答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

石巻の女

2017年07月05日 | 三方良しの公共事業

本日のタイトル、この歌から拝借 (^_-)

 

 

ヒゲブチョーのブログ、『旅は続く!』を読む。

そこに書かれている司会のお嬢さんのことは、翌日彼から直接聞いていた。

いわく、

それまで何時間か、自分自身がしゃべらないときは気配を殺すかのように椅子にすわってじっとしていた彼女が、ひのさん(わたしです)の話が始まるとすぐ身を乗り出して聴き出し、ときおりはうなずき、またときおりはメモをとりして真剣に聞いていた。

 

そういえば・・・

その返答に代えてわたしは、その前々週に鹿児島でとある人からもらった言葉を彼に伝えた。

いわく、

あなたのあの話は、建設業のことを語っているようでいてそれだけじゃない。仕事というものにすべからく通底する大切なものがあるんです。

 

石巻のお嬢さんも鹿児島のとある人も、いわゆる業界人ではない。そして彼彼女らに何らかを届けられたらしい拙話は、まちがいなく業界の構成員に対して向けたものである。

そのときわたしの頭に浮かんだのは、桃知さんの「技術者のためのメビウスの帯」論だった。

 ↓↓

技術者のためのメビウスの帯をハサミでチョキチョキと・・・・・・

 

桃知利男さんは「ただの丸い輪」を「円環モデル」と名づけ、「公共工事という産業」を表した。


 円環モデル


円環は内と外との明確な差異をつくってしまい、内は外とのコミュニケーションを遮断する。そしてそれを外から見ればこんなふうだ。

「公共工事という産業」は「なんだかわからないもの」になってしまっており、その「なんだかわからないもの」でしかない建設業という共同体にとって、円環の中で会話を繰り返すだけでは、もはや「私」も「われわれ」も救えない。

それを前提として、その「円環モデル」にひねりを加え「メビウスの帯」としようと桃知さんは言う。


 メビウスの帯(ひねりを加える)


そうすることで、内と外との差異はあるとしても共存が可能なモデルを構築(つまり、閉塞せずに共同体性を保つ)し、「公共工事という産業」という共同体と、その共同体を取り巻く世界とが(モデルとしては)共存可能なんじゃないかと、桃知さんは説いた。

 

話を「わたし」に戻す。

期せずして、「円環の内」(共同体)に向けた話が、それと同時に「円環の外」(共同体を取り巻く世界)への発信になった。その事実が教えてくれるものは何か。

それは、ただの円環に「ひねりを加える」だけで閉じた内側が外とつながるということの証ではないか。もちろん、わたしたちの身体がある「現場」が外との接点であることは、昔も今も違いようがない事実だ。接していないわけではない。

ただ、内側とは表裏一体の「表向き」で外と接してはいるが、実質的には閉じているというのが円環モデルたる(大多数の)わたしたちだった。そのなかにいて、自分たちの特殊性を誇るのも「だれもわかっちゃくれねえさ」と特殊性を嘆くのも、「閉じている」という根っ子は同じ。それを打破するために、まずは「ひねってみる」。白井健三ばりに「シライ」「シライ2」とまでは出来なくとも、とにかく「ひねってみる」。「ひねり」を加えようとしてみる。その前提として必須なのが、「閉じた円環をハサミでチョキチョキ切る」という行為だ。ハサミでチョキチョキ切らずして、円環に「ひねりを加える」ことはでき得ない。つまり、「メビウスの帯」をつくるために「ひねりを加える」行為は、「閉じた円環をハサミでチョキチョキ切る」行為とセットになって成立していることを忘れてはならない。

 

てなことを考えながら、ヒゲブチョーのブログ『旅は続く!』を読んだ。

その心意気やよし。

となれば、それに呼応することで本日の稿、締めくくりとする。

 

あの時灯った小さな炎を消さないように、遠い星を目指して旅を続けていこうと思った。

それはひとえに、建設業が”なんだかわからないもの”になってしまわないように。

(byヒゲブチョー

 

 

そしてわたしは、そのための「芸」を磨いていこうと思う ^^;


 

 ヒゲブチョー撮影

 

 

 

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