答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

「お神輿組織理論」から「大勢で工程を引く」を考える

2017年07月18日 | CCPM

大人数でお神輿を担いでいると、誰か一人が力を抜く。それでも神輿は進む。二人、三人と力を抜いても、まだ進む。ますます力を抜く人が増え、やがて限界がきて、神輿は倒れる。(『ヒューマンエラーを防ぐ智恵』中田亨、朝日文庫、P.152)

 

「お神輿組織論」(金出武雄博士)というのだそうだ。まずほとんどの人は異論がないのではないか。そしてそれは、大きな組織になればなるほど顕著になるのだろうということについても同様に、少し考えればわかりそうなものだ。

じゃあ小さな組織には当てはまらないかといえば、さにあらずだとわたしは思う。

たぶん神輿を担ぐという行為の最小単位は4人なのだろうが(わたしの体験上です。それ以下があったらゴメンナサイ)、そのわずか4人にしてからが、肩にかかる荷の重さは均一ではない。担ぎ手の位置や背格好、その他もろもろの要素で異なってくるのが普通だ。誰かに重荷がかかったとき、別の誰かの荷は軽い。それでも神輿は進むものだ。

言わずもがな、神輿担ぎの話ではない。組織の話だ。「お神輿組織論」は小さな組織にも十分すぎるほどに当てはまる。

そしてそれは、いわゆる「凄腕」の経営者や、いわゆる「デキる」上司が、その強烈な個性と実力でグイグイと引っ張っていくというタイプの組織だけではなく、わたしが標榜してきた「チームの力で成果をあげる」タイプの組織にも無縁ではない。いや、むしろ後者のほうが、目立たぬ分だけその危険性は高いという見立てもできなくはない。チームワークといえばそりゃ聞こえはいいが、その表裏一体としての他者依存が、その種の組織にはいつだって潜んでいる。一見すると仲が良さげな分だけタチが悪いのかもしれない。

 

「工程は大勢で引く」

わたしが習ったところの「CCPMの基本」だ。

11年前、そのスタイルに出会ったときの衝撃を今でもわたしは忘れない。

以来、何年かにわたってそれをつづけたが、ある時期からそのスタイルを放棄した。「複数で組む」という基本については手放してはいない。だが、局所的にはそれすらも、こだわる必要がないときだってあると考えている。

なぜか。

「誰がそれに責任を持つのか」という問題が常にあるからだ。「誰がそれに対して責任をとる覚悟を持てるのか」と言い換えてもいい。工程を大勢で引いた場合、常にそこから生じる温度差がつきまとう。だからといって、責任がない立場だからこその「軽いノリ」から生まれる発想やアイデアを、あだやおろそかにしてはいけない。そのプロジェクトに対する責任感が希薄だからといって、出す意見が薄っぺらだとは限らない。むしろ、異なった立場の人間を集めて、その立場ならではの意見を拾い集めることに「大勢で工程を引く」メリットがある。わたしが衝撃を受け、魅力を覚えたのもそこだった。

ところが・・・

 

大人数でお神輿を担いでいると、誰か一人が力を抜く。それでも神輿は進む。二人、三人と力を抜いても、まだ進む。ますます力を抜く人が増え、、、

 

回数をこなせばこなすほど惰性に陥り、「お神輿理論」が説くところの現象が明らかに表出するようになった。

だから「限界がきて、神輿は倒れる」前に止めた。

そして何年か経ち、今年度になり、また少し方法を変えた。「大勢で工程を引く」スタイルには戻ってない。わたしとしては、あの方法がとても好ましく、手放したままでいることがまことに残念でならないが、それもこれも、

 

ますます力を抜く人が増え、やがて限界がきて、神輿は倒れる。

 

という事態を避けるための判断だ。そのためには、マンネリにならないこと。惰性におちいらないこと。何より自分自身がそうであることが肝要だ。

以上、惰性と堕落の日常を生きるオヤジが「お神輿組織理論」にふれ、われと我が身をふりかえって「大勢で工程を引く」について考えた、の巻である。

 

 

 

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