子供手当で昨年買った、朝日の週刊マンガ日本史41号「田中正造」を読み感動しました。
http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=11789
ネットで、色々な方が書いているとおり、震災による福島原発の事故を思い起こさせる内容でした。
以下は、この漫画本からの引用です。
『国は何のためにある?国のために人がいるのか?いや違う。
国があるのは人のためだ。
それを忘れて人を足げにした瞬間 国は滅びる。
今にこの村と同じ死の光景が日本中いたるところで見られるようになる。
そんな未来を許していいのか!
この子たちが生きる未来を死んだ世界にしてはならん。
誰かが「ここにおるぞ」と声をあげなきゃいかんのだ。
犠牲になる人間が一人でもいるような国の政策を簡単に許してはいかんのだ。
真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし。
戦争に勝った、一等国になったとはしゃいでいても
人々の犠牲にあぐらをかいた国など一等国ではない、文明国ですらない、
どうしてそれが、わからんかのう。』
この中で、『誰かが「ここにおるぞ」と声をあげなきゃいかんのだ。』というセリフを
見たとき、学生時代を、思い出しました。
1980年前後、自分は、筑波大学に在籍し、中途半端な反原発サークルの活動をしていました。その際、東海村や水戸方面で、反原発の運動をされている寺沢迪雄さんの話しを聞く機会がありました。
根性のない自分は、茨城大学の方と東海村に、反原発の署名を集めに入り、住民の方に、全く、相手にされず、やけになり、若気の至りで、こんなことやっても意味がないと思いますと問うたのです。それに、対して、寺沢さんは、
「こんな小さな運動=わし等が声を上げているだけでも、政府も県も村も原研も動燃も完全に無視することはできない。例えば、放射能の測定の器具を設置し、データを公表するようになった」
と言われたのです。
なぜか、あれから、30年、この言葉と姿が、焼きついて、毎日、忘れられません。
自分には、絶対、真似できませんが、何をして、寺沢さんを、こういう活動と人生に駆り立てたのか本当は、聞いてみたかったと、ずっと、後悔しています。
漫画を読みながら、ようやく、寺沢さんも、田中正造たちの系譜を継いだ方なのだなと、思った次第です。
「今にこの村(フクシマ)と同じ死の光景が日本中いたるところで見られるようになる。
そんな未来を許していいのか!
この子たちが生きる未来を死んだ世界にしてはならん。」
きっと、田中正造にも寺沢さんにも、JOC事故や震災の福島原発の事故など、未来が、見えていたのだと思います。寺沢さんの言葉を聞いてから30年、自分は、何もしませんでした。(某NPOの賛助会員を続けているだけです)本当に、恥ずかしい限りです。でも、真の文明を築くことに、遅まきながら参加したいです。
▼追記「田中正造の直訴と石川啄木の義捐金と短歌」
http://www.pd-assist.com/wind_wat/kinrin/wataraseyuusuiti.html
漫画の中の挿話に、盛岡中学時代の石川啄木が新聞配達で稼いだ金を、田中正造に、義捐金として送り、足尾鉱毒事件の短歌を詠んだとありました。
「夕川に 葦は枯れたり 血にまどふ 民の叫びのなど悲しきや」
自分は啄木の母校出身ですが、現国の先生から、啄木の借金と浪費癖のために、親友の金田一京助等がいかに被害を被ったかを延々と聞かされて育ちました。よって、啄木にあまりよいイメージがありませんでしたが、この逸話で、見直しました。いろいろ苦労し矛盾を抱えて悩んで生きたけれど魂はすがしい人だったのだと思います。早世しなければ、啄木は、経験を積み、立ち直り、立派な編集者か言論人か新聞記者になったのかもしれません。
田中正造
http://www.janjanblog.com/archives/56353
http://qjomiuchi.exblog.jp/8170270/
http://glorytogod.blog136.fc2.com/blog-entry-910.html
寺沢迪雄
http://www.bea.hi-ho.ne.jp/kuroha/terasawa.htm
http://www.bea.hi-ho.ne.jp/kuroha/terasawa_biography.htm
山川浩一のスタンダードジャズ入門
http://www.voiceblog.jp/yamafan/
山川浩一先生
http://www14.plala.or.jp/inu789/yama/