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答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

落語聴き比べ ~ 『居残り佐平次』

2021年12月17日 | 読む・聴く・観る

 

『居残り佐平次』を聴いた。

『文七元結』に味をしめて、聴き比べだ。

まずは、1993年の立川談志から。

 

落語 立川談志「居残り佐平次」

 

つづいて、演じた年代がいつかはわからないが柳家小三治。

十代目 柳家小三治【居残り佐平次】

 

ふたつだけの比較だと、圧倒的に小三治である。

この場合の談志は、「1992年の『文七元結』」がウソのように、なんだか冴えない。

なぜだろう?と思ったが、それを解明するほどの(落語に対する)知識も見識も経験も持ち合わせてはいないのだもの、考えるだけムダというものだ。

まあいい。

と、次を物色する。

こうなるとにわかには止まらない。

さてと・・

この前聴いた(観た)『文七元結』の至芸が目と耳に焼きついている。

やはり志ん朝は外せない。

 

居残り佐平次 古今亭志ん朝.wmv

 

1980年東横落語会とある。

威勢がいいし、キレがある。

みごとなものだ。

しかし、小三治の方がやや優位か。

そこは好みとしか言いようがない。

もっと晩年の志ん朝を聴いてみるべきだな。

と思いつつ、六代目三遊亭圓生をチョイスした。

Wikipediaいわく、

「大正時代には初代柳屋小せんの十八番とされ、それを学んで創意を加えた6代目三遊亭円生の高座が傑出していたと評される」だ。

聴かずにおけるか、てなもんである。

 

名作落語194 三遊亭圓生 居残り佐平次

 

これがじつに凄かった。

先に聴いた『文七元結』の圓生は、上手なのだが、なんだかのっぺりとしてつまらなかった。

それがだ。とても同じ噺家とは思えない。上手いしおかしいし面白い。絶品である。

もうこれでじゅうぶん。

お終いにしようと思ったが、『文七元結』の聴き比べで柳家喬太郎を選んだように、ここでも「今」の落語家をひとりぐらいは聴いておかなければ申しわけが立たない。誰に?と訊かれても困るが、そんな気がして春風亭一之輔を選んだ。

 

春風亭一之輔「居残り佐平次」

 

わるくない。

本人はわるくないが、わたしの順番がわるい。

圓生のあとならば、誰の『居残り佐平次』でもかすむだろう。

一之輔も、いのイチバンに聴いていれば、もっと異なる感想を抱いたのではないか。

ただ、志ん朝と圓生を聴いたときには、意味が半分しかわからなかったダブルミーニングのサゲ(オチ)への疑問が、[おこわ=おー恐]→[おこわにかける=計略にかけて人をだます]をマクラで解説した一之輔の工夫によって解消したことは、「ほほ~やるじゃないか。ナルホドそういう手があるのか」と感心した(談志と小三治は、現在では通用しない言葉だからだろう、それぞれ別のサゲに変えていた)。

 

ということで、落語聴き比べシリーズその2『居残り佐平次』の巻、とりあえず終了。

この前でうっすらとはわかっていたが、今回はっきりとしたことがひとつ。

前回も今回も、やれ誰がいい、やれ誰がわるい、とエラそうな能書きを並べてみたが、たった一席だけで、よいわるいの比較をするのはナンセンスということだ。

同じ噺家にしても、その場、その時、その年齢、それぞれによって、たぶん同じではない。

だが、あえてそれを承知で、やれ誰がいい誰がわるいとやるのも、落語という芸のひとつのたのしみ方なのではないか。

と、半可通どころか、いろはのイ、にわかのニ、にも届かぬ身でいながら、すっかり通を気取ってわけの分かったようなことを言ってしまったところでお終いとしたい。

この分だと、どうやらしばらくつづきそうではある。

 

 


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