モロシになりそう。
~『人間失格』
近頃の中高校生は『人間失格』(太宰治)がお好きなそうだ。そのことを昨日知って、苛々している。
まだ読まれているのか、あんなくだらない物が。
ダサい連中が大手を振って徘徊する様子を想像すると、息苦しくて、モロ死にそうになる。
あれはフェイクだよ。似非文芸。
小説は虚構だ。つまり、嘘だ。ただし、もっともらしい嘘だ。幽霊、天使、悪魔、神仏、宇宙人、天国、地獄、時間旅行、異次元など、そんな事物が実在するかのように作者は仕組む。恋愛、友情、青春、恩讐、自由、道徳なども同様。
もっともらしくない小説で出来のいいのは、不条理とかナンセンスとか幻想とか実験とか呼ばれる。
『人間失格』は、不合理なのであり、不条理とは違う。要するに出鱈目なのだ。
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自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。
そこで考え出したのは、道化でした。
それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。
(太宰治『人間失格』「第一の手記」)
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ほらね。ひどいもんだろう? わからない? おやおや。
「隣人」以外とは、どうなの? 「隣人」の真意は「自分の父」(同)だ。「ほとんど」は怪しい。少しでも出来たら徐々に上達するよ、きっと。ただし、「会話」が意味不明。形容句を隠蔽しているのだろう。たとえば、〈肝胆相照らす「会話」〉とか、〈マウンティングで上になれる「会話」〉とかね。「会話」は苦手でも、作文は得意らしい。だったら、文通や交換日記でもやれば? ただし、その場合、読解力は足りてるかな? ああ、そうだ。小説家を気取ろうよ。小説家には読解力が要らないらしいからさ。
「何を、どう言ったらいいのか」って、「隣人」に尋ねなさい。「わからない」のが普通だよ。わかったら、超能力者だね。
「そこ」って、どこ? 「道化」って何? 後で調べよう。
「人間に対する」はおかしい。「自分」だって「人間」だろう。「最後」じゃなくて〈最初〉じゃないの。違う? じゃあ、最初は何? その次は? 「求愛」は意味不明。「異性の愛を求めること」(『広辞苑』「求愛」)ではかろう。この言葉は〈父性愛〉を隠蔽している。
この「手記」の執筆意図は「求愛」なの? だったら、語り手は道化師であり、「手記」も演技だってことになるよ。逆に、「求愛」じゃなきゃ、何なのさ?
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日常世界の二項対立的な範疇(はんちゅう)の境界域に出没して、世界がどちらか一元的な価値観へと硬化するときには、抑圧された側の価値観の側から、そうした世界を嗤(わら)い攻撃する。社会への風刺者という形をとるわけだが、社会道徳は概して、人間が肉体をもつゆえの猥雑(わいざつ)さ(性、飲食、排泄(はいせつ))を抑圧する傾きがあるため、その批判者たる道化は逆に、人間の肉体性を誇張する。人間を精神性や合理性とひとまず切り離してただの肉体、風の通り抜けていく袋とみるような肉体観を道化は体現している。
(『日本大百科全書(ニッポニカ)』「道化」高山宏)
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もっと引用したいけど、止める。ダサい連中はきちんと全文を読みなさいよ。
主人公は「道化」の攻撃性を自他に対して隠蔽している。語り手も同様。勿論、作者はその隠蔽工作に加担している。だから、『人間失格』は意味不明の失敗作なのだ。
これほど言っても、わからない?
そんな君たちに、私は「どう言ったらいいのか、わからないのです」よ!
GOTO 〔ウロシだった。~ダサいおっさんウロシだった。 ~ダサいおっさん - ヒルネボウ (goo.ne.jp)〕