【文七元結】 立川談志
『文七元結』を聴く。
立川談志、平成15(2003)年10月の高座(京王プラザホテル)である。
落語通でもマニアでもないくせに、こういうことを言うのもなんだが、わたしは長いあいだ立川談志という人の落語が好きではなかった。
なんというかその、あの早口と、時として聞き取りにくいあの口調になじむことができなかったのである。
「長いあいだ」という前フリをして、「好きではなかった」という結論へともっていくのはもちろん、今ではそうではないということに他ならない。変えさせてくれたのは『芝浜』だ。それがいつの時代のどの高座だったのか、しかとは覚えていないが晩年にはちがいない。ナルホドこれが、この人が名人だと呼ばれる所以か。まこと至芸とはこういうものを指して言うのだろう。そう思った。以来、「談志の落語は好きではない」などと口走ることはない。だがそう言いつつも、好んで聴くほどでもない。それがわたしと立川談志のあいだがらである。
そんなわたしが、居住まいを正して『文七元結』を聴いたのはなぜか。
先日読んだ、そして今また再読している、『思いがけず利他』(中島岳志)において折りにふれて顔を出し、基調となっているのが『文七元結』、しかも「立川談志の」『文七元結』であるからだ。
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私が「利他」という問題を考える際、その核心に迫っていると考える落語の噺があります。「文七元結」です。
(P.14)
ポイントは、五十両と共に起動する「利他」です。父を助けようとする娘、長兵衛を助けようとする女将、文七を助けようとする長兵衛、そして近江屋の主人。利他的贈与が連鎖し、五十両が循環することで、みんなに幸福がもたらされます。
しかし、重要なことは長兵衛が必ずしも「根っからの善人」や「模範的な人間」ではないということです。
(P.17)
では、落語が重視するものは何か。それは「小義名分」である。そう談志は言います。
人間は小さな存在です。細かいことに執着し、嫉妬ややっかみを繰り返す。エゴイズムから逃れ出ることもできない。しかし、その「人間の小ささ」を大切にするのが落語であると、談志は主張します。
(P.28)
卑小なる人間の「業」を見つめ、温かく包み込むことで、存在そのものを肯定する。「いのち」を抱擁する。人間の不完全性を容認し、大らかなまなざしを向ける。そのことによってこそ、人間は救われる。談志は、これが落語のエッセンスだと言うのです。
(P.29)
ポイントは、長兵衛が文七に五十両を渡すことが「業の力」だということだと思います。そうでなければ「落語は業の肯定」だという談志の卓越した定義が破綻してしまいます。
私は、ここに「人間の業」と「仏の業」が同時に働いていると考えています。凡夫の「どうしようもなさ」という「業」が、「利他の本質」へと反転する構造こそ、「文七元結」の要だと思います。
(P.49)
自分はどうしようもない人間である。そう認識した人間にこそ、合理性を度外視した「一方的な贈与」や「利他心」が宿る。この逆説こそが、談志の追求した「業の肯定」ではないでしょうか。
(P.55)
「利他」というのは、何か単独で「利他」という観念が成立しているわけではありません。大きな世界観の中で、無意識のうちに、不可抗力的に機能しているものです。重要なのは、「利他」が「利他」と認識されない次元の「利他」です。
長兵衛は、霧の吾妻橋で、そんなところに立っていたのだと思います。
(P.57)
「文七元結」の長兵衛の行為は、与格的です。その行為は、意思の外部によって引き起こされた「衝動」であり、「業」としか言いようがないものです。立川談志は、この長兵衛の非合理性に人間の豊かさを見出し、晩年までこの噺を演じ続けました。
(P.97)
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ここまで書かれて聴かずにおれるか?てなもんである。
そして聴いた、というわけである。
ちなみに、よせばイイのに野暮を承知で土木屋的うんちくをひとつ。
この噺、明治中期に三遊亭圓朝が創作したものだというから、舞台となった吾妻橋はこれ。

『墨田花吾妻賑』(楊州周延作)
明治20年に掛け換えたばかりの錬鉄プラットトラス橋ではないだろうか。
あるいは、作者である三遊亭圓朝が馴染んていたのは、その先代。明治9年に架設したが、洪水により、そのわずか9年後には流出してしまったという西洋式木橋(方杖橋)かもしれない。

『大川の景 あずまばし』(三代歌川広重作)
しかしやはり、どうせなら江戸期の橋をイメージしてたのしみたい。

『隅田川八景 吾妻橋帰帆』(歌川広重作)
(以上浮世絵は、『東京人』july 2020、 特集「橋と土木」より)
というのは、噺を聴いたあとで調べてわかったこと。
こうなりゃどうでも、もいちど聴かずにゃいられない。
聞くとこの噺。演者によって様々な解釈がなされ、改作されているという。
YouTube をさらっとながめただけでも、志ん朝、志ん生、圓生に小三治、いずれ劣らぬ名人上手の高座が並んでいる。
さて、どうしたものか?
しばし思案ののち、やはりふたたび談志だと決めた。
『思いがけず利他』に書かれているのは、なんといっても「立川談志の」という括弧付きの『文七元結』であるのだもの。著者に敬意を表する意味でも、もひとつ聴いてから他を、という順序にするべきだろう。
ということで、あしたの朝あたり。
(立川談志の)『文七元結』。
もいちど聴いてみようか。