書いていて、おのれの語彙の少なさにほとほとあきれ返ることがよくある。しゃべっているときも同様だ。
はたまた、書いていて表現力の乏しさがもどかしく、切なくて哀しくて泣きそうになることがたまにある。これまた、しゃべっているときも同様だ。
こんな心情を吐露すると、「いやいやこれだけ書ければ十分でしょ」とか「あれだけしゃべれて、まだそんなこと言うの?」とか、きっと必ずそうおっしゃる人が出てくるのだが、当の本人は「貧しい才能」だとマジメに思っている。
若いころはそうではなかった。根拠のない自信で満ちあふれていた。だが、齢(よわい)も60を数えると、さすがに自分自身のレベルというものがわかる。では自分に自信がないか、と言えばそうではなく、いやいややはりそこは相当な自信家には違いないが、上には上があるという単純な事実を十分すぎるほど知ってしまった今は、あっさりシャッポを脱ぐしかない。
そんなオジさんが近ごろ買った本。
『読み手という病』さんに教えてもらった。
大人の語彙力が面白いほど身につく本 | |
話題の達人倶楽部[編] | |
青春出版社 |
シャッポは脱ぐがあきらめたわけではない。
「貧しい才能」とは認めるが、そこに居着くつもりもない。
辺境の土木屋59歳、
まだまだ発展途上人だ。
いまの私にも不満はあります。
年と共に、用心深くずるくなっている自分への腹立ち。
心ははやっても体のついてゆかない苛立ち。
音楽も学びたい、語学も覚えたい、とお題目にとなえながら、
地道な努力をしない怠けものの自分に対する軽べつ ー 。
そして、貧しい才能のひけ目。
でも、たったひとつの私の財産といえるのは、いまだに
「手袋をさがしている」ということなのです。
どんな手袋がほしいのか。
それは私にも判りません。(中略)
私は、この年で、まだ、合う手袋がなく、キョロキョロして、
上を見たりまわりを見たりしながら、
運命の神さまになるべくゴマをすらず、少しばかりけんか腰で、
もう少し、欲しいものをさがして歩く、人生のバタ屋のような生活を、
少し誇りにも思っているのです。
(向田邦子『夜中の薔薇』より「手袋をさがす」)
夜中の薔薇 (講談社文庫) | |
向田邦子 | |
講談社 |
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