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夏目漱石を読むという虚栄 2140

2021-03-13 00:38:31 | 評論

   夏目漱石を読むという虚栄

2000 不純な「矛盾な人間」

2100 冒頭から意味不明

2140 「此所(ここ)」はどこ? 

2141 「ただ先生と書くだけで」

 

『こころ』の冒頭の第二文は、第一文の不備を補おうとして傷口を広げる。

 

<私(わたくし)はその人を常に先生と呼んでいた。だから此所(ここ)でもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。

(夏目漱石『こころ』「上 先生と私」一)>

 

「だから」は、「此所(ここ)でもただ先生と書くだけで」までしか関わっていない。

「あんたのお名前、なんてえのお?」と、トニー谷が算盤を弾きながら歌うと、聞かれる素人はツイストを踊っていたっけ。思い出しただけ。

閑話休題。

〈「私はその人を常に先生と呼んでいた」の「だから此所(ここ)でもただ先生と書くだけ」にする。ただし、「先生」の「本名は打ち明けない」でおく。その理由は次に述べる〉

このように語るのが日本語として適当だ。

「此所(ここ)」はどこ? 「此所(ここ)」がどのような性質の場所なのか、判然としないので、「本名」を秘匿する理由が推量できない。「本名」を明示しても、その後、「先生」で通すことはできる。たとえば、P文書では「静(しず)」と明記されているが、語り手Pは「奥さん」で通している。「ただ先生と書くだけ」の「ただ」と「だけ」は重複。「ただ」が名前みたいだ。

 

 ① 過去のPは、Sに向かって、「本名」を用いず、「先生」と呼びかけた。

 ② 過去のPは、Sについて誰かに語るとき、「先生」という呼称を用いた。

 ③ 「此所(ここ)」の語り手Pは、Sについて語るとき、「先生」という呼称を用いる。

 ④ 「此所(ここ)」の語り手Pは、聞き手Qに対して、Sの「本名」を秘匿する。

 

冒頭の二文の本筋は〈②→③〉だ。〈①→②〉というのは幼稚。他人には通じない。青年Pは、現実の②の場面でも、③のような物言いをしていたのだろう。つまり、Sが生きているときからPは〈SとPの物語〉の語り手だったわけだ〈③→④〉は唐突。

以上を繋ぐと次のようになる。

 

 ①… ② → ③ … ④

 

〈…〉は弱い流れを表す。①と④は、ほとんど無関係なのだ。何らかの関係があるとすれば、語り手Pは次のような真相を隠蔽しているのだろう。

〈過去のPはSについて語るとき、誰にもSの「本名」を打明けなかった。「だから此所(ここ)でもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない」でおく〉

語り手Pは、〈青年PがSの「本名」を秘匿していた理由〉そのものを秘匿しているわけだ。ただし、秘密めかした気分を伝達しようとしている。暗示による忖度の強制。この文は謎めいているが、謎ではない。

 

2000 不純な「矛盾な人間」

2100 冒頭から意味不明

2140 「此所(ここ)」はどこ? 

2142 「受け入れる事」

 

思想には二種ある。〈広場の思想〉と〈密室の思想〉だ。

「此所(ここ)」が広場なら、そして、Sが「一人の罪人(ざいにん)」なら、〈静を含めた関係者の名誉のために「本名は打ち明けない」〉という判断は妥当かもしれない。

 

<古代ギリシアのポリスの公共建築物や柱廊に囲まれた広場。市場にも使われ、市民が政治、哲学などを論じて閑暇を過したポリス的生活の中心。

(『ブリタニカ国際大百科事典』「アゴラ」)>

 

「此所(ここ)」は密室らしい。ただし、PとQの関係は不明。

 

<結社への加入に際してイニシエーション(入社式)を施し、会員が組織内部の位階に応じた秘儀を通過し、人間存在を変革していくこと自体に結社の存在理由をみいだしている。

(『日本大百科全書(ニッポニカ)』「秘密結社」綾部恒雄)>

 

「人間存在」は意味不明。

「遺書」が読み上げられる「此所(ここ)」で、「入社式」が催されるようだ。

 

<私の過去は私だけの経験だから、私だけの所有と云っても差支(さしつかえ)ないでしょう。それを人に与えないで死ぬのは、惜(おし)いとも云われるでしょう。私にも多少そんな心持があります。ただし受け入れる事の出来ない人に与える位なら、私はむしろ私の経験を私の生命(いのち)と共に葬(ほうむ)った方が好(い)いと思います。実際ここに貴方という一人の男が存在していないならば、私の過去はついに私の過去で、間接にも他人の知識にならないで済んだでしょう。

(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」二)>

 

〈「過去」は「経験」で「所有」で「人に与え」られる〉らしい。意味不明。

「過去」の何を「受け入れる事」になるのか。〈「経験を」~「葬った」〉は意味不明。

「私の過去はついに私の過去で」なんて無意味。「間接に」は意味不明。

〈『こころ』は高校卒業程度の日本語の知識があれば十分に理解できる〉と主張する人は、次の三点について、わかりやすく説明しなさい。ただし、短めにね。

 

問一 「受け入れる事」とは、PがSの何をどうすることか。

問二 「受け入れる事の出来ない人」にも、「受け入れる事」がSの何をどうすることか、理解できるのか。理解できるとしたら、あるいは理解できないとしたら、なぜか。

問三 ある人が「受け入れる事の出来ない人」かどうか、どうやって判別するのか。

 

これらの問題に答えない『こころ』ファンを、私の読者として想定しない。消えろ。

 

2000 不純な「矛盾な人間」

2100 冒頭から意味不明

2140 「此所(ここ)」はどこ?

2143 「自分で自分の心臓を破って」

 

「自分以外のものを受け入れようとすればすべて『ふり』になる」(いがらしみきお『ぼのぼの』)とオオサンショウウオさんは喝破した。

 

<他方、ほとんどの人は単に物事を「受け入れ」てしまう。「これが小学校で教える事柄である」と言ってそれでおしまい。常に、「これが最良の方法なのだろうか」と問いかける必要がある。考えることが重要なのです。この能力は記憶を主体とする教育からは生まれない。

(吉成真由美『知の逆転』ワトソンの発言)>

 

「受け入れる事」とは、次のようなことか。

 

<私は今自分で自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に浴せ(ママ)かけようとしているのです。私の鼓動が停った時、あなたの胸に新ら(ママ)しい命が宿る事が出来るなら満足です。

(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」二)>

 

Sが依拠しているところの血液顔射儀式の実態を、私は知らない。だから、この文に含まれたすべての語句の真意がわからない。

Pが「満足」できなくても、Sは「満足」か。あるいは……。止めよう。空しい。

 

<「このぶどうしゅは、わたしの血(ち)、おおぜいの人(ひと)びとのつみをゆるすために、わたしがこれから流(なが)そうとしている血(ち)です。そう思(おも)って、のみなさい。そして、これからも、わたしのことを思(おも)いだすために、これとおなじことをたびたびおこないなさい。」

でしたちは、イエスのいうことがわからないながらも、なんだか、かなしい気(き)もちで、イエスのさいてくれた、パンをたべ、さかずきのぶどうしゅをのみました。

(山本静枝『キリスト』)>

 

私にはイエスの言葉がわからない。原典のカニバリズムの実態を知らないからだろう。

 

なお、伝統的社会に多くみられる秘密結社には入社的なものが多いが、これらはさらに、

(1)結社がその部族の社会組織の重要な一環を占めており、その部族の男は一定の年齢になるとすべて「死と再生」のモチーフを伴うイニシエーションを受け秘密結社員になるもの、

(2)妖術者(ようじゅつしゃ)や呪医(じゅい)、舞踏者たちが職能的、専門家的ないしは階級的な閉鎖集団をつくる場合とがある。

(『日本大百科全書(ニッポニカ)』「秘密結社」綾部恒雄)

 

青年Pは「妖術者」か。作品の外部には夏目宗という秘密結社があるのだろう。

 

(2140終)

 


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