数年前に初夏に、京都のあるお寺で坐禅の体験をさせていただいた。
坐禅は、「体」「呼吸」「心」を整えるために行うものだ、ということを本で読んだことがある。むかし、合気道や太極拳の稽古をしていたときに、「呼吸法」は欠かせない稽古だったので、いまでも身体が覚えている。
坐禅同様に、武道でも呼吸法によって「心」と「体」を一つにすると言われている。とくに合気道の場合は、「心」と「体」を一体にしていくために研鑽を積むといわれている。
そんなことを思い出しながら坐禅に入った。問訊(もんじん/合掌し一礼をすること)し坐り足を組む。そして手を組み姿勢を整え、半眼で目線を決める。この一連の所作を済ませ坐禅に入る。
30分はいささか長いような気がした。はじめの15分くらいは、"お腹すいたなぁ~"とか"明日はどうしよう~"とかの雑念が頭に浮かんでは消え、また浮かぶ。考えるのをやめよと思えば思うほど集中できなくなっていく。
ところが、である。考えるのも面倒になったのか、気づくと30分が経っていた。後半は記憶が飛び何も覚えてない。坐禅の効用で瞑想状態に入ったかと思いきや、どうやら居眠りしていたようだ。
歳を重ねると穏やかに達磨さんのようになっていくのかと思っていたが、雑念が多く心と体が一体になれそうもない。