ヒルネボウ

笑ってもいいかなあ? 笑うしかないとも。
本ブログは、一部の人にとって、愉快な表現が含まれています。

夏目漱石を読むという虚栄 1540

2021-03-01 23:06:06 | 評論

   夏目漱石を読むという虚栄

1000 イタ過ぎる「傷ましい先生」

1500 さもしい「淋(さび)しい人間」

1540 「覚悟」とか「主義」とか「人生観」とか

1541 「私の眼に映ずる先生」

 

Sについて、Pは何の根拠も示さず、次のように断言する。

 

<私の眼に映ずる先生はたしかに思想家であった。

(夏目漱石『こころ』「上 先生と私」十五)>

 

「眼」は怪しい。「たしかに」を受ける言葉がない。この文には、〈「私」以外の「眼に映ずる先生はたしかに思想家」には見えないの「であった」〉という含意がある。

この文は、次のような循環論法を隠蔽しているはずだ。

 

〈Sが思想家であることはたしかだから、そのことを察したPの鑑定眼はたしかだ〉∽〈Pの鑑定眼はたしかだから、Sが思想家であることはたしかだ〉

 

青年Pは、自分自身を偉そうに見せかけるために、Sを担いでいたようだ。担ぎやすそうな「年長者」のことを、ある種の青年は「先生」と呼んで神秘化するらしい。

 

<私は一高の生徒としてその講演を聴きに行った。このとき初めて私は西田先生の謦咳(けいがい)に接したのである。講演はよく理解できなかったが、極めて印象の深いものであった。先生は和服で出てこられた。そしてうつむいて演壇をあちこち歩きながら、ぽつりぽつりと話された。それはひとに話すというよりも、自分で考えをまとめることに心を砕いていられるといったふうに見えた。時々立ち停って黒板に円を描いたり線を引いたりされるが、それとてもひとに説明するというよりも、自分で思想を表現する適切な方法を模索していられるといったふうに見えた。私は一人の大学教授をでなく、「思索する人」そのものを見たのである。私は思索する人の苦悩をさえそこに見たように思った。

(三木清『読書と人生』「西田先生のことども」)>

 

「謦咳(けいがい)に接し」は「直接お目にかかる」(『広辞苑』「謦咳に接する」)という意味だ。

「ひとに話す」や「ひとに説明する」には、〈人に媚びる〉といった含意がありそうだ。

「西田先生」が何者であれ、青年三木に「「思索する人」そのもの」と〈「思索する人」のなりすまし〉を区別することができたろうか。〈できた〉と思わせたいんだろうね。

 

<思索などする奴は緑の野にあって枯れ草を食う動物の如しとメフィストに嘲(あざけ)らるるかも知らぬが、我は哲理を考えるように罰せられているといった哲学者(ヘーゲル)もあるように、一たび禁断の果(み)を食った人間には、かかる苦悩のあるのも已(や)むを得ぬことであろう。

(西田幾多郎『善の研究』)>

 

「思索などする奴」を見たら、悪魔は笑う。笑わない青年は天使か。

 

1000 イタ過ぎる「傷ましい先生」

1500 さもしい「淋(さび)しい人間」

1540 「覚悟」とか「主義」とか「人生観」とか

1542 「強い事実」

 

「私の眼に映ずる先生はたしかに思想家であった」という文の前後を読もう。

 

<先生の覚悟は生きた覚悟らしかった。火に焼けて冷却し切った石造家屋の輪郭(りんかく)とは違っていた。私の眼に映ずる先生はたしかに思想家であった。けれどもその思想家の纏(まと)め上げた主義の裏には、強い事実が織り込まれているらしかった。自分と切り離された他人の事実でなくって、自分自身が痛切に味わった事実、血が熱くなったり脉(みゃく)が止まったりする程の事実が、畳み込まれているらしかった。

これは私の胸で推測するがものはない。先生自身既にそうだと告白していた。ただその告白が雲の峯(みね)のようであった。私の頭の上に正体の知れない恐ろしいものを蔽(おお)い被(かぶ)せた。そうして何故(なぜ)それが恐ろしいか私にも解らなかった。告白はぼうとしていた。それでいて明らかに私の神経を震わせた。

(夏目漱石『こころ』「上 先生と私」十五)>

 

「先生の覚悟」とは、「自由と独立と己れ」云々の意味不明の文を含む長たらしいだけで具体性のない独白を指す。それが「覚悟」のように聞こえたPの耳を、私は疑う。「生きた覚悟」は意味不明。「らしかった」だと、語り手Pの感想になる。語られるPの感想なら、〈らしいと思った〉などが適当。以下の二文でも同様。

「火」は意味不明。「火に焼けて冷却し」は焼きなまし? だったら、くにゃくにゃ。「冷却し切った石造家屋」や「家屋の輪郭(りんかく)」は意味不明。だから、「違っていた」は無駄。

「主義」が「覚悟」のことなら、言い換えた理由が不明。「主義の裏」も、「強い事実」も、「事実が織り込まれて」も、〈「裏には」~「織り込まれて」〉も全部、意味不明。

「切り離された」の被修飾語が不明。「味わった事実」は意味不明。「血が熱くなったり脉(みゃく)が止まったりする程の事実」は意味不明。「事実が、畳み込まれて」は意味不明。

「これ」の指すものが不明。「胸で推測する」は意味不明。

「そうだ」に相当するSの発言を、私は特定できない。

「雲の峯(みね)」が「入道雲」(『広辞苑』「くものみね」)なら、意味不明。

「頭の上」は意味不明。「正体」は、「遺書」において明らかになったのだろうか。「正体の知れない恐ろしいもの」は意味不明。「おそろしい」は、「「竹取」例などに見られるように対象に対する主観的な恐怖を表わしたが、中世以降、対象が客観的に見ても恐怖の対象となる状態であることをも示すようになっている」(『日本国語大辞典』「おそろしい」)という。

「恐ろしい」が意味不明なので、「何故(なぜ)それが恐ろしいのか」という問題も意味不明。この「私」つまり語られるPには、わからなかったとして、では、語り手Pには、わかっているのか。『こころ』を読み終えても、この私には、わからない。

「ぼうとして」は、「自分自身が痛切に味わった事実、血が熱くなったり脉(みゃく)が止まったりする程の事実」という言葉の雰囲気に、そぐわない。

「それでいて」という展開は奇妙。〈「明らかに」~「震わせた」〉は意味不明。〈「告白」が「神経を震わせた」〉は意味不明。

 

 

1000 イタ過ぎる「傷ましい先生」

1500 さもしい「淋(さび)しい人間」

1540 「覚悟」とか「主義」とか「人生観」とか

1543 「人世(じんせい)観(かん)とか何とか」

 

Sの意味不明の「覚悟」発言にPは衝撃を受けたらしいが、その心境や理由などは不明。

「それでいて明らかに私の神経を震わせた」の続き。

 

<私は先生のこの人生観の基点に、或強烈な恋愛事件を仮定して見た。(無論先生と奥さんとの間に起った)。

(夏目漱石『こころ』「上 先生と私」十五)>

 

「人生観」の中身は空っぽ。Pは「自分を大衆よりはすぐれていると感じ、その優越感を絆(きずな)に同類の人間だけでグループを結成し、また結成しようと欲する人物」(『ブリタニカ』「スノッブ」)と疑われる。『こころ』は「その作中に現れたある一人物ばかりが、自分こそ物事を考えていると人々に思わす小説」(横光利一『純粋小説論』)だろう。

 

<しかしながら、個人の大幅な自由と完成の可能性を前提とするこのような見解、そしてまた、それと表裏一体といってもよい関係を持つ人生観という用語は、いずれも大正デモクラシーと大正教養主義という背景と密接な関連をもって初めて可能となったものである。このことが、このことばを、その後社会科学的イデオロギー批判や精神分析といった人間の思考の集団的、そしてときに無意識的な決定要因を強調する考えの洗礼を受けた今日のわれわれに、いささか古めかしいものと感じさせるおもな要因になっていると考えられる。

(『日本大百科全書(ニッポニカ)』「人生観」坂部恵)>

 

静は、Pに向って、「あなたのいう人世(じんせい)観(かん)とか何とかいうもの」(上十九)と言っている。人生観系の言葉は、明治の女子に通じなかったようだ。私にも通じない。

まだ意味が共有されていなかったのかもしれない「人生観」という言葉を、大正以降の日本人は「古めかしいもの」として受け取る。そのとき、この言葉の意味が共有されていた時代を無根拠に設定してしまうことになる。その時代を、漠然とした過去に設定するわけだ。一方、『こころ』の読者は、明治後期から大正三年までに設定するはずだ。そのわずかな期間が「自由と独立と己(おの)れとに充(み)ちた現代」だろう。

語り手Pは「基点」という言葉によって、「この人生観」の内容が確固としたものであるように見せかけている。だが、実際には意味不明なのだ。「或」は不可解。「強烈な」の被修飾語が決まらない。『こころ』における「恋愛」が不鮮明なのをごまかすためだろう。「事件」も同様に悪用されている。「恋愛」は「或強烈な」と「事件」のサンドイッチになっているが、具になるべき〈「恋愛」の物語〉はない。「仮定して」みる動機は不明。

P文書で語られるSは、Pが「恋愛」を「仮定して」みたくなるように誘導していたか。あるいは、語り手Pが聞き手Qを誘導しているのかもしれない。ただし、そのことに作者が気づいていないのなら、読者も気づくべきではなかろう。

「無論」じゃなくて、曲論だよ。物語の欠如を隠蔽するためのモザイクだろう。

(1540終)

 


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« シブウコンタ | トップ | 夢中戦艦地金丸 »
最新の画像もっと見る

評論」カテゴリの最新記事