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王羲之が書聖といわれた功績 【王羲之伝Ⅰ】

2022-08-18 15:59:43 | 中国歴史文化

王羲之の自画像

 

「王羲之」に興味をもつキッカケは、西宮の北山緑化植物園に行ったときに、北山墨華亭の回廊に王羲之が書いた巻物のレプリカが展示されており、それを見たことで好奇心のトビラが全開した。

名前は知っていたものの、どんな事をした人物なのかは全く不見識であった。ただ、墨華亭回廊に飾ってあった巻物にはびっしりと漢字が書き詰められていた。不思議な書物というか、見た目の凄さにトビラの奥へと引き込まれていった。

 

北山墨華亭

回廊の展示ケース

 

まずは王羲之という人物について調べて見ると、中国山東省の琅邪(ろうや)という所で生まれ、会稽(かいけい/現・浙江省紹興市)に住んでいたという記録があった。時代は西晋時代の303年から東晋の361年(諸説あり)までの58年間を生きた人物ということのようだ。いまから1600年以上前の話である。

では、1600年経ったいまの時代においても王羲之の功績が語ら継がれているのは、漢字の「字姿」、つまり書体を作った人だからなのだ。東アジアの漢字文化圏で多大な影響を与え、漢字を使う我々も大なり小なり王羲之の影響は受けていると言える。後世に「書聖」と崇められ、歴代の皇帝に愛好され「王羲之信仰」といものが形成されたという。

 

書道(書)をされている方々は王羲之といえば、理解されるのだろうが、門外漢の私にとっては難解であるのは間違いない。当時、漢代以来の隷書体(認印などでよく使われている)が主流であったが、王羲之が貴族達に好まれつつあった楷書行書草書を用いて書を記したことにより、これらの書体が人々に認知されるきっかけとなった。

王羲之は優れた書をかくためにあらゆる書体表現に挑み、過去の堅苦しい伝統的な書体にとらわれず革新的な独自の書風を完成させた。当時、文雅な遊びが流行るなかで書の深遠な作用を意識しながら精妙な字姿を追求した。

さらに、歴代皇帝が王羲之を「書聖」と崇めた理由には、後世に名を遺した「精妙な字姿」を完成させたことに加え、王羲之の文章の簡潔さと、また片言隻句に至るまで、当時の政治や文化、風習はもとより王羲之の微妙な心の動までも伝えている。そういう豊かな思想的なことを内在させる表現力に精倒し、皇帝のお気に入りになった。

 

つまり、字姿と簡潔で卓越された文章表現力が王羲之の後世に名を遺す最大の要因になった。その代表的な作品が「蘭亭序」である。究極の行書といわれている最高傑作で、当時の誰もが認めたものである。残念ながら王羲之が書いたすべての肉筆の書は、当時の太宗皇帝が眠る昭陵(太宗が眠る陵墓)に埋葬されたといわれており、王羲之の肉筆は一点も残されてない。

北京・故宮博物院所蔵のものや、書籍で見る王羲之の書籍にある書作品は、拓本や摸本などで写されたものである。太宗皇帝が、王羲之の名跡を能書(文字を書く熟達者)に臨書させ、また専門職人に摸本を作らせたといわれている。それらをさらに模写され多くのものが世に出回り広がっているものばかりである。

 

書聖王羲之の世界<島谷弘幸著>に掲載されている蘭亭序

 

次回は、王羲之自身も最高傑作として認めた「蘭亭序」について紹介する。

 

リポート&写真/ 渡邉雄二 参考文献/ 王羲之ウィキペディア・書聖王羲之の世界(島谷弘幸著)  王羲之の写真/ 王羲之画像より転載

 

尾道・文化紀行 https://asilight0911.com/hiroshima_onomichi/

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