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書評 ミル『自由論』(光文社古典新訳文庫)

2024-06-09 01:17:01 | 評論

書評

ミル『自由論』(光文社古典新訳文庫)

(斉藤悦則・訳/仲正昌樹・解説)

〈自由〉という言葉は自由に使われ過ぎて、はっきりとした意味がない。

戦争は平和なり

自由は隷従(れいじゅう)なり

無知は力なり

(ジョージ・オーウェル『一九八四年』)

社会的な問題について語るとき、〈自由〉という言葉を用いる人は、『自由論』を前提にすべきだ。そうでない人は法螺吹きだ。〔『夏目漱石を読むという虚栄』7122 「自由のはき違え」〕参照。

 日本語の場合、〈自由〉にはほとんど意味がない。

一般にlibertyは政治的自由をさし、freedomは主に精神的自由をさすが、後者が政治的自由をさすこともある。

(『日本国語大辞典』「自由」)

〔『夏目漱石を読むという虚栄』5500 「偉大なる心の自由」〕参照。

「自由と独立と己れ」(N『こころ』上十四)がどうたらこうたらといった戯言を読んでうっとりする人は、「先生」に倣ってとっとと自殺しなさい。〔『夏目漱石を読むという虚栄』3400 「自由と独立と己れ」の交錯する「現代」〕参照。

『自由論』の原題は“On Liberty”だ。

freedom 抑圧・制限・妨害などがないことを表す最も広義の語

liberty 拘束・抑圧・隷属などからの解放の結果としての自由

license (堅)行動・言論などの無責任な過度の自由・放縦

(『オーレックス和英辞典』「自由」)

〔『夏目漱石を読むという虚栄』3152 『国家制度とアナーキー』〕参照。

英国の哲学者で経済学者でもあるJ・S・ミル(一八〇六~七三)は、政治思想史的に微妙な位置にある。

高校の倫理の教科書では、快楽主義に基づく「最大多数の最大幸福」という分かりやすい基準を掲げたベンサム(一七四八~一八三二)の(量的)功利主義の原理を修正し、快楽の「質」を考慮に入れる「質的功利主義」を提案した理論家として紹介されている。(中略)功利主義についての教科書的な予備知識なしに、本書を読めば、ミル=“典型的な自由主義者”と思うのが、普通だろう。実際、英米における「自由主義」の発展史では、ミルは「古典的自由主義者」として位置づけられることが少なくない。

(仲正昌樹「解説―「間」の思想家としてのミル」)

 私は「教科書」作者=“知識人”を排除したい。「普通」でいたいからだ。

〔『夏目漱石を読むという虚栄』7133 問答無用〕参照。

(終)


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