【70才のタッチ・アンド・ブースト】ーイソじいの”山””遍路””闘病””ファミリー”ー

【新連載】 『四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ』

四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ プロローグ(写真は結願の寺 大窪寺にて)

2023-02-07 16:48:09 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ プロローグ
プロローグ

 2022年4月21日雨の中、四国八十八札所遍路通し打ちに出発し、6月1日に結願、6
月2日・3日とお礼参りで1番札所 霊山寺に打戻りで、四国遍路の路を繋ぎ通しまし
た。路線バス、JR、3セク鉄道など一部公共交通機関も使用し、スケジュールのリミ
ットとの関係で松山から高松までは、現地で購入したママチャリを移動手段として使
用いたしましたが、山岳修験の寺も含め約800km以上は歩き、200km以上は電動アシ
ストでない足踏みママチャリで通し、予定通り45日で通し打ちをやり遂げました。究
極の『マイウェイ』でありましたが、ひとえにマイファミリーや多くの皆様の温かい
ご理解とエールを抜きにはありえなかったことで、心より感謝しています。
 『四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ』は、記録に残しておきたいと思
い4月21日のスタートから毎日モバイルパソコンでその日の記録を書いたものをブロ
グにアップしていったのですが、さすがに連日の30km前後の歩きや山登りで、涅槃の
道場(愛媛県)に入ったあたりからは遍路宿へ着くとまずバタンキュー、入浴、食
事、早寝でそれもかなわず、4~5日ごとのリラックス日にまとめて書くようになりま
した。四国での多くの皆さんとの一期一会にこの年にして新しい経験知を重ねること
ができているんだなあといった実感に、もっとこの時間を大切にと思い、毎日随時手
帳に記録を残し、結願して帰阪後時間を作って記録に残すことにしました。
 幸い、手帳に記録を残す習慣はずっとあり、デジカメの1,000枚以上の写真と合わ
せ、私のマイウェイをの行動を再現するのには困らなかったのです。ただ、帰阪後涅
槃の道場も過ぎて菩提の道場(香川県)に入ってのブログアップの原稿を書いてい
て、毎日の遍路が楽しくて仕方なくなってきたのを思い出したのですが、今後電子書
籍化するにあたって、この『思いや気付き』は日々の記録には留めていないのでブロ
グのアップ終了の前にプロローグに残しておこうと思ったのが今の率直な気持ちで
す。時系列でいうと、マイウェイを終えてエピローグで記すものかと思いますが、涅
槃の道場に入って結願からお礼参りの打戻へのワクワク感は、何とか忘れないよう
に、との思いです。
(寺前街の参道からの 1番札所 霊山寺の山門。好きな景色です。)

1.自分の思いの移り変わり
 (出発前の思い)四国歩き遍路通し打ちは自分が彼岸に旅立つまでの目標の一つで
した。コロナで動けない状態が続いているときに、プーチン(あるいは彼を支配する
好戦者達)らがウクライナ侵略戦争という絶対悪の蛮行を行い、これに対する意思表
示として#NO WAR #Respect HUMANRIGHTS のキャンペーンを四国遍路とジョイ
ントしようと思いました。プレスリリースや高知県で断酒会への参加、ウクライナ支
援のクラウドファンディングなどのアイデアも合わせ、最初はかなり入れ込んで、
『受け狙い』を考えました。ただ、パートナーからの指摘もあり、『受け狙い』はト
ーンダウンしましたが。
 (徳島県を過ぎた頃からの思い)発心の道場と言われる徳島県は、JRを述べ7駅間
と阿波海南から甲の浦間の鉄路とバスの両用のDMVを利用しただけで全部歩き通し。
室戸半島東側は最初から路線バスと決めていました。路線バスに乗りながら雨に祟ら
れ厳しかった徳島で出会った人たちに思いを馳せ、室戸岬を過ぎて室戸半島の西側を
歩いているうちに、『受け狙い』は止め、真摯に遍路をしよう、と決めました。『究
極のマイウェイ』どころか『究極の自己満足だった』と恥ずかしながら気付きまし
た。めげそうになるメンタルを自分で叱咤したのは、修行の道場といわれる高知県に
入ってからだったと思います。
(歩き遍路へのウェルカムゲート 横峰寺山門にて)

 (通し打ちを結願しての思い)88のすべての霊場を打ち終えて、そしていろんな思
いがありすぎて、率直なところ『心が軽く歓喜の思いのカオス状態』です。遍路の通
し打ちは、体力(健康)、メンタル(健康)、社会的諸条件(資金、仕事、社会活
動)等の限界に身を投じるわけです。それは究極の『マイウェイ』だと思います。そ
れをさせてくれた皆さん特にファミリー、励ましてくれた友人や仲間の皆さんたちに
心底からの感謝です。
 結願の宿、民宿八十窪で同宿だった女性一人男性は私を含めて三人でしたが、全員
通し打ちでの遍路結願で、皆さんそれぞれ自分の遍路道を打ち終え、気持ちがとても
軽くなったのと90才の大女将さんや女将さんの心のこもったおもてなしに、皆さんほ
っとしたのでしょう、話が弾みました。私はその時改めて『とにかく楽しかった』思
いを実感しました。そして出発の時の思いである『楽しく元気で、ポジティブに長生
きしなければ損だ!!』を改めて自分のこれからの人生のアンカーに、と思ったこと
です。感謝、感謝。

2.『曖昧』の心地良さ
 なぜ、これほど心地良いのか、何故『是非また来たい、来るぞ』とワクワクするの
か考えてみました。いま、私なりに分かってきたことは2つあります。あくまで私な
りに、です。
 一つは四国の皆さんがたの『お接待』の心遣いが、まったりとまろやかに伝わって
くる心地良さとでもいったことです。つまり、お接待をして頂く皆さんの心遣いや優
しさは遍路に対して、何の見返りも求めず唯々遍路に対する尊敬、敬愛を頂かれて、
私の場合、それがじんわりと目一杯に伝わってきて、何とも言えない心地良い自己肯
定感の高まりへと拡がっていくといった実感でしょうか。
 もう一つは、四国の遍路宿や地元の皆様やほかの遍路さんともちろん毎日よく出会
うのですが、
 「なんで、遍路をされてるのですか?」
 という遍路をしている理由は聞かないのが当たり前の暗黙のマナーのようなものを
感じています。簡単な自己紹介くらいはしたり、特に歩き遍路は山屋が多いのか、た
またま山の話題になると結構話が弾むことがありますが、肝心の遍路の理由は話すこ
とがないようです。
 実はそれがいいのです。例えばですが、信仰の宗派の教義のためと言っても、空海
さん縁で真言宗のお寺が多いかというと、分かりません。ほとんどの寺には『〇〇宗 
□□寺』とは書かれていません。単に寺名のみです。外国人のお遍路さんは、おそらく
空海さんと真言宗と四国遍路の繋がりなんて研究者でない限り『お話』の世界でしょ
う。私自身そうですが。中には通し打ちの理由について、早回り記録を残す、何回回
ったか記録を残すとか。早回りもトレラン系もあれば鉄子さん、鉄ちゃんの世界もあ
ります。100名山番外編とかもあります。しかし歴史的には負の巡礼もあったわけで
す。21世紀に入っても隠然としたいわれのない疫病、疾病や差別に抗ったり、祈りに
縋ったりの悲劇の代償もあったでしょう。それぞが皆異なった価値観や思い、考えで
遍路をしています。だから是か非か、勝か負けか、優劣かなどは無いのです。それぞ
れの究極のマイウェイを実現しているのだと思います。
 結願の遍路宿では皆さん通し打ちで、寡黙な遍路さん、スーパー鉄子さんら合計4
名の遍路さんと、宿の大女将さん、女将さんと夕食を頂きながら和やかに話しまし
た。その時気づきましたがこの通し打ち中一番心が軽やかになったのではないだろう
か、きっと皆さんらもそんな思いなのかなあ、と思いました。
 このマイウェイ中の私自身のいくつかの教訓も含めてです。世の中の『正解』『問
題解決力』『数値化された序列付け』『効率性』等々あふれかえる価値観による人に
対する『値踏み』や『評価』の呪縛から離れ、『曖昧』の心地良さに実感できた四国
曼荼羅て素敵だなあ、その中で花遍路をさせていただくのは幸せだなあ、の実感を体
験させていただきました。それを知っていただければ何より嬉しい思いを、先にプロ
ローグに書かせていただきました。
(結願の寺 大窪寺にて)

 もう一つ、私は2020年夏から延べ2年間かけて区切り打ちで自転車遍路をしまし
た。当時は大阪南港、深日、神戸中央突堤、摂津本山のジャンボフェリーターミナル
など四国と阪神を結ぶフェリーボートが多くの航路で運航されていて、自宅発着、フ
ェリーターミナル、船経由で四国霊場の遍路が可能でした。その時は歩きではなく自
転車で、宿泊はビジネスホテルと野宿(仮眠)で、また50才代前半で体力自慢でもあ
りどんどん走れということで四国の皆さんや遍路さんとの触れ合いは多くは無かった
のですが、同行二人の意味もお接待もその時に知りました。2年かけて、最後の区切
りはパートナーと歩きで、丸亀から大窪寺に3泊4日で結願したときに、また来たい、
もっと四国曼荼羅の世界に浸りたい、という思いが心に刻み込まれました。
 私は、旅立つまでに4つの目標を持っていました。『四国曼荼羅花遍路』はその一
つですが、プライオリティ(優先順位)は下位で、順番でいうと『西穂高岳から槍ヶ
岳全山縦走』『マッターホルン・ピーク登頂』『知床半島縦走』の4つです。しか
し、フィジカルの限界が近づいてきていることと合わせ、網膜剥離の後遺症か黄斑上
膜か分からないけれど、視力というより左右の見え方のバランスが悪くなり遠近感が
つかめない。そのため登山も登りはそれなりに登るけれど、下りが岩場や悪路など特
に不規則な段差があれば怖くて歩けなくなりました。実際に転倒も多くなり、穂高・
槍もマッターホルンも知床も諦めました。
 そのうちに世の中はますます住みづらく、年金は着実に減額される、医療費負担は
確実に増えていくやらで、社会的諸条件の限界が近づく実感と、前記の(出発前の思
い)とあわせ、今回の遍路通し打ちを決心しました。ということで『お役立ち情報』
『反省』などは、エピローグで話させていただきます。
 
 今回の遍路で、73才にして新たに得た経験知や何よりも自分自身のFreude(フロイ
デ・歓喜)を記録にとどめておきたい、という思いでブログにアップし私本(プライ
ベート・ブック)にして残す予定です。そして私のファミリー、仲間たち、関わりの
あった人やお世話になった人達に、荷物にならない程度の記憶として、片隅にでも残
っていただければ嬉しいです。そして何よりも、四国曼荼羅ワールドの皆様やそれに
繋がる皆様への感謝の気持ちとして受け止めていただければ、望外の幸せです。
                       (以上、プロローグ、ブログ版)