアプローチで四国霊場の最高地の 66番札所 雲辺
           寺へと。雲辺寺はロープウェイでお詣りし、里に下りて 
                               67番札所 大興寺に詣り、観音寺市内の遍路宿に宿泊。
 晴れ後雨。4:30起床→コンビニで朝食の行動食仕入れ→6:40金田バス停→7:40土佐
北街道の遍路道経由で 65番札所 三角寺(h353m)・朝食8:05→9:00金田バス停→遍
路宿9:10発→10:10道の駅豊浜→12:05→雲辺寺ロープウェイ乗り場→12:30 86番札所
 雲辺寺12:55→13:10ロープウェイ登り乗り場で昼食13:55→14:55 67番札所 大興寺
15:20→16:00 68番札所 神恵院・69番札所 観音寺16:40→観音寺市内ママチャリで散
策→17:50遍路宿

 本日も長い行程になる。4時30分に起床、三角寺へ持っていく荷物を最小限
にして一旦戻ってママチャリで移動するときの荷物を纏めておく。結構時間がかかり
6時5分、女将さんに挨拶を済ませて出発。国道192号線金田バス停横のコンビニで朝
食用の行動食を仕入れる。少し戻り金田バス停から南に左折して三角寺方面に、集落
を抜けて登りだす。旧街道のような集落の道をしばらく行くと『土佐北街道』の看板
が出ていて、道の両側は古民家が点在している、古来の街道の道。車もそう多くは無
く歩きやすい。結構高度を稼ぎ伊予三島の市街地がはるかに望まれ、バス停から約1
時間で65番札所 三角寺(標高353m)へ着いた。参道の階段の少し手前に『四国の道
案内図』の看板が出ていて、遍路道との位置関係が分かりやすかったが南北方向は看
板が正しいのだろうか?どう考えても海(瀬戸内海)は北方(地図では上)にあると
思うのだが。遍路道の三角寺から椿堂方面、国道192号線、徳島県境の位置関係は正
しい。またパニクリそうなのでもうどうでもいい、勝手に看板のN矢印をS矢印に変
えて、勝手に納得。
(左:土佐北街道の看板  右:南北が怪しい(反対)道案内)

 三角寺は霊場中標高が最高位の 66番札所 雲辺寺の前衛の寺らしく閑静な山寺。こ
この特徴は山門(仁王門)に梵鐘が吊られており、参拝者は大体が鐘をついて山門を
通る。私も撞かしていただき境内に入った。
(三角寺の鐘楼の門   閑静な境内   三角寺本堂)
 20年前の自転車遍路の時に、確か大師堂には空海さんと最澄さんも祀られていたよ
うに思っていたが、境内の由来や案内には書かれていなかった。何故だろうとは思っ
たがまあ、どうでもいいか。
 お詣りを済ませ、納経所で了承を頂き静かな境内の休憩所で朝食の行動食を食べ
る。8時過ぎに出発して、来た道を遍路宿に戻る。鐘楼の門から参道の石段を下りる
と椿堂方面への遍路道と土佐北街道の旧街道に分かれる。来た道を辿り、旧街道から
の登り口である金田バス停は国道192号線に合流して東西方面に伸びており、東の方
へ行くと遍路道の椿堂で合流し、境目トンネルで県境を越え徳島県池田町へと続く。
椿堂から先は自転車遍路の時にたどった道で、その先を曼陀トンネルに向かい尾根の
道を延々と雲辺寺へと辿った。国道192号は境目トンネルを抜けてしばらく行くと曼
陀トンネル方面に左折する県道8号との合流点があり、そこを曼陀トンネル方面に左
折せずに、直進して行くと遍路のスタート地の吉野川や遍路ころがしの起点の藤井寺
方面に続き、徳島市に至るようだ。長い遍路道だったけど、自分のイメージの中にす
っぽりと収まってくるところまで来た。あらかじめ地図のイメージを描いていたが、
こうやって現地を歩くと何とも言えない思いがこみ上げてくる。
(左:土佐北街道の上から伊予三島市街地遠望  右:土佐北街道の金田の町並み)
 実際の遍路はまだまだ。海辺に戻り長丁場の道が待っている。伊予三島の市街地を
望みながら、土佐北街道を快調に歩き50分弱で金田バス停に戻った。遍路宿でママチ
ャリに荷物を積んで、出発準備。大女将さんに挨拶をと思ったがご不在。メモに『あ
りがとうございました』と書き、納札札を添えて上がり框に置き出発。
 66番札所 雲辺寺は徳島、香川県境にあるけれど、遍路道では寺は菩提の道場(香
川県)に含まれる。かなりぎりぎりまで三角寺から雲辺寺までの歩きに拘ったけれ
ど、そうするともう1泊で行程が1日~1日半余分にかかってしまうのと国道192号の峠
やトンネルから里寺の大興寺への下り坂が、ママチャリのブレーキで耐えうるか、そ
うするとママチャリの駐輪場所をどうするかの心配。ということでやむなく一旦海辺
に戻りママチャリでの雲辺寺ロープウェイ登り乗り場への移動とした。
 ということで、9時10分に伊予三島の遍路宿を出発。そこからが結構長丁場だっ
た。国道11号線を走り、1時間ほどで道の駅豊浜に着、少し休憩。この辺は遍路道で
はなさそうで、交通量も多い。しばらく走り高架のところで右折し地道に入ってい
く。道路標識に従って大野原町方面に向かう。途中の道はやはり遍路道という感じで
はなく集落の中をくねくねと結構な上り坂をピーク手前では押しながら移動し、峠の
ようなところでやっと雲辺寺ロープウェイの看板を見つけたが、この道はバス道でも
ない。あとは看板を頼りに山麓のロープウェイ乗り場へと頑張った。結構悪戦苦闘の
末12時過ぎにやっと雲辺寺ロープウェイ山麓駅に着いた。
(雲辺寺ロープウェイから観音寺市街遠望  頂上乗り場での看板  雲辺寺大師堂)
 15分ほど待ってロープウェイに乗り込み、山上駅で降りて境内にある香川・徳島県
境を行ったり来たりして12時30分、第66番札所 雲辺寺、標高910m四国霊場中最高地
にある山門をくぐる。境内には比較的新しいけれど立派な羅漢さんが並んでおり、こ
れからだんだんとこの静寂な山寺の雰囲気に馴染んでくるのだろうなあと思う。今日
は平日の木曜日でもあり、寺付近には遊園地や冬にはスキー場があるのだが静寂だっ
た。30分ほどでお詣りを済ませ山麓駅に戻り、13時10分にレストハウスで昼食にカ
レーライスを頂く。
(左:境内にある香川・徳島県境  右:雲辺寺大師堂)
 食後、67番札所 大興寺を目指す。ロープウェイ山麓駅からは相変わらずの山麓の開
けたところの県道を北へと走る。地図通りに県道や地道を走り、やがて看板も多く見
られるようになって、小さな川を渡り右折して里山の方に向かい、橋を渡り直して、
山麓駅から1時間ほどで第67番札所 大興寺に着いた。
(左:大興寺境内への参道  右:大興寺は現在リニューアル中)
 大興寺は現在全面的に改修中であいにく本堂や大師堂を配置した境内を俯瞰するこ
とができなかったけれど、境内では里山の麓の寺の雰囲気がある。この先68番、69番
は町中の寺で、67番 雲辺寺とのバランス上もきっと観音寺の人たちにとって大事な
存在感のある寺なのだろう。30分ほど散策して養生シート越しに本堂、大師堂にお詣
りした。15時20分時に68番札所 神恵院(じんねいん)、69番札所 観音寺(かんおん
じ)を目指して出発。
 大興寺からすぐに交通量の多い道を辿りながら、すぐに観音寺の市街地に入る。市
街地の地図に悩みながら16時過ぎに神恵院と隣接し境内を共有する観音寺に着いた。
ここは町中の寺で急いでお詣りと納経を済ませた。自転車遍路の時は朝一番のお詣り
でゆっくりできず、今回もゆっくりと見学も適わず心残り。閉門間際の人のいない境
内も静かでいいのだが。
(神恵院と観音寺は門も境内も共有  神恵院大師堂  神恵院本堂)
(観音寺本堂?  観音寺大師堂?  境内には立派な楠)
 神恵院、観音寺を出て少し散策したがこの近くには琴弾八幡宮があり、道の駅こと
ひきがあり、展望台からは、有名な『和同開珎』の砂で固めた大きなオブジェが見学
できる。ところがあいにく降り出してきた雨が本降りとなり、遍路宿も市街地で良く
分からず、これもまた自転車遍路の時と同様、断念ということになった。
 宿への道探しで到着が18時を過ぎご迷惑をかけた。本日は素泊まりのみで、ビジネ
スホテルとはいえご家族ぐるみでのアットホームな心遣いに感謝。
   (本日移動距離  54.5KM   歩行 30,173歩 内歩行距離 13.69Km)

四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 37 写真は遍路サロン 茶処みとよ高瀬

2023-01-03 17:29:01 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 菩提の道場(香川県)編
 (37日目・5月27日)70番札所 本山寺から観音寺市街、三豊市街を通過して
            西讃岐の71番 弥谷寺、72番 曼荼羅寺、73番出釈迦
            寺、74番 甲山寺 を廻り、いよいよ空海さんの生誕地
           と言われる75番 善通寺へと。結願が見えだして
  6:30起床、8:10発→8:40ガストで朝食・後雑用→10:10 70番札所 本山寺(もとやまじ)10:40→三豊市 遍路小屋茶処みとよ高瀬(遍路休憩所)
→12:40 71番札所 弥谷寺(いやたにじ)14:30→15:00 72番札所曼荼羅寺
15:15→15:30 73番札所出釈迦寺(しゅっしゃかじ)15:50→16:10 74番札所 
甲山寺(こうやまじ)16:20→16:40 75番札所善通寺→宿坊いろは会館に宿泊

(観音寺市の朝、遍路宿から)
 曇り後快晴。昨夜来の雨も上がり、とはいえ曇りの朝に遍路宿を出発。宿のお子さ
んの朝の登校でバタバタしておられる様子の中をお礼を言って出発。本日何としても
間に合わせなければならない所要があり、ガストで朝食後にやっとあった第一地銀
(メガは見つからない)で振込、その後本山寺を目指す。10時10分に 70番札所 本山
寺着。お詣りを済ませて納経所前にいると、年配の歩きお遍路さんが話しかけてき
た。
(本山寺はやすらぎの里寺)

 年配のお遍路さん(以下『遍』)「歩きで回られているのですか?」
 私 「はい。松山からは日程の都合上、現地調達のママチャリで移動してますが、
    横峰寺や三角寺やらの寺には、全部歩いて回ってます。一部JRや路線バスも
    乗ってますが、800Kmくらいは歩いてます。」
 遍 「失礼ですが、サンダル履きで歩いてられるんですか?」
   
 意外な方向に話題が跳んで、少しびっくり。

 私「ああ、これですか。一足目は潰れてこれも現地調達ですが、なかなかいいもん
   ですよ。勿論山寺では靴に履き替えますけど、舗装された道でしたらこれは楽
   ですねえ。ちょっとスポーツ系で滑りにくかったら雨でも十分ですよ。鶴林
   寺、太龍寺、延光寺なんか大雨でしたけれどこれで登りました。山寺でも舗装
   道なら大丈夫ですね。」
 遍「私は、歩き始めたんですけれど1日で足を痛め、徳島市に戻り思案してたんです
   が、とにかく行けるところまでと思いながら、逆打ちでJRを使って昨日は丸亀
   泊りで、今朝は本山駅(本山寺近くの予讃線の駅)に来て、何とかここまで来
   ましたけれど、もう限界かと思ってます。いいことを聞きましたんで、この辺
   でサンダルを売っているところを探してみます。」
 私「それでは、1駅戻って観音寺に行くと、大型スーパーもありましたが。」
 遍「有難うございます。」

 と、まあこんな話で、痛そうに足を引きずりながら納経所に向われた。いろんな人
との出会いも楽しい。本山寺は広い境内に五重塔も堂々とそびえる立派な里寺。自
転車遍路の時も朝から韓国の民族楽器チャングの演奏を奉納している方がおられたが、
地域の人も遍路さんもいろんな人たちで賑わいのある寺で印象に残っている。
 本山寺を出て交通量の多い国道11号線を東へと走り三豊市役所を過ぎ高瀬川の橋を
超えると、遍路サロンの『茶処みとよ高瀬』があった。そういえば三豊は茶どころで
有名だったなあと思い出した。遍路サロンは平日の昼前でもあり、どなたもおられな
かったが地元の皆さんと遍路さんとのメッセージのやりとりや写真が沢山貼られ、な
んともホッとする雰囲気。野宿や仮眠もできそう。私も『NO WAR. War is Absolute 
EVIL.』『RESPECT HUMANRIGHTS』と書いてきた。素敵な遍路サロンでした。
(三豊の遍路サロン。私も一言)
 『茶処みとよ高瀬』で20分程度休憩後再び国道11号線を走る。10分ほど走ると看板
が出ており国道から左折して県道221号線を走りやがて地道。大師堂をいくつか過ぎ
て道なりに弥谷寺への案内看板がある上り坂でここは車道の本道と離れ竹林の中の車
の通らない少し急坂でママチャリを漕ぎあがる。結構急でそのうち押して上がりやが
て先ほどの車道と再合流し車道の先方向は『天然いやだに温泉』という日帰り温泉の
テーマパーク、車道を横切った先は参道の少し細くなった道。参道をママチャリを押
して登りやがて広場になった場所に出て自転車を止め歩いて登りだした。ここまでで
もそこそこのアルバイトだったが、広場になった登り口に、『紹運の石段 五四〇余』
と書かれたまだ新しい石柱があった。何しろ物好きな私は、どうでもいいのに実際に
数えてみると、大師堂まで三八三段、本堂までさらに一五九段合計五四二段だった。
但し階段は一つではなく右左側にもつけられている場所も多く、まったくどうでもい
い話だった。少し登ったところに立派なウェルカムゲートの山門(仁王門)があり、
まあ単純で結構な階段上りだった。
(左、中:弥谷寺登り口  右:山門(仁王門))
 弥谷寺の最上部に本堂があり、最後の階段を登りきったところからは三豊市街が遠
望できる。少し下がって大師堂があり、本堂と大師堂は摩崖仏が多く彫られた岩の岩
屋に造られなんとも荘厳な雰囲気。厳粛な気持ちで両方のお詣りを済ませ、余韻を抱
きつつママチャリのところまで戻った。ちょっと座れるところでコンビニで仕入れて
きた行動食の昼食をかき込んだ。

(本堂からの三豊市街 中:摩崖仏 右:大師堂)
 14:30頃に弥谷寺を出発して、地道を走り再び国道11号線への合流を目指した。ち
ょっとしたアップダウンを過ぎ、高松自動車道の高速道路を跨ぎすぐに鳥坂峠という
国道へ合流する三叉路に至り三豊市から善通寺市へとはいり左折して72番札所 曼荼羅
寺(まんだらじ)を目指した。案内看板がありそこから地道へと入って15:00に曼荼
羅寺着。お参りを済ませ、上り坂を15分ほど行き15:30に73番札所 出釈迦寺(しゅっ
しゃかじ)に着いた。出釈迦寺は里山の中腹にあり、山頂には捨身ヶ嶽本堂(しゃし
んがだけほんどう)という堂がよく見えている。通称『身投げ堂』といわれ、弘法大
師が身投げの荒行を行ったと言われている。天狗が大師の身を受け止めたとのこと。
この堂には歩いて登らねばならず、本日善通寺の宿坊にお世話になる予定で時間が厳
しく、今回は諦める。出釈迦寺の境内から善通寺市街方面を望むと、瀬戸大橋が臨ま
れ結願が見えだした。写真に納め『ここまで来たぞ』とちょっと感慨に浸る。
(左:出釈迦寺、中:瀬戸大橋遠望、右:曼荼羅寺)
 15:50 出釈迦寺発。少し急いで地道から県道に出て善通寺方面を目指す。市街地に
入ると道案内の看板頼りになってくるが、16:10 に 74番札所 甲山寺(こうやまじ)
に着いた。甲山という小高い山懐の寺で、善通寺を取り巻いているいくつかの里寺の
一つのよう。急いでお詣りを済ませ、納経を頂いて善通寺を目指す。
(甲山寺山門と境内)
 16:40に、時間も遅く人影もまばらになっている 75番札所善通寺(ぜんつうじ)に
到着。本日の終着目的地。宿坊の『いろは会館』に宿泊の手続きを済ませ、納経は明
朝にして人気の少なくなった境内を散策した。さすがに弘法大師の出生の地の縁のあ
る寺と言われるだけあって立派な寺大きな里寺には楠の大木がよく似合う。明日は少
し散策してから遍路に出発しようと思う。
           (本日移動距離 約27.8km     歩数 24,826歩    18.37km)


四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 38 写真は 75番札所 善通寺境内

2023-01-02 22:45:22 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 菩提の道場(香川県)編
  (38日目・5月28日)善通寺を散策して76番札所 金倉寺(こんそうじ)、77
           番札所 道隆寺(どうりゅうじ)、78番札所 郷照寺(ご
          うしょうじ)、79番札所 天皇寺(てんのうじ)、80番
          札所 国分寺、善通寺市、丸亀市、坂出市を一気に回り
          高松市へと入った。
  5:00起床7:40発→善通寺散策9:40→10:30 76番札所 金倉寺(こんそうじ)
11:00→11:25 77番札所 道隆寺(どうりゅうじ)11:45→12:35郷照寺13:15→13:50坂
出イオンで昼食14:40→15:20 79番札所 天皇寺(てんのうじ)15:40→16:20 80番札所
国分寺16:40→17:05遍路宿(泊)
 快晴。本日はいよいよ高松市へ入る予定。昨夜、本日の遍路宿に宿泊のお願いの電
話をしたのだが、お忙しいのだろうけれど断られてしまった。替わりに『いつでも予
約できる』ということでホテルの電話をお聞きし、電話をすると『チェックインは
18:00以降で、早くなれば1時間に付き1,000円のチャージ』ということらしい。なん
だかラブホテルのような雰囲気でちょっと逆にお断りして、今朝、別の遍路宿さんに
お願いして予約が取れた。あとでネットで調べると最近までラブホテルだったけれど
改装してタウンホテルにしていて家族連れも利用しているとのこと。まあ、多少の不
安要素含みだけれど、宿坊の朝食後善通寺を散策することにした。
(左:朝の善通寺、右:道案内の看板、下:境内)
(左:境内の楠の大木、右:御影堂の由緒)
 空海の出生地ということで、境内の御影堂(みえいどう)を見学。ここは空海と同
じ胎内空間がバーチャル体験できるとのこと。自転車遍路の時には気にはなっていた
が寄ることもなく、今回はせっかくなので体験させていただいた。神秘空間をいろい
ろと演出されておられた。目が眩しい外に出て本堂、大師堂もお参りし寺内の散策。
立派な楠が数か所に聳えており、こういった大きな里寺の境内にはよく似合うなあ、
と思った。ただ20年前の時には境内はもっと賑やかで、屋台もずらっと並びまるで御
祭か縁日かといった感じだったけれど、随分静かなのには多少の寂しさも感じる。こ
の寺はいわば四国霊場のシンボルとでもいう寺なので、もっと賑わいのある場所でも
いいのではないか。
 主なお堂にはお参りを済ませ、納経を頂き9時40分に出発。市内の里道を辿り道案
内看板に従い10:30に76番札所 金倉寺に着。門前の茶店兼お詣り用品店で、残り少な
くなってきた納札を買い、セルフサービスの茶のお接待を頂いた。お詣りと納経を済
ませ11:00に 77番札所 道隆寺を目指す。11:25町中にある 77番札所 道隆寺に着。道
隆寺は自転車遍路の時に山伏さんが護摩行をしており多くの善男善女がお詣りされて
いて近在の人も集まり賑わっていたのだが、今回は護摩行もなくたいへん静かだっ
た。その代わりと言っては何だけれど、最近テレビ番組の『出川哲朗の充電させても
らえませんか?』のロケがあって、6月4日にオンエアーとのポスターが張り出してあ
った。見たいけれど見ることができるかどうか微妙。お詣りと納経を済ませ 11:45に
出発した。
(左:金倉寺仁王門、右:金倉寺本堂)
(左:道隆寺仁王門、右:道隆寺にて、下:境内)
(丸亀城下の賑わい)

 この辺りは道路も県道33号線となり、多度津町から丸亀市へと入っていく。土曜日
のせいもあってか丸亀市街は賑わっており、交通量も多い。暫く行くと丸亀城があり
久々の対面が懐かしかった。城下の市役所前ではイベントなのだろうか、フリーマー
ケットやら模擬店が出て家族連れが楽しんでいた。ちょっと寄り道の誘惑を振り切っ
て、ママチャリで駆ける。78番札所 郷照寺近くになると、宇多津町に入る。少しや
やこしいが先ほどは仲多度郡多度津町でこの先は綾歌郡宇多津町と言うらしい。
(左:郷照寺参道、右:礼拝場所、下:瀬戸大橋も近い)
 12:35に78番札所 郷照寺に着。郷照寺は少し小高いところにあって、過ぎてきた丸
亀市よりこの先の坂出市の町並みがよく見える。瀬戸大橋も良く見えて感慨ひとし
お。思えば78番、あと10寺で結願だ。しかも明後日高松市内に入るとママチャリを預
け残りは歩いて回る。本当にワクワク感で、腰痛などは忘れてしまっている。13:15
に郷照寺を出発、すぐに坂出市の繁華街に入ってきた。イオンがあったので13:50に
レストランで昼食。
 14:40に79番札所 天皇寺を目指して出発。天皇寺付近には八十場の水(やそばのみ
ず)と言う井戸がありその近くに名物のところてん屋さんがある。20年前はその前を
通りところてんを頂いて(注文で)、お接待でバナナを頂いた。その思いがあり、今
回もところてんを予定に入れていたのだが、店の案内板が何か所に掲げられているの
にどうしてもたどり着けなかった。諦めて、15:20 天皇寺にお詣りする。この寺は、
白峰宮と言う神社と共存している。天皇は崇徳天皇(のちに上皇)のことらしい。崇
徳院(上皇)が権力争いに敗れ遠流・幽閉された場所で上皇の怨念が漂い、それを慰
撫する寺ということらしい。『せをはやみ~』の歌にイメージする崇徳院とはまた少
し違ったイメージも。並置している神社の白峰は、明日行く予定の五色台の白峯寺
(しらみねじ)の前衛寺の里寺に併設されたのかなあとも思う。本堂、大師堂にお詣
りし納経を頂いて、本日最終の国分寺を目指す。
(左:天皇寺、右:天皇寺本堂、下:白峯神社)

(左:讃岐の国分寺、右:国分寺の納経所)
 国道11号線を走り前方から左側に五色台を見てしばらく東方向を走り、一旦離れた
JR予讃線と再び合流したところが県道との分岐で、県道へと走ると国分駅で、16:20
に駅に近い 80番札所 国分寺へ到着。ここはもう高松市で国分寺の背景の五色台は市
民のシンボル的な憩いの場所のようだ。いくつかのピークがあり、最高地は大平山
(478.9h)か。全体に丘陵地帯で、ドライブウェイがあり善通寺自衛隊の用地・演習場
があり、山中をかなり古道を復元したと思われる山道の遍路道が通っている。国分寺
は四国4県すべてにあり国分寺を各地方(豪族単位か)に建立したとされる桓武天皇
のころから阿波、土佐、伊予、讃岐の4地域があり計算が合う。それはどうでもいい
話ですが、その国分寺がそれぞれ雰囲気が異なっている。すべて里寺で近在の人や遍
路で賑わいを作る寺ですが、何というか寺としての存在感が、私は讃岐の国分寺が一
番すっきりと収まる感じ。温かみと落ち着きが感じられる。お詣り、納経を済ませ今
日の朝に予約した遍路宿を探した。思ったより国分寺から離れており、少し探したが
県道沿いのうどん屋さんのようだった。挨拶して戸を開けると、ご主人が出て来られ
て店の裏の店の顧客用駐車場の向こうの普通の民家のような宿泊所に案内していただ
いた。2階建ての1階の一室で、本日はあと一人「見えられるかもしれない」というこ
とで、一階のもう一室も宿泊準備がされていた。2食付きで、食事はさすがにうどん
屋さんを本業とされておられるようで、大変美味しく頂いた。ゲストハウスのような
雰囲気で、適度のプライバシーも保たれて落ち着き、ご主人のおこころづかいの『距
離感』が良くて、私にはとても快適でした。今朝は一抹の不安を感じていたけれど、
この一期一会は素敵なものでした。
                                                                                                                                以上
(本日の移動距離 約30.5km   うち歩行 11,205歩 8.32km)

四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 39・40 写真は根香寺への十九丁にある無人接待所

2023-01-01 17:18:03 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 菩提の道場(香川県)編
(39日目・5月29日) 遍路宿にママチャリを駐輪させていただいて、五色台の
          古道の遍路道を存分に歩き、白峯寺(しらみねじ)、根
               香寺(ねごろじ)に詣り、遍路宿へ。遍路宿から自転
         で高松市内の一宮寺近くの天然温泉きららの湯のゲストハ
         ウスに宿泊。
 晴れ夕方から小雨模様。5:30起床・朝食7:30出発→9:15一本松→車道から古道の遍
路道→10:10 81番札所 白峯寺(H280m)11:05→12:50 82番札所 根香寺(行動食)
13:45→15:59 JR鬼無駅→16:10 牛JR国分駅→16:20 遍路宿→17:00 83番札所 一宮寺
→17:20天然温泉きらら(泊り)
 5:30に起床、朝食を頂いて駐輪しておくママチャリに積む荷物と背負っていく荷物
とを分け、7:30に出発。遍路宿の周りは住宅街で案内地図を頼りに遍路道へと入って
いく。ジョギングをしておられる地元の方に声を掛けられ、登山口に入り口まで案内
していただいた。今日は日曜日で子供さんの運動会があり、この後行かれるそうだ。
(左:国分町中の遍路道、右:山道への入り口)
(左:山道から坂出方面を振返る、右:遍路道の休憩所)
(山道と県道の合流地点の一本松)
 入り口からすぐに山道になり途中2か所の休憩所にも立ち寄り写真を写したりしな
がら9:15に山道の遍路道と五色台のドライブウェイのような県道との合流点の一本松
(H380)に到着。そこからはしばらく県道を歩き、約20分で山道の遍路道へと続く分岐
があり、そこから再び山道の遍路道を辿る。この辺りは陸上自衛隊の善通寺基地の演
習場に囲まれていて、遍路道も左手は鉄線で丈夫そうな柵が連なっている。道には少
し年代物の『陸軍』と彫られた境界石柱が埋められ、息苦しい感じ。それでも快適な
遍路道を歩き、魔尼輪塔(まにりんとう)やら下乗石(げじょういし)を見て、
10:10 第81番札所 白峯寺(H280)に着いた。白峯寺は崇徳天皇の遠流への怨念を慰撫す
る寺ということだが、深山の中の寺であり、十分にその雰囲気が漂っている。20年前
には自転車遍路の最終回と言うことで、パートナーと一緒に歩き遍路をしたスタート
の寺。その時は白峯寺近くの、かんぽの宿坂出(現、ニューサンピア坂出)に宿泊
し、朝7:00にお詣りして参拝客もおらず十分怨念の寺の雰囲気だったが、今回は10:00
を回っている。結構賑わってきているが、やはりそれなりの雰囲気は十分にあった。
境内を一通り廻り主なお堂にはお参りし納経を頂いて、11:10に出発。
(左:白峯寺門、右:白峯寺本堂)
(左:魔尼輪塔と下乗石、右:その説明看板)
(左:快適な古道(復元)の遍路道、右:十九丁の接待所(無人))
 白峯寺から 82番札所 根香寺への遍路道は、へんろ道保存協力会や多くの皆様のご
尽力のおかげと思いますが、快適で素晴らしい道でした。昔の遍路道の遺構やお遍路
さんの無縁仏や、あちこちの靡(なびき)のようなお祈り場所やら、いわば大峰奥駆
道のような落ち着いた癒しの道でした。十九丁の臨時の無人接待所を過ぎてまもな
く、再び県道に合流。みかん園のところから再び遍路道に入り少し行くと五色台子ど
もおもてなし処がある。地元の小中学生が整理・メンテしてくれているらしく奇麗に
片付いていて、きれいなトイレも並置されてあり、善根宿として宿泊もできそう。別
に女性専用の善根宿の小屋もあり、至れり尽くせり。”NO WAR"
"RESPECT HUMANNRIGHITS”のメッセージを残してきた。遍路道は20年前よりず
っと整備されていた。
(左:五色台こども遍路おもてなし処の中、右:女性専用善根宿)
 おもてなし処からすぐ、12:50 82番札所 根香寺(H365)に着いた。根来寺の山(仁
王門)前の雑木林に牛鬼(おしょにん)のモニュメントがある。20年前はまだ新しく
愛嬌のあるウェルカムグリートであったが、さすがに20年間の歳月か、雑木林の生育
と相まって風格が出てきている。根香寺もまた、高松市近郊の五色台とはいえ、深山
幽谷の雰囲気が漂っている。大木に囲まれた本堂、朱塗りの大師堂に詣り納経を頂い
た。大師堂横のベンチで行動食を食べ、13:45にJR鬼無駅を目指してスタート。
(左:根香寺入口にある牛鬼、右:根香寺境内の参道)
(根来寺大師堂、ここで行動食)
帰りは道を変え高松西高校の北の県道を歩くつもりだったが、またしても道迷い。
行ったり来たりで結局高校の東側の道を歩き、2時間近くのアルバイトの末やっと駅着。
(鬼無駅に向かう道からの高松市街地と瀬戸内海)
 15:59発の予讃線の列車に乗り、16:10国分駅、16;20に遍路宿に戻った。早速、ママ
チャリで一宮寺を目指そうとして、店の方にご主人に挨拶に伺うと、

  ご主人「ご苦労様でした。ちょっと遅いので、何しておられるのかなあと思ってま  
    した。」
 私  「一応順調ではあったのですが、何しろあちこちと興味深くて見学やら見物や 
    らわかりませんが、ゆっくりしてました。」
 ご主人「ああそうですか。これから先は見えてますけどお気をつけて。」

 ということで、少し雨模様にもなってきた空を気にしながら、時間は間に合わない
と思いつつ 83番札所 一宮寺とその近くの本日の宿泊場所の、天然温泉きららの湯を
目指した。一宮寺には少し道迷いもあって17:00着。お詣りと納経は明日朝として、
そのままきららの湯へと向かう。17:20着。スーパー銭湯で、宿泊は宿泊スペースで
雑魚寝かと思っていたのだけれど同じ敷地内にある別棟ですと言われた。別棟に行く
ときれいな3階建ての建物で部屋は個室、自炊もできる『炊事場付きゲストハウス』
のよう。他にも遍路さんが数名と自動車遍路か観光客かわからないけれど宿泊客がお
られました。フロントで温泉も入り放題ですし、ごゆっくりお過ごしください、と声
を掛けられた。ずっと遍路宿さんにお世話になってきて、急に都会に戻ってきた感じ
だったがお接待のお心遣いを感じました。

(40日目・5月30日) きららの湯はスーパー銭湯だけれど、雑魚寝ではなく
             個室のゲストハウスに宿泊させていただき、温かいお
            もてなし。本日は高松市内に入りリラックス日を兼ね
                         てスターバックスで残り日程の整理と原稿纏め。夕方
            には明日スタートする 第84番札所 屋島寺麓の遍路宿
                                     に移動
 晴れ。7:00起床、荷物整理8:20→8:35 第83番札所 一宮寺8:45→9:00きらら・朝食
11:15→高松市内・自転車、荷物預け→13:00昼食→13:40スタバ16;20→18:00屋島の
遍路宿着(泊り)
 本日はこの通し打ち最後のリラックス日で、高松駅近くに自転車と不要不急の荷物
を預け明日からの歩き遍路に向けて屋島寺の麓の遍路宿に移動の予定。
(左:一宮寺仁王門、右:一宮寺境内)
 7:00に起床して荷造りをしてから一宮寺に向った。近辺の地名は一宮が冠になって
いるところが多く寺の近くには立派な神社もあり、古くから里人が集い賑わいの有っ
た所なのだろうと思う。8:35に第83番札所 一宮寺に着きお参りを済ませ納経を頂い
た。
(左:きららの湯本館、右:きららの湯のゲストハウス)
 きららの湯に戻り朝食のモーニングサービスを食べ久しぶりに新聞などを見てゆ
っくりし11:00過ぎに出発。高松駅に向かい駅の地下駐輪場に駐輪、料金は何と6日間
で100円とのこと。それから荷物の一時預かり所に向かい不要不急の荷物を預けた。
すこし玉藻城址界隈を散歩した後駅の食堂で昼食後、スタバに入り原稿の整理。今ま
で徳島、高知、松山と都会は通って来たけれど、結願を目前にして、何なんだろうか
洗練された都会に違和感のようなものを感じる。
 スタバを出て、屋島寺麓の遍路宿へと向かった。少し歩けば屋島はよく見えており
目算で1時間くらいかと思ったが意外と遠く、それと遍路宿さんの場所が良く分から
ず電話で聞きながらで、結局2時間近くかかり18:00に到着した。普通は遍路宿には
17:00には入るようにしているので、少し心配しておられたようだ。本日の宿泊客は私
のほか3名で、他の方はビジネスのようだった。
(本日の移動距離 約15.5km  内歩行距離 約8km  10,673歩)

四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 41 写真は 86番札所 志度寺 門前からの五重塔

2022-12-26 16:40:03 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 菩提の道場(香川県)編
(41日目・5月31日) 屋島寺から一気に第87番札所 長尾寺まで。いよいよ
            結願に思いを馳せる。楽しくて充実の遍路の旅。20年
                 ぶりにお世話になった遍路宿さんは、今のご主人は息
           子さん。お接待に心が憩まる思い。
 晴れ。5:40起床、朝食、7:35遍路宿発→8:30 第84番札所 屋島寺9:15→悪路の歩き
遍路道→壇ノ浦古戦場跡散策→洲崎寺→12:00 八栗寺参道、ケーブル乗り場→12:35 
第85番札所 八栗寺13:00→14:30琴電・JR志度駅前→14:45 第86番札所 志度寺
15:10→16:35 第86番札所 長尾寺17:00→17:05遍路宿(宿泊)
 いよいよ結願に思いを馳せ、気も高ぶり気味で5時前には目覚めていたがしばらく
微睡みつつ、5時半過ぎに起き上がって、女将さんに挨拶して7時半過ぎに出発。旅館
は廃止になった屋島ケーブルカーの乗り場跡にすぐ近く、かつては大変賑やかだった
と思う。乗り場前は今でもちょっとした広場になっていて観光バスや路線バスなどの
スペースもありそう。屋島寺には車両専用のスカイウェイが頂上へ繋がっていて、歩
きの場合屋島の西側の小学校の横の道を歩いて登っていく。その道は多くの地元の方
の健康登山やウォーキングの道で、遍路姿で登っているとすれ違う地元の皆さんが激
励の声や朝の挨拶の声を掛けてくれる。
(左:遍路宿の朝 右:参道の柱状節理 下:屋島寺山門(仁王門))
 柱状節理の岩壁や古い石仏を見ながら50分ほどで標高約200mの第84番札所 屋島寺
山門(仁王門)着。山門を潜って広場になった場所にベンチがあり、そこで朝食。屋
島は変わらず観光地だけれど、20年前から比べるとずいぶん落ち着いてきた感じがす
る。お詣りを済ませ境内や展望のきくところを歩き、対面の八栗寺を抱える五剣山を
見て下山を始める。まだ朝の内で観光客や自動車での遍路さんもあまりおらず、スカ
イウェイを走行している路線バスの時間表を見るとあまり本数も多くない。かつては
国民宿舎などもあったように思うけれど、今では賑わいはそれほど感じることもなく
少し寂しい思い。
(左:源平合戦説明看板 右:下りの遍路道(悪路) 下:洲崎寺のモニュメント)
(屋島寺境内)
 スカイウェイは自動車専用で、歩行や自転車は禁止なので、八栗寺に行くには山道
の遍路道を降りるか、登ってきた登山道を戻るかしかなさそう。現在は廃墟のように
なっている観光ホテルの前から遍路道が出ているが、20年前に通ったときにはかなり
の難路、悪路だった。少しは整備されていることを期待して下山を開始したが、相変
わらずかなりの悪路のままだった。天気は晴天で道が滑とは無いが、目の不調で遠近
感がつかめずかなり苦労をして下山、4回転倒しいずれも前のめりの転倒を避けるよ
うに歩き、尻餅をつく転倒だったが、とにかく難儀した。四国遍路道の中でも一番の
難路、悪路ではないかと思う。
 やっとの思いで、壇ノ浦合戦の由緒を伝える地元の神社や会館が点在する最奥部の
市街地に出るとスーパーマルナカがあり、休憩を兼ねて簡単な行動食。ここまできて
足に魚の目ができたため、スピール膏も仕入れて店を出た。源平の合戦の由来を石板
に刻んだプレートを多く並べている洲崎寺(すさきじ)に立ち寄り平家最期の地に思
いを馳せ、一気に八栗寺を目指した。参道の結構登ったところに八栗寺まで登ってい
く八栗ケーブルの乗り場がある。今回はスルーして横の鳥居をくぐり歩いて八栗寺を
目指す。行く手には五剣山が聳えていて、山岳修験の寺に向かう感じ。
(左:八栗寺参道 右:ウェルカムゲートの山門(仁王門))
 12寺30分過ぎに歩き遍路へのウェルカムゲートの山門(仁王門)着。山門越しに立
派な荘厳とした雰囲気の 第85番札所 八栗寺(やくりじ)の本堂が見える。摩崖仏が
刻まれた岩壁もあり、厳粛な雰囲気の境内を歩いてお参りを済ませ、ケーブルカーの
八栗寺の降り場の横から屋島を振返れば壇ノ浦を隔てて屋島が一望、左の方は高松の
市街地が一望の絶景。
(左:八栗寺の摩崖仏 右:頂上駅付近からの屋島振り返り)
 志度方面に向かうJRや琴電方面から八栗寺に登ってくる県道を降りる。やがて琴電
の踏切を超えて国道11号に出て、交通量の多い国道を志度方面に向かう。八栗寺から
2時間弱歩き琴電志度駅、JR高徳線志度に着きそこから10分強、14時45分に 第86番
札所 志度寺(しどじ)に着。門前から立派な五重塔が聳えるのが見え、海に近く近在
の人たちで賑わいの有るような雰囲気の寺だ。20年前と大きく変わったのは、境内中
が草木で整備されて緑の寺になっている。自然が残りつつ、よく整備もされ大変落ち
着いた心地良い境内になっている。納経所の裏は池のある石庭で、納経所のガラス越
しに見ていても素晴らしい景色が作られている。納経所の僧侶さんにそのことを話す
と、先代の住職さんが庭の手入れに腐心されたとのことだった。
(左:志度寺本堂 右:立派な石庭 下:平賀源内記念館)
 志度の町並みは旧街道のような雰囲気で、歴史を感じる。志度寺の寺前町だったの
だろう。結願の寺の2つ前の里寺で、そういった賑わいの町ではないかと感じる。そ
してなんといっても日本の天才、平賀源内に縁があり志度寺門前の墓地には源内さん
の墓があり、町中には『平賀源内記念館』があり、町に調和している。今回、実は時
間が迫ってきており見学は残念ながらパス。
 15時過ぎにいよいよ長尾寺を目指す。大丈夫とは思うけれど時間も迫ってきてい
る。志度駅から右手は里山、左手は田園で高徳線と並行し、住宅のニュータウンも見
える県道3号線を辿り、途中から遍路道の看板に従って県道を離れ、少し落ち着いた
旧街道のような遍路道に入る。玉泉寺(ぎょくせんじ)を経てさらに歩くと一旦県道
に再合流し、そのまま横断して川沿いの土手の道を行く。横断地点の一つ先の橋のた
もとには遍路休憩所が作られている。ここは20年前には真新しい休憩所で、ここで長
寺方面を遠望しながらパートナーとゆっくりして、激痛の足を癒したことをはっきり
と思い出す。橋のたもとには遍路道、長尾寺の看板があり、いよいよ本日のゴールも
近い。
(左:長尾寺近くの休憩所 右:長尾寺への遍路道が続く 下:長尾寺仁王門)
 16時半過ぎに 第87番札所 長尾寺(ながおじ)着。門前にある遍路宿さんに荷物を
預かっていただき身一つでお詣りする。立派な里寺で落ち着いた懐の深さを感じる寺
で、個々の僧堂も本堂の鴨居の彫刻も相変わらず立派で存在感が絶大。お参りを済ま
せ納経を頂いて少し長尾の町を歩く。ここは始発が高松築港駅の琴電長尾線終着駅長
尾に近く、20年前は駅前商店街は賑わっていて、私は足の激痛がたまらなく薬局を探
し回った。幸いすぐに見つけて大きめの絆創膏やら消毒液を買い込んだ。当時、靴の
選択に大失敗。履き慣れたはずの登山靴を履いてきたが、白峯寺から五色台を歩き通
すのがやっとで、道が舗装道路となった下山路は真夏の灼熱下、歩くのも困難になる
ほどのまめができてしまった。実は20年前は、結願を目前にここでリタイア、断念を
一旦決断したのだった。結果どのように結願したかは『自転車遍路遍』に書いてあ
る。
(左:長尾寺本堂 右:遍路宿の快適な部屋)
 その駅前商店街も現在はほとんど店も無く、駅前の賑わいもほとんどない。町自体
が東の方面に広がり少しはずれにはスーパーマルナカもできて、住民の皆さんの動線
も変わってしまっている。長尾寺門前の遍路宿も当時お世話になった民宿と同じ屋号
の旅館で懐かしく思っていたが、きれいに新築されて別館まで建てられていた。当時
宿泊した場所が今は新築の別館となっていて、向かいの本館は新築。現役世代と思わ
れるご主人が対応していただいたが、当時の女将さんはお母さんとのこと。今もご健
在で時々は旅館に見えられるそう。当日は所用と言うことでお会いできなかったが、
一気に懐かしさがこみ上げてきた。この日は同宿は50~60才代くらいの男性の歩き遍
路さん。私と2人が宿泊だった。明日も晴天とのこと。いよいよ結願に向かいワクワ
クしてくるが、快食、快眠。
            (本日移動距離 26.4km    内歩行 35,195歩 26.4km)