答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

詰める〈考〉その3/6 ~〈なぜ〉がやめられない~

2024年08月28日 | ちょっと考えたこと(仕事編)
はじめから読んでみてあげようかという人はコチラからどうぞ
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たとえば 「なぜ?」
あるいは「なんで?」
ときには「どうして?」

Whyは、かつてのぼくの口癖のようなものでした。過去形にしたのは、意識をしてそれを少なくするようにして今があるからです。
もちろん、悪気はありません。たしかに自分自身に生来備わっている底意地のわるさは認めますが、むしろ善意にもとづいたものであることが多かったはずです。
しかし、こちら側の悪気の有無はことの是非には関係がありません。いやむしろ、「善かれの思いこみ」、しかも〈上〉が〈下〉に対するそれは、考えようによってはタチがわるいとさえ言えます。

「少なくなった」といっても、今でもいつも、心のなかに「なぜ」は芽生えます。それを心中で飼うか殺すか、あるいは口から表出させるか。それだけのちがいであり、数が少なくなったわけでもなければ、一切なくなってしまうこともありません。
表に出すことを控えるようになったのは、先ほど述べたように、相手に心理的抵抗を生み出させないため。ただそれだけのことです。

「問題を発見したら〈なぜ〉を5回繰り返す」という、トヨタ生産方式を代表する手法のひとつとしてあまりにも有名な〈なぜなぜ分析〉の効能については、万人の知るところでしょう。ぼくもまた「〈なぜ〉を繰り返す」派でした。しかもかなりの積極派としてです。

しかし、「なぜ」を個人の内的行為として使うのは別として、そこに相手がある場合のそれは、針にも刃にもなりうることを十分に承知して用いなければ、かえってわるい結果を生み出してしまうことが往々にしてあります。
それが顕著にあらわれるのが、彼我の関係に強弱がある場合です。そして、特に仕事においては、フラットな関係性を見出すのは非常に困難です。つまり、彼我の関係における「強弱」や「大小」は、至極当然のこととして存在しています。

その関係性における「なぜ?」の発露には、2つのパターンが考えられます。
ひとつは〈弱〉が〈強〉に対して使う「なぜ?」で、もうひとつはその逆、〈強〉が〈弱〉に発する「なぜ?」です。
前者の場合には何の問題もありません。むしろ〈弱〉の方は積極的に発するべきであり、それを受ける〈強〉には、それに対して真摯に答える義務があります。
問題となるのは後者です。
そこで繰り返される「なぜ?」は、「〈詰める〉の5分類」のなかでも最もキツイ〈追い込み系〉となり易いからです。しかもそれは〈詰問〉という行為となってあらわれやすいがゆえに、される側にとって心理的圧迫をともなうことが多くなります。
もちろん、いくら立場が「弱い」とはいえ、自身の信ずるところをキッパリはっきりと述べてファイトすればよいだけのことなのですが、そこはそれ、そうすることが出来ない人も多いのが人の世の常というものです。

そういった感情の機微に気づかないか、あるいは感知していても無視するかしたうえで、ぼくはたとえばこう言ってきました。

「オレは単純に疑問に思うから聞いてるだけなのよ」
「ここを素通りしたら問題は解決せんのよ」
「ここで原因を解明しておかんと先へはつながらんのよ」

言っている当の本人は大真面目です。しかし、こちらが真剣であればあるほど、詰問の沼はどろどろとなり足をとられて抜けなくなる一方となってしまいます。
そのことに気づいたぼくが採用した問題解決方法のひとつが、「〈なぜ?〉と問うのをやめてみる」という方法でした。

といっても、先述したように、ぼくの内なる「なぜ?」は止まることがありませんし、止める必要もありません。
行おうとしたのは、まず「なぜ?」という問い方、あるいは〈問い〉そのものを禁じ手に近いものとすることでした。そこでは、「なぜ?」によって強化され発展していくクリティカルシンキングは心に留め置き、脳内で醸成させながら、「なぜ?」に代わる言葉を探し出して口から出し、そこからの状況を観察しながら問題解決の道筋を探っていきます。
その代替となる語句は、具体的にはWhenでありHowであるのですが、それはどこかの誰かからの受け売りです。そうではなく、ぼくが考え出したもののひとつに、おなじ「なぜ?」を口にするにしても、それを直接ぶつけるのではなく、いったん独り言めいて発してみるという方法があります。

「なんでそうなったんやろなあ?」

意外なことに、これは効果がありました。といっても、相手にとってどうこうというのではなく、自分自身のマインドセットとしてです。つまり、まずモノローグとして口に出すことで、自分自身の心持ちにワンクッションを置く。そして、そこから別の切り口を探して問題解決につなげていく、これがぼくが採用した「〈なぜ?〉の変形活用法」でした。

とはいえ、ご推察のとおり、事はそれほどかんたんではありません。
「〈なぜ?〉をやめる」というミッションを毎日リマインドし、「〈なぜ?〉の変形活用法」を心がけたところで、脳内にどっかりと居座り、しっかりと根づいたその悪癖(もちろんその根底となる心根も含んでいます)の手強さが、そう易々とそれを実現させてくれるはずもなく、今でも折に触れては「〈なぜ?〉と問う」てしまう自分に気づき、あわてて蓋をしてしまうことがよくあります。

 ~つづく~
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