散日拾遺

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桃源郷補遺 ~ 竹を割っても餅が出ること/手もみ茶

2015-03-24 12:09:14 | 日記

2015年3月15日(日)の補遺

 

 以前に書いたことがあるが、愛媛県はブーメラン型に細長くて、東予・中予・南予と辿っていくと風土にも人情にも相当の広がりがある。おまけに、高知や徳島がほぼ一藩一県に近い歴史的一体性をもっているのに対して、愛媛は雑多で多様な小藩の糾合体であったりする。

 南予・松野町の講演に今治から参加してくれる人があったのは、そんな意味ではちょっと面白く嬉しいことである。てなことを話しながら、宇和島までの車の中でWさんが教えてくれたこと。

 東予人は香川や関西に近くて、良くも悪くもさっぱりしているが、南予の人間は「竹を割っても餅が出る」んだと。聞いたTさんが運転するハンドルから両手を離して受けていたから、さほど一般的な言い回しではないんだろうけれど、何しろ面白い。

 ねっちり、もっちり、情が濃いのだね。

 

***

 

 お土産の宝箱の中身、母がことのほか懐かしがったのが、「手もみ茶」だった。どういうものであるかは下記に譲るとして、戦前期に母の母などは、自宅で手もみして手もみ茶を作っていたことが懐かしいのである。

 さっそく飲んでみると、なるほど美味しい。河原で春風を嗅ぐような野趣があり、いくらか中国茶(鉄観音)を思わせるような渋みである。そしてこの茶葉であれば、茶を出したあと食べられるともいうのだ。松江時代に、中海の白鳥に餌を送るからと、家庭の茶殻を小学校で集めたっけな。白鳥ならぬ人間様がいただける良質の茶殻が残るのだ。

 さほど高価でなく手に入るものなら、これを常用してみたいと思うが、下記のような事情だとそう簡単ではなさそう。ときどきの贅沢か。

 

 「手揉みは煎茶本来の製法。摘んだの若芽の飲用成分を抽出し易くし、かつ保存性を高めるために、まずこれを数秒から数分間蒸した後、焙炉(ほいろ)と呼ばれる40℃から50℃に加温された台の上で、手で茶葉をほぐす、こねる、揉むなどの作業を行って乾燥させながら煎茶に仕上げてゆく。

 手揉みにはの産地毎に数多くの流派がありそれぞれに手順が異なるが、総じて1回に煎茶数百グラムを得るのに4時間から7時間を要し、力を使う重労働であるために後継者が不足している。また、手揉みを生かすだけの質の良い茶葉も入手しにくくなっているため、希少価値は高まる傾向にある。

 出来あがった手揉み茶は針状で艶があり、湯を注ぐと元の茶葉の形が現れる。その茶は山吹色で、手揉みならではの深い香りと味わいがある。」 ~ Wikipedia

 

〇 手揉み茶永世名人の技を紹介(相藤農園) http://www.aitou.jp/temomi.htm

 


桃源郷/予讃線有情

2015-03-24 11:16:54 | 日記

2015年3月15日(日) 振り返り日記の続き

 

 Wさんは松野町の上級保健師なんだが、同時に放送大学の学生でもある。こういう頑張り屋さん たちが、放送大学の不動の主役だ。昨年4月、松山での僕の面接授業に出席、その帰り際に「松野町まで話にきていただけませんか?」と質問された。「はあ、 喜んで。足代さえいただければ、それで構いませんので」という返事は、ちょっと失礼だったのかな・・・

 Wさんは、ちゃんと足代を工面してくれた。ならば僕の方に断る理由は何もないのである。ただ、「精神疾患の話」という当初の提案は、現場の実情と関係者の力関係で「認知症」にシフトした。認知症も精神疾患には違いないけれど、認知症の専門家なら他にいくらでもいる。

 「いいんですか?通り一遍の話しかできませんよ?」

 「いいんです、通り一遍の話で。」

  釈然としないなどと、こういう時は言わないものだ。Wさんは二日間みっちり僕の脱線だらけの話を聞いてくれている。その人が「いい」というなら、信用する ものだ。というわけで今回の松野町詣でになったのである。しかし、まさか町長さんや教育長さんまでお出ましとは思わなかった。僕が思っていたより、ずっと 大事な講演なのだ。

 車の中で、Wさん・Tさんからいろいろと話を伺う。和太鼓をなさるというTさんが、ときどきハンドルから両手を離して 手振り混じりに説明してくださるのが、ちょっと恐いような。松野町は例の合併狂騒曲を幸か不幸か生き延びて、結果的に愛媛県最小の町となった。人口 4,300人、若者は減る一方で、昨年の出生数が15人内外、老老介護の現実は他所と全く変わらない。そして潜在的無医地区である。「潜在的」というのは 自治医科大学の卒業生が2名来てくれているからで、この若い医師らが非常によくやってくれているという。それで片づかないことは宇和島頼みになるが、そも そも南予全体に精神科医はてんで足りない。

 町民が必要としているのは、講演者ではなくて医者なのだと、申し訳ない気持ちになる。 70~80人ぐらいのつもりだったんんですけど、100人ぐらいになりそうです、とWさん。ただ、この雨降りでどうなりますかと語らっていたが、フタを開 けたら会場の大会議室が一杯になった。150人ほども集まっているという。高齢の方々だけでなく、壮年・青年の男女の姿も少なくない。始める前から何だか 胸の詰まる感じがする。人口4,300人の地方の町の未来は、実は日本社会の未来そのものではないか。

 

 1時間余りの持ち時間の、前半を認知症、後半をうつ病に充てる。前半では予定通り、池下和彦さんの詩を紹介した。

 『いいちがい』

 ぼくをよぶつもりで

 ここにはいない息子の名前を口にする

 いいちがいに気がついて

 それから僕の名前をかんがえる

 目のまえにいる僕の名前など思い出さなくていい

 ここにはいない息子を呼ぶため

 母には覚えておく名前がある

 

  これ、すごいのだ。「目の前にいて、毎日面倒見てるボクの名前を忘れて、なかなか顔も見せない兄/弟の名を呼ぶのか」と考えたら、口惜しくも忌々しくもな るだろう。しかし考えてみれば、目の前にいて手で触れることのできる相手なら名前は要らない、手を伸ばして触れれば良いのだ。そこにいないものを自分の中に保っておくためにこそ、名は必須である。

 そこに気づいた池下さんが偉い。気づけたことが素晴らしい。このような知恵を「共感的理解」と呼ぶのだ。認知症に限らず困難をもつ相手の援助を、このしなやかな知恵がどれほど生き生きとさせることだろうか。

 

 こんなことを夢中で話すうちに、1時間あまりがあっという間に過ぎた。質疑応答、5人ばかりが代わる代わる立って、鋭い質問やら心に沁みる体験やらを語ってくれる。質問者は女性ばかりで、少し煽ってみるが奥ゆかしい南予の男性はなかなかマイクを握ろうとしない。質問者の中に今治から来た人がある。松野町の医療圏は高知県にもまたがる。狭くて広い四国が会場につまっているようだ。

 最前列に陣取った年輩の女性が、「私は言いたいことがあるけんど、皆の前で話したりはせん。先生、後でここへ」と野太い通る声できっぱり指示し、また会場が和む。何も特別なことを話しもせず、しかしわかりきったことをこうして語り合うのが尊いのだと、いつになくそういう気がする。

 人口4,000余の松野町も、千数百万の東京都も、抱えている問題のキモは実はまるで同じなのである。こうした町に元気が宿り、それが日本の原型になるような時代が来ないだろうか。巨大なアメリカの原型を Clarksville の小邑に見たことを思い出す。「細胞」と喩えてもよい。細胞が健康を取り戻すには、自然に抱かれた地方の力がどうしたって必要なはずだ。

 終了後、町長さん、教育長さんはじめ、皆が総出で送ってくれた。渡された小さな箱は、先に種明かしすれば松野町のお宝がぎっしり詰まったお宝箱で、地酒・酒粕から梅干し・漬け物・手ぬぐい・和菓子の類いまで十七福神というような賑わいである。

 

 宇和島まで送ってくれる道々、WさんとTさんが虹の森公園へ案内してくれた。小ぶりながらよく整備されたアミューズメントサイトで、「おさかな館」やガラス工房で長居するゆとりのないのが残念である。かつては町を挙げて桃を植え育てていたというが、山にも里にも桃が満開の眺めはさぞ圧巻であったろう。今は「桃源郷マラソン」に名を残す、なるほどこの地には何か桃源郷の香りがある。

 ガラス工房の作品には小さく息を呑んだが、残念ながらカメラをもたない。虹の森公園のURLだけ記しておく。

 http://www.morinokuni.or.jp/

 

***

 

 さすがに疲れた。今日の行程や講演に疲れたのではない、気持ちよく仕事して心からもてなしていただいたおかげで、半年の疲れが出てきたのである。この足で松山を北へ過ぎ、両親の様子を見に行くのだが、帰途はまたたくまに居眠りに落ち、菜の花も大洲のお城も記憶にない。

 内子町で海外からの団体が乗り込んできた。中国語に聞こえたが、台湾からだという。台湾語でもサヨナラは再見なのかな、おぼつかないまま言ってみたら、笑顔で同じ言葉が返ってきた。

 JR柳原駅では19時も過ぎ、むろんとっぷり暮れている。最後に失敗、宇和島で松山までの切符を買い、車内で乗り越し精算するのを忘れていた。

 柳原は無人駅である。その向こうに向かえに来てくれた父の車が見える。やれやれと歩き出すと、2両編成のワンマンカーから降りた運転士兼車掌さんに「切符をいただきます」と前を遮られ、飛び上がった。

 「あ、ごめん」「乗り越しですか?」

 運転席へ駆け戻り精算機を取ってくる。360円。千円札を渡せば良かったのに、ちょうどあると見て渡したつもりが、「これは50円玉ですね」、あと50円、10円玉に5円玉に1円玉5枚、何をやってるのこの父ちゃんは・・・

 車内灯とほの暗い街灯の下で、1円玉を地面に落としたりしながら過ぎる時間の長く感じられること。無事終了、2分ぐらい電車を遅らせたかな。運転士に会釈して手を振ると、しっかり敬礼を返しながら闇夜に向かって発車していった。

 


今日の予定と専門性のこと

2015-03-19 07:29:04 | 日記

2015年3月19日(木)

 昨日無事帰京、15日(日)の長い一日のことは、まだ書き終えない。

 今日は午前中、T中学校で教員ミニ研修のお手伝いをすることになっている。日曜日には松野町で高齢者の認知症の話をし、木曜日は東京で中学生の自傷行為の話をするって、ちょっと面白いだろう。そのどちらも、とりたてて僕の専門とも言えないのが申し訳なくもあり、またこれで良いのではないかとも思う。

 いつ、どこで読んだのだったか、ともかくずいぶん昔だが、

 「専門家とは、その領域について全てを知っている人のことではなくて、その領域を歩むときにどんな危険があるかを教えてくれる人のことだ」

 という言葉に触れて考えさせられたことがある。

 危険とは、素人が陥りがちの考え方の誤りとか、思い込みとかいったものか。何しろ、山の案内人にたとえてみたい気がする。メインルートからけもの道まで、全ての道に通じていることは有り難いけれど、それが案内人の真骨頂ではないというのだ。むしろ、今日は/この季節は/この装備でこのルートは「通ってはならない」と警告してくれることこそが、山の専門家の頼もしさであり、深く敬意を払うべき点だというのである。

 

 どうかな、どっちみち僕は専門家とは言えそうもない。しかし、確実に知られていることと、誰も知らないこと、そのどちらともいえないこと、これら三者の弁別はいつも正直にするようにしている。その弁えを忘れなければ、何かの手伝いはできるだろう。

 

 朝こうして短く書くゆとりを、ようやくもつことができた。20日を前に嬉しいことだ。


場の力

2015-03-07 08:52:29 | 日記

2015年3月7日(土)

 昨日は診療後に薬の勉強会。

 いつものメンバーに、今夜は新しくカンバヤシさんが加わる。明日のゼミに備え、他の用事もあって青森から前日の来京とのこと。声をかけたら二つ返事で出席してくださった。朝は青森、昼は埼玉、夜は渋谷、充実の一日だったろう。

 僕よりわずかながら年長、5人のお子さんを育て、医療系の大学の教員をしておられる。そのカンバヤシさんが院生で僕が指導教員というのは、なかなかよくできたジョークである。目論見どおり、合計9名の勉強会が日頃になく盛りあがった。理学部を経て理学療法に転じた重厚な経歴の持ち主でもある。

 

 会がはねた後、6人で一杯やりながら歓談。この忙しい時だからこそ、この機会が外せない。案の定、大いに触発されるところあり、15日の松野町の話が瞬時にしてできあがった。

 これも「場の力」だ。遠隔教育を担う放送大学にあって、学生たちに敢えて「ゼミ」出席を勧奨する所以である。

 さあ、出かけよう。

 


コウがあるかも/15分の出会い/はがき詩信 99

2015-03-05 19:26:41 | 日記

2015年3月5日(木)

 

 打ち掛け図の中央上部に、ひょっとするとコウ狙いがあるかも知れない。仕掛ける準備に2手かかるから遠い話だが、ダメが詰まってきたら案外決め手になるかもな。

 

***

 

 などと考えながら都内某所へ診療に出かける。

 職域健保組合のK保健センター、15年前には精神衛生相談と呼んだが、いまではメンタルヘルス外来である。保健師・看護師やカウンセラーのサポートがしっかりしているので、非常に仕事がしやすく、長いつきあいになった。

 15分枠の診療、通院頻度もたかだか一ヶ月に一回という人と、どれほど交流が深まるものか、他人事として聞けば疑問に思うに違いない。けれども、あながちそうではないことを、ここで繰り返し体験している。時間の長さや頻度が全てではない。むろんこちらの技量の問題でもなく、要はその人がどんな望みを抱き、どんな覚悟でやってくるかにかかっている。そして、それを受けとれるかどうか。

 今日もわずか数件の面接の中に、どれほどの人生が語られたことだろうか。

 

***

 

 そういえば一昨日、千葉のIさんから久々に「はがき通信」が届いた。『母の詩集』『父の詩集』を上梓した、生活詩人のIさんである。その宛名面に、

  健やかであることの、穏やかであることの奇蹟を感じます

とある。まことにも。

 

 「インタビュー」という詩を引いておく。

 

  ボランティアをはじめて間もないころ

  NPO法人の広報を担当する仲間から

  「ボランティアのきっかけは」と訊かれた

  「たいせつな人をなくしたから」と答えた

  「実際に参加して気づいたことは」

  「河畔に住まう人たちと私との距離が紙一重であることを実感しました」

  つい最近までスカイツリーを見あげながら

  花見や花火見物の場所にすぎなかった河畔で

  私は相も変わらず

  うそをついたり

  本当のことを言ったり

 

これを長歌にいただいて

 

  嘘も言い まことも言いつ たそがれつ

これは自分のこと

 

  嘘も言い まことも言いつ 逃げもせず

こちらはIさんのこと

 

 そうか、15日の愛媛県松野町の講演では、Iさんを大いに紹介してこよう。うん、それがいい。