ヒルネボウ

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モロシになりそう。~納税の義務

2024-03-16 20:55:27 | エッセイ

   モロシになりそう。

    ~納税の義務

疲れる~ 

もう、いい加減にしてクレヨン。

税金は国民のためにあるんじゃないんだよ。権力者のためにあるんだよ。

国民の租税負担を理念的に確認し、日本国憲法(30条)が基本義務として掲げたもの。納税の義務は、明治憲法(21条)にもみられるように、兵役と並ぶ古典的義務の一つであり、既定の有無にかかわらず、国を維持する費用の分担として、国民は当然有するものと解される。当初のマッカーサーの草案にこのような規定はなく、議会における審議の時に、人権宣言中の権利・義務のバランス保持という考えから挿入された経緯は、このことを証している。そのため、この規定の重点は、納税の義務が財産権に対する一種の制限でもあり、公平に「法律の定めるところにより」課されるとする点(租税法律主義84条)にあるととらえる人もいる。

(『日本大百科事典(ニッポニカ)』「納税の義務」)

「納税の義務」の根拠は不明ってことだろう。

「権利・義務のバランス」って何? 

(3)認識論的・存在論的根拠 権利・義務を人為や慣習の所産とみる主観主義と自然権のように客観的存在と考える傾向とが対立する。後者は独断だが、規範一般が論理的整合性としての客観性を主張できるという点では、極端な主観主義も独断である。

(『現代哲学事典』「権利と義務」権利の根拠と性格)

議論の前提を共有しないなら、議論は罵り合い、殴り合い、殺し合いに発展する。発展しないのなら、国民は奴隷と一緒だ。殺し合いを避けるのが選挙だが、投票する前に「権利と義務」の項を通読してよね。

GOTO『夏目漱石を読むという虚栄』3550 「義務」と「権利」夏目漱石を読むという虚栄 3550 - ヒルネボウ (goo.ne.jp)

(終)


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(書評)アロイジウス・ベルトラン 及川茂『夜のガスパール』(岩波書店)

2024-03-16 00:25:41 | 評論

   (書評)

     アロイジウス・ベルトラン 及川茂『夜のガスパール』(岩波書店)

こんな本を買った覚えはない。誰かに借りたのだろうか。

「夜のガスパール氏を御存知ですか?」

「そいつに何の用があるのだね?」

「借りた本を返したいんです。」

「魔法の書か!」

「何ですって! 魔法の書……! どうか、彼の住まいを教えて下さい。」

「牝鹿の足が吊り下がっているあの家だよ。」

「しかしあの家は……、あなたは司祭さんの家を言ってるのですか。」

「つい今しがた、司祭の白衣や胸飾りを洗濯する褐色の髪の女が中に入って行くのが見えたからさ。」

「どういう意味ですか?」

「夜のガスパールは、信仰深い人間を惑わすために若くて美しい女に化けることがあるのさ、――わしの守護聖人、聖アントワーヌにかけて、わしは奴をしかと見届けたよ。」

「悪ふざけはやめて下さい。夜のガスパール氏は何処にいるのですか。」

「他の所にいないとすれば、奴は地獄にいるさ。」

「ああ! やっとわかった! それでは、夜のガスパールとは……?」

「そうさ……! 悪魔だ!」

「ありがとう……! 夜のガスパールが地獄にいるならば、そこで焼かれてしまうがいい。私は彼の本を出版しよう。」

(『夜のガスパール』「夜のガスパール」)

借りた本なら、返さねばならない。でも、誰に? 

(終)

 


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