答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

箍(たが)

2024年07月18日 | 食う(もしくは)呑む
「たがや」という落語があります。「たが」は箍。主人公は箍をつくる職人。つまり箍屋です。舞台は両国の川びらきに打ちあげられる花火見物客でごった返す橋の上で、ご存知「た~まや~」という掛け声と、「たがや」とをかけたダジャレで終わる地口オチの代表格ともいえる古典です。
箍とは、桶や樽の外側を締める木や鉄でできた輪っかのことです。今では意匠としてしか存在しないものが多いのですが、ぼくがちいさかった頃にはまだ、タガが締まってなければその機能を発揮しない桶や樽が現役のモノとしてありました。そこから派生したのが「タガを締める」や「タガがゆるむ」、あるいは「タガが外れる」といった言葉です。

「タガを締める」。ゆるんだ気持ちや規律を引き締めることを指します。
対して「タガがゆるむ」は、緊張が弛んで締まりがなくなることを言います。
そしてそれが嵩じると、箍によって締めつけられた板が、そのテンションを解くとバラバラになってしまうように「タガが外れる」。そうなると、なかなか元には戻りません。

二十歳そこそこあたりからぼくの酒飲み作法において重要な位置を占めてきたのが、「タガを締める」でした。
そうしようと決めたキッカケは、親戚のおじいさんに法事の宴席で贈られた「ええか、酒は飲んでも飲まれたらいかんぞ」という言葉。今となっては、じつにありふれ、手垢にまみれた言葉ですが、飲むたびに酔いの心地良さに身も心もゆだねていた当時のぼくにとっては、天啓のような響きをもって届きました。
そのころです。カウンターの隅でシュッと背筋を伸ばしてコーヒーを飲むという高倉健の姿を雑誌か何かで目にしたのは。
よし。今日からこれを作法にしよう(といっても、いつもいつでも背筋を伸ばして飲めるはずもなく、あくまでも己を律するための心象としての健さんなのですが)。それ以来、ミーハーでお調子者の青年は、自身の「飲み作法」を「タガを締める」に定めました。

それから45年以上の時がすぎました。
近ごろはさておき、全盛期のぼくが「酒が強い」と皆から言われていたのは、何も絶対指標としての酒量が多かったからではなく、多くの場合で、酔っても「タガがゆるむ」ことがなかったゆえだと自認しています(もちろん、手酷い失敗は何度もありますが、それはそれとして)。

ところがこのごろ、それがどうもあやしくなってきたのです。
先日も、締めの挨拶というやつを頼まれ、あろうことか途中で絶句したことがありました。笑ってアタマを掻き、むりやり一本締めを強制してその場は終わったのですが、あってはならない失態です。原因はといえば、たぶん、ただの偶然でも加齢のせいでもないはずで、酒に身をゆだね、酔いに身を任せたせいにちがいありません。

酒はおそろしい。いくらたのしいからといって、それに身も心もゆだね切ってってしまえば、知らぬまに心と身体が侵され、気がつけばタガは弛み、いつしか外れてしまっている。
酔いに身を任せるのは、妻や子らの、ごくごく近しい間柄の人間の前だけにしておかなければ、とんでもないことになってしまってからでは取り返しがつきません。
そんなこんなを思いつつ、今一度、四十数年前の初心に戻ろうと心に誓う辺境の土木屋66歳なのですが、さて、できるでしょうか。少々不安がないではありません。しかしここはひとつ、タガを締め直してがんばってみたいと思いますので、酒席で雲行きが怪しくなってしまったぼくを見かけたら、こう声をかけていただければ幸いです。

「た~がや~」

m(_ _)m

コメント
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