林和靖Ⅱ
素心という淹れ方で淹茶(えんちゃ)三煎まで淹れ、味の変化を楽しませてもらった。
淹茶を楽しむ合間に、お軸の梅から林和靖の “梅” の世界へと誘われていく。
前回の記事で紹介したお軸は、梅の枝ぶりが下向きに描かれている。
その意図は、林和靖の「山園小梅」の詩を理解したうえで描いているからこのような梅の画になるのだろう。
さらに、鶴の代わりに猪を描いているのが、またなんとも滑稽である。
山園小梅(さんえんしょうばい)に「疎影横斜水清浅」という一節がある。
“咲き始めて花もまばらな枝の影を、清く浅い水の上に横に斜めに落とし” という意味になる。
枝が垂れ下がり、まばらに咲く花の姿が水面にうつし出されている。
そして続く「暗香浮動月黄昏」が対句になり、月もおぼろの黄昏どきに、梅の香りがどこからとなく香ってくる。
姿は見えぬが梅の存在を感じさせる。
梅を愛する林和靖の、隠逸の悲哀を詠った詩の一節である。
素心で淹れた淹茶の渋味、苦味が、林和靖の隠逸の悲哀とかさなってくる。
山園小梅 林逋
衆芳揺落独嬋妍
占尽風情向小園
疎影横斜水清浅
暗香浮動月黄昏
霜禽欲下先偸眼
粉蝶如知合断魂
幸有微吟可相狎
不須檀板共金樽
いろいろな花が散ってしまった後で、梅だけがあでやかに咲き誇り、
ささやかな庭の風情を独り占めしている。
咲き初めて葉もまばらな枝の影を、清く浅い水の上に横に斜めに落とし、
月もおぼろな黄昏時になると、香りがどことも知れず、ほのかにただよう。
霜夜の小鳥が降り立とうとして、まずそっと流し目を向ける。
白い蝶がもしこの花のことを知れば、きっと魂を奪われてうっとりするに違いない。
幸いに、私の小声の詩吟を梅はかねがね好いてくれているから、
いまさら歌舞音曲も宴会もいらない。
下の写真はYAHOO画像より転載
素心という淹れ方で淹茶(えんちゃ)三煎まで淹れ、味の変化を楽しませてもらった。
淹茶を楽しむ合間に、お軸の梅から林和靖の “梅” の世界へと誘われていく。
前回の記事で紹介したお軸は、梅の枝ぶりが下向きに描かれている。
その意図は、林和靖の「山園小梅」の詩を理解したうえで描いているからこのような梅の画になるのだろう。
さらに、鶴の代わりに猪を描いているのが、またなんとも滑稽である。
山園小梅(さんえんしょうばい)に「疎影横斜水清浅」という一節がある。
“咲き始めて花もまばらな枝の影を、清く浅い水の上に横に斜めに落とし” という意味になる。
枝が垂れ下がり、まばらに咲く花の姿が水面にうつし出されている。
そして続く「暗香浮動月黄昏」が対句になり、月もおぼろの黄昏どきに、梅の香りがどこからとなく香ってくる。
姿は見えぬが梅の存在を感じさせる。
梅を愛する林和靖の、隠逸の悲哀を詠った詩の一節である。
素心で淹れた淹茶の渋味、苦味が、林和靖の隠逸の悲哀とかさなってくる。
山園小梅 林逋
衆芳揺落独嬋妍
占尽風情向小園
疎影横斜水清浅
暗香浮動月黄昏
霜禽欲下先偸眼
粉蝶如知合断魂
幸有微吟可相狎
不須檀板共金樽
いろいろな花が散ってしまった後で、梅だけがあでやかに咲き誇り、
ささやかな庭の風情を独り占めしている。
咲き初めて葉もまばらな枝の影を、清く浅い水の上に横に斜めに落とし、
月もおぼろな黄昏時になると、香りがどことも知れず、ほのかにただよう。
霜夜の小鳥が降り立とうとして、まずそっと流し目を向ける。
白い蝶がもしこの花のことを知れば、きっと魂を奪われてうっとりするに違いない。
幸いに、私の小声の詩吟を梅はかねがね好いてくれているから、
いまさら歌舞音曲も宴会もいらない。
下の写真はYAHOO画像より転載
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます