インターンシップの高校生を現場へ送っていく途中、ふと考えたこと。
いや生徒さんとはな~んにも関係がない。
なんだかふと考えてしまったことである。
弱さについて。
身体の強い弱いではなく、
ましてやケンカの強い弱いでもない。
ついでにいうと立場の強弱でもない。
心の弱さについてである。
「弱い」のは仕方がないことだと私は思う。
現に、そういう私にしてからが、齢60が視線の向こうに見え始めた今になっても、
おのれの「弱さ」とつき合いつづける日々ではある。
だが問題は、その弱っちいという事実にあるのではなく、
あるとすれば、こういう心持ちのなかにあるのではないだろうか、と思うのだ。
つまり、「弱さ」と向き合ったときに他者を拒否して閉じてしまうか、
あるいは、弱い自分を認めたうえで他者に対して努めてオープンにふるまうか。
じつは後者を選択する人は少々つらい。
水面下でバタバタと足掻かなければならないからである。
だが、そのご褒美が、「弱さ」を克服する可能性だったとしたら、私はとりあえず足掻いてみたい。
とはいえ、追い込まれていると思いこんでいる当の本人が、
「努めてオープンにふるまう」などということが、
そうそう簡単にでき得るはずもないのは百も承知二百も合点。
克服したら克服したで、また違うステージでは、別の「弱さ」が頭をもたげてきて、
結局のところ、「弱さ」というやつは、そうやって一生つきまとってくるようにはできているのだが、
そうやって克服しつづけようとすると、それはそれで強さを身につけることができるのだ。
ひょっとしてそれは、「強さ」とはいいつつも、厚かましさや図々しさやある種のあきらめとかいうやつがないまぜになって少しずつ身についていったに過ぎないものかもしれず、
ホントの意味での「強さ」ではないのかもしれないが、
それもまた、渡る世間を生き抜いていく武器には違いないのである。
まずは、自分の「弱さ」を認めて許せるかどうか。
笑顔でたたかえエブリバディ、なのである。
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