(18日目・5月8日)三陽荘~須崎市 ホテルバンダガ 横波スカイライン、
たぶん古道の名残か、古仏に護られている道を歩く
6:00起床、朝食→8:15発→ひたすら横浪半島の横波スカイラインを歩き→須崎市ホ
テルバンダガ
(三陽荘から朝の土佐湾、太平洋を望む)
(三陽荘の豪華な朝食)
快晴夕方から小雨。本日、怒涛の歩き3日目。昨日詣った青龍寺の参道を過ぎれば
登り坂で、その後標高100m~140mの尾根道を歩き続ける。この道は横波スカイライ
ンで足摺に向かって右手は宇佐から続いている浦ノ内湾で左手は遠大な太平洋。断崖
絶壁に白波が押し寄せている。大型連休最終日の日曜日で、観光客も随分と少なくな
ってしまった。坂道を登り切ったら小さなアップダウンの繰り返し。遍路道はこのス
カイラインともう一つは浦ノ内湾をはさんで対岸の県道23号とコースが分かれる。自
転車遍路の時は23号を通ったので今回は観光客の多さに少し躊躇はあったけれど、い
ろんな遍路道をとの思いから古道かどうかも分からないけれど、横波スカイラインと
した。距離はさほど変わらない。
(横波スカイラインから太平洋を望む)
(浦ノ内湾側も海辺には道はない)
歩き出すと、ゴールデンウィークというのに車が少ない。逆に心配になってくる。
それでも地元のバイクの走り屋さんがツーリングやサーキットで結構走っている。こ
ちらが右カーブ対面が左カーブで山などで前方が見えない場所では、バイクも結構倒
してインをカットして入ってくるから音がしたら突然鉢合わせのようになって何回か
ヒヤッとした。うち、一人はバイクを立て直したときにちょっと見ると高齢の人に見
えた。しばらく行くとちょっとした駐車場兼展望所のようなスペースがあり、移動式
の屋台のような売店が出ていた。おばさんが店番をしており、ジュースを買った。
おばさんから話しかけられた。
「お遍路さんやってはるんですか、おいくつですか」
私
「73です。」
「へえ、えらいですね。私は74才ですわ。車では何回か回ってますけど。」
「ほんなら、イノシシですか。」
「いや、ネズミの4月生まれで、このまえ74になりましたんや。」
私と同じ1948年生まれだった。おばさん、NO WAR のゼッケンみて訪ねてきたの
で、戦争絶対反対と書いてます。というと盛んに本当ですね、うちのおじいさんも戦
死してるんです、と話してくれた。
(駐車場にある売店。移動式?)
(道のあちこちに、古仏が祀られている)
先ほどのバイクの走り屋さんはこちらの方へ戻ってきては屋台のある所でUターン
して、再び走り出している。どうやらこの場所と宇佐町寄りのスペースでのUターン
でサーキットしている様子。その2人組の人たちが何回目かのUターンの時にバイクを
止めて、屋台の方へと近づいてきた。フルフェースのヘルメットを取ると、結構年配
の人だった。見た感じは60才代に近い50才代か。そうか、今日は日曜でサンデーライ
ディングを楽しんではるんやな。だけど、歩行者フレンドリーでお願いします。
さらに歩いて、次の広い駐車スペースやトイレのある武市半平太像広場で小休止。
(土佐の偉人。すごい!!)
(武市半平太はここで太平洋を睥睨している)
南国市で武市半平太の生家があったけれど、像はやはり太平洋を睥睨するの場所が似
合うのか。
スカイラインを歩いて思ったけれど、ひょっとしてこれは遍路道の古道として使わ
れたのではないか、と思った。何しろすり減ったような古仏があちこちにある。そし
てわれわれの先祖は道を作るときに、海辺、川辺、つまり遍路(辺路…同意の字
変)、山では鞍部(山越え)、尾根筋(見晴らしが効く)とか理由があるが、ここは
海辺は断崖絶壁で不可能、浦ノ内湾沿いも断崖絶壁が多く、今でも在所や集落はほと
んどない。
やがて、スカイラインも平地に降りて、浦ノ内湾の最奥部で県道の遍路道と合流し
て、遍路小屋や休憩所のある所を過ぎ、須崎市街地に入り、本日の宿泊場所ホテルバ
ンダガ着。明日は鉄道、バス使用で、岩本寺と足摺岬の金剛福寺へ。
(浦ノ内湾最奥部の地。ここからほぼ平地を須崎市街へと)
(本日、43,926歩。 すべて歩きで、30,7Km)