散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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ゆとりの語源を論じる前に

2023-05-17 08:11:39 | 言葉について
2023年5月17日(水)

 忙しいときほど、ゆとりが必要である。そうでなければやっていけない。

 そういえば「ゆとり」という言葉の語源は何だろうと考え、何気なく検索して驚いた。
 「ゆとり」とは昔からある言葉か、それとも「ゆとり教育」という教育方針を立てたときにつくられた造語なのか、本気の質問がインターネット上に複数見られるのである。

 さらに仰天したのは、以下の記事。
> ゆとりとは、総じて知識や常識がない人という意味です。
> 相手がゆとり世代かどうかは関係なく「常識・知識がない人間」と揶揄する時に使います。
> 何にせよ、あまり乱用しないことをおすすめします…。

 いくら何でも、これはぶちこわしというものである。現にそのように使われているという意味で、あながち無視できないのが悩ましいところではあるけれど。

 そうした状況の中で、「ゆとり」の本来の語源についてマジメに詳説する投稿者もある。

 そこにもある通り、「ゆたか」や「(た)ゆたふ」が言葉としても現象としても「ゆとり」と深く関わっているであろうこと、まずは手がかりになりそうである。

Ω

「立ち上げる」はやっぱりヘン

2021-05-23 15:50:09 | 言葉について
2021年5月22日(土)

 高島俊男著『お言葉ですが…』(文春文庫)
 来た来た、来ました。パラパラめくってみれば、期待に違わず面白いこと、ためになること、そして筆者の潔さ。

 国語学者は研究室にひっこんでてもらって、ことばのことは、しろうとでセンスがよくて、思い切り保守的な爺さん婆さんにきくことにすればよい。婆さんが「あたしゃそんなのはイヤでござんすよ。ぜったいに認めませんからね」と眉をつりあげる。それでもグズグズ言うやつがいたら、爺さんが「黙れ青二才!」とどなりつける。
 それでもことばは変わってゆくだろう。それでちょうどよいのである。
(P. 241-2)

 高島氏から見れば当方も老けた青二才ぐらいのところだろうが、せいぜい精進させていただこう。まずは届いた一冊の中で、とりわけ膝を打ち溜飲を下げた項から抜き書きしておく。

***

立ち上げる

 おかしなことばが横行するものだ。
 「立ち上げる」
 たとえば朝日新聞、「震災報道、テレビの1・17」というつづきものの冒頭にこうある。
 〈「おはようございます」。NHK大阪放送局が近畿地方を対象とする地震速報を立ち上げたのは通常の放送開始より一分早い午前五時四十九分。宮田修アナウンサーは第一声で「地震です」と連呼しようとも思ったが、朝のあいさつで一息入れようと判断した。〉
 その先にもある。
 〈東京で震度1なのにNHK東京がADESSの速報より早く放送を立ち上げたのは、独自の警報システムが作動したからである。〉
 要するに「始めた」「開始した」というだけのことらしい。
 なお、ADESSというのは「気象資料自動編集中継装置」のことなのだそうです。まあえらく長い名前の機械だ。
 同じ朝日のこんどはオウム。
 〈教団施設からナトリウムなどを運び出したとして毒劇物取締法違反の罪に問われた小林之生被告(38)は、食品会社を辞めて八九年に出家した。教団内で従事したのは、「即席ラーメン」の(製造)ラインを立ち上げたり、缶詰ラインを立ち上げていこうという仕事」。〉
 これはどういうことなのだろう。一連の設備を作ること?「立ち上げていこう」というのだから、「動かす」の意ではないのだろう。

 どういう意味であれ、「立ち上げる」ということばは、そのことば自体がおかしい。よじれている。分裂している。
 これは「立つ」ということばと、「上げる」ということばがくっついてできている。ところがこの「立つ」というのは、自動詞である。たとえば「わたしは立つ」「わたしは立ちます」だ。目的語をとらない。
 しかるに「上げる」は他動詞である。何を上げるのか、対象物が必要である。「位を上げる」、あるいは「新聞雑誌はじゃまなので棚に上げた」のごとく。
 この「立つ」と「上げる」とがくっつくはずがない。「立つ」とくっつくのは「あがる」である。「わたしは立ちあがった」のごとく(小生はむやみに漢字を使うのがきらいなので「あがる」と書きます)。もし「立ちあがる」という動作を他のものにさせるのなら、「立ちあがらせる」である。「立ちあげる」であるはずがない。
 「上げる」は他動詞であるから、「立つ」の周辺でこれに応ずることばをさがすなら「立てる」しかない。「腹を立てる」「案内板を立てる」など。「たてあげる」とはめったに聞かないことばだが、もし言うとすればそれしかないだろう。「半年がかりで小屋をたてあげた」などと、言って言えぬことはなかろう。もっともこのばあいの「あげる」は達成の意になるが。
 「立ち上げる」ということばを誰が作ったのか知らないが、よほどことばに鈍感な人にちがいない。そんなことばを何とも思わず使っているのも、まあ同程度の人であろう。それをまた、「地震速報を立ち上げた」だの、「ラーメンの製造ラインを立ち上げた」だのと、何百万部も印刷してまきちらす新聞も上等な新聞とは申せない。
(P. 125、以下略)

***

 この記事の初出は1995年10月19日とある。四半世紀以上前のことだが、いま読んでも全面的な賛同・共感を禁じ得ない。
 「立ち上げる」という言葉を自分自身が最初に聞いて目を剥いたのは1986年もしくはその翌年、パート先の精神病院の医局である若手医師が「コンピューターを立ち上げる」と言った時である。「電源を入れて起動する」といった意味に使われたもので、私見ではこの頃からパソコン使用が拡がるにつれ、「立ち上げる」もセットで拡がったように記憶する。
 この種の違和感が時とともに摩滅するものかどうかは、人により言葉にもよるのであろう。「立ち上げる」に関する限り、自分自身の違和感はほとんど減衰していないし、今後も使うつもりはない。少数ながら同様に感じる人々のあることを、折に触れて確認もする。多数派が「立ち上げる」と言うに違いない文脈で、敢えて「立て上げる」と言うところからわかるのである。
 その最も懐かしい例は平山正実先生であった。死生学の科目制作のためのインタビューにあたり、先生が東洋英和の大学院に死生学プログラムを「立て上げた」経緯を語られた際である。ということは2013年の初夏あたり、高島氏の慨嘆から20年近く経っていたが、平山先生もまた「立ち上げる」になじむことはなかったと見える。
 念のために言うなら、これは理屈ではない。自分の中に根をおろした樹木のようなものが、「立ち上げる」と聞こえた途端に吐き気を覚えて身震いするのである。古さの証拠、なんでしょうね。

Ω

お言葉ですが・・・

2021-05-23 05:50:09 | 言葉について
2021年5月22日(土)
 家を片づけていたら、こんなものが出てきた。


 雑誌のコピーに違いないが、そのサイズがA4と微妙に違うUSレターサイズの、しかも見開きである。ページの上が切れているから本来の誌面はA版系列と思われ、どんな経緯でこういう扱いづらいサイズになったのか分からない。
 それはさておき、読んでみれば内容が痛快である。最初の部分を転記すると…

***

 左の文には誤りがあります。見つけてください。
〈大兄が七十三歳の長き生涯を不遇に終わりたるは、抑(そもそ)も一生の出発点に於て、落伍したることが前兆をなしたるものにして、全く運拙(まず)き人として同情に堪へず。〉
 おわかりでしょうか?
 「運拙(まず)き」ではなく、「運拙(つたな)き」ですね。「拙い」はたしかにマズイともよむ。しかし「武運拙(つたな)く石橋山の戦いに敗れ」などと言うように、「運拙し」はツタナシです。
 もう一つ。
〈現に昨年初秋朝鮮汽船会社なるものを起こし広く商売の間に株金を募集し太湖汽船会社所有太湖丸を購入せんと斡旋せし朝鮮官吏ありて……〉
 「商売」はまちがいで「商賈」。商賈(しょうこ)は商人。なお「賈」は、人の姓の時はカとよみます。詩人賈島(かとう)というふうに。

 さきごろ、『平生釟三郎自伝』(名古屋大学出版会)という本が出た。たいへんおもしろい本なので、わたしもある新聞の書評欄で紹介しました。
 この平生釟三郎(ひらお・はちさぶろう)というのは、戦前の日本財界のトップで、まあだいたい、戦後の石坂泰三さんや土光敏夫さんにあたるような人である。
 岐阜の武士の子で、一橋の高等商業を出て、韓国仁川海関の税務官、抗部の商業学校の校長をへて、東京海上保険会社(今の東京海上火災)の専務を長くつとめた。いっぽう教育にも非常に熱心で、神戸の甲南学園を創設した。広田弘毅内閣の文部大臣でもあった。
 文章を書くのが好きで、上手であった。この自伝も、文章に張りがあり、しかも日本の武士のいさぎよい精神がピシッと一本通っているから、読み出したらやめられないおもしろさだ。
 人の前で話をするのも得意だった。
 甲南学園には、この人の書いたもの、および講演の記録がたくさんのこっていて、学園の事業としてそれを整理刊行しつつある。自伝はその一部である。
 ところがこの本、校訂が甚だ付できてある。凡例も注釈も解説もみなわるい。
 拙文最初にかかげた二条は、この本の本文、および注釈に引く文章の校訂ミスである。こういう誤りが何百箇所ともしれずある。校訂を担当しているのは甲南大学法学部教授の某という人だが、なんでこんなできない人にやらせたのか、怪訝にたえぬ。
 「商賈」ということばを知らないから「商賣」とよみまちがえ、「賣」を略字の「売」にした。「運つたなし」という表現を知らないから「運拙(まず)き人」とふりがなする。(石丸注:ブログではルビを振れないので括弧書きに換えてある。)誤植ではなく、校訂者がものを知らぬゆえ生じた誤りなのである。
 そのふりがなだが、自信がなければふりがななんぞつけなきゃいいのである。それをあちこちにつけて、かたっぱしからおかしい。この人凡例に、「特に難解な漢字には慣例に従って適宜片仮名及び平仮名のルビを付した」と書いている。「慣例に従って」とはなんのことだ。わけがわからん。
 「片仮名のルビ」というのは、「名目上(ノミナリー)に家名を存続する」とか「この申し出(オファー)を得て」とか、英語のふりがながたくさんついているが、これをさすのだろうか。
 凡例が不備だから、平生釟三郎の原文が英語まじりなのか、校訂者がつけたものなのか、さっぱりわからんのである。
***

 最初の部分を転記すると称して、あっという間に半ばを越えた。後半は具体的な誤りを次々に指摘・訂正するのが、痛快やら為になるやら。いっそ全文転記しようか、そうしてしまおう、そうしよう。

***
 悪口はそれくらいにして、もうすこしクイズをやりましょう。
〈翌朝目覚め一同朝餉(ちょうしょう)を済ませ……〉
〈斯く船暈(せんうん)に悩まされたる船客も……〉
〈荏苒日を送りて周徳舎にありたるが……〉
〈夜分は余暇多く無聊(むりょう)に苦しむことも少なからず。〉
 正しくは朝餉(あさげ)、船暈(ふなよい)、荏苒(じんぜん)、無聊(ぶりょう)。
 これらは、ことばを知らぬので一つ一つの漢字の音によってふりがなをつけたため生じた誤りである。
 逆もある。
〈到底蟷螂(かまきり)が斧を揮って牛車を打たんとするもの〉
〈好餌(よいえさ)を以て先づ彼等を誘引し…〉
 こういうのは、蟷螂(とうろう)、好餌(こうじ)とよまねばならない。
〈一度雨水を以て洗滌(せんじょう)せざれば……〉
〈名什を見たるときは垂涎(すいえん)三尺の観ありて……〉
〈保守的保険査定員と輸贏(ゆえい)を争ふものなれば……〉
 洗滌(せんでき)、垂涎(すいぜん)、輸贏(しゅえい)。これらは漢字の一部を読んだ「偏旁読み」である。

 あとは一つ一つゆきましょうか。
〈戸沢なる生徒は、函館商業学校に於て退学の処分を受けんとしたるを時の校長、大村励氏が同情して、情けを告げずして本校に転学せしめたるものにて……〉
「情(じょう)を告げずして」ですね。「情(じょう)」は事情、いきさつの意。それを「なさけ」とよみ、ごていねいに「け」の字を加えたものだから馬脚をあらわしちゃった。
〈南條は帰国の上閉店の一日も忽(たちまち)にすべからざる事を統計に徴し、現状を陳べ、力説したるも……〉
「忽」は「忽(ゆるがせ)」
〈今や、我国は、世界的舞台に出で、欧米に於いても不況国と轡(たづな)を連べて馳騁(ちてい)するの境涯に立てり。〉
「轡(くつわ)」にきまってますよね。くつわは馬の口にかませてあるもの。それをならべるから、馬がせりあいつつ前進する意になる。「たづなをしめる」「たづなをゆるめる」などとは言うが、「たづなをならべる」というのはない。
〈余は、一書を載して同氏へ送り、余の志望を陳べ……〉
「裁して」です。手紙を書くことを「書を裁(さい)す」と言う。古い表現ではなく、どうも明治の十年代くらいから小生たちがそう言いはじめたらしい。平生釟三郎も明治の書生だから言う。何度も出てくるがみなまちがってます。
〈大阪師団の楽隊の一部が乗船せし保津川の渡舟が出水のため擢(てき)の当(あたり)場所を誤りて岩頭に衝突して顚覆し、乗人数名溺死したりとの事なり。〉
「擢(てき)」ではなく「櫂(かい)」。「擢」は「抜擢」の「擢」。櫂(かい)は木へん。「当(あたり)場所」は「当(あて)場所」でしょうね。もっとも川くだりで船頭が岩を突くのは、あれはほんとは竿なのではないかしら。その見当がくるって空を突いたので、船が岩に激突したのでしょう。

 なおこの本とは別に、甲南学園編『平生釟三郎講演集』(有斐閣)というのも出ているが、これも出来がわるい。最初の凡例からして、まるでなってない。
 言うまでもなく甲南の平生釟三郎は、慶応の福澤諭吉、早稲田の大隈重信・小野梓にあたる人だ。その人の書きのこしたものの校訂がこれではなさけない。学校の体面にかかわる。いったい甲南に、人はいないんですかね。
***

 4000字あまりを一気呵成に書き写す。これは面白い。面白いけれど誰がコピーしたんだか、何の雑誌の何年何月かわからず、だいいち題字と著者名の上が切れている。内容からしてタイトルは『校訂おそまつ録』何だろうが、博学にして恐いもの知らずのこの著者は、何島さんというのだろう?
 そういう調べ物には便利な時代である。あちこちつついていたら、ほどなく知れた。
 高島俊男、兵庫県出身の中国文学者、エッセイスト。『お言葉ですが…』は週刊文春で1995年5月から2006年8月まで11年間連載されたものである。そして「囲碁が趣味で連載でもたびたびその話題に触れた」とある。何から何まで魅力的なこの人物が、何と先月5日、満84歳で鬼籍に入っておられた!
 書庫の片隅で20年ほども眠っていたコピーがこのタイミングで目にとまること、これをも偶然というものかは。

 合掌しつつさっそく文庫の第1巻を発注、待つこと三日で配達された。

(続く)