団地小説短編集を歩く

団地小説短編集の舞台を歩きながら団地や地域の魅力をお伝えします。

小説キャナルタウン 35 能福寺 北風正造君碑 平清盛公839回忌追善法要

2019-02-15 05:59:33 | 日記
       平清盛公839回忌追善法要

  去年の9月9日の平清盛900歳祭で全国から集まった武将隊の皆様が我々は生まれてまだ四百数十歳、平清盛公のように

 900歳を祝って貰えるような立派な武将になりたいと言ってましたが、平成31年2月4日は平清盛公839回忌となりま

 す。清盛公がなくなったのは治承5年閏2月4日、太陽暦(西暦)では1181年3月20日となります。清盛公の墓の伝承

 地は各地にあり、太陽暦で法要をするところもありますので日本で一番早い回忌追善法要となります。

  

  今年も 左 八棟寺殿正一位大相國平公尊儀追善 が行なわれます。

      右 平家一門源氏一族将兵慰霊回向追善

   

  朝方まで残った雨もきれい上がり、青空が広がっていたはずが、一転の雨模様、せっかくのお飾りを急遽軒下に移動。

  

  少し遅れてのご法要となりました。

  

  ご住職の厳かな読経で法要は進みます。中央の清盛塚を模した十三重の塔が清盛公のお墓(再建)となります。

  

       平清盛公墓所 八棟寺殿 平相國廟

  平安の末期(養老元年西暦1181)平清盛公の薨去によって能福寺の寺領内にあった太平山八棟寺に公の墓所平相国廟

 が造立されたと云う。しかし平家滅亡と同時にことごとく破壊され、能福寺を灰燼に帰した。以後廟は再建されることなく

 その存在すら忘れ去られていた。百余年後の弘安九年(1286)二月、平家一門の栄枯盛衰を哀れんだ時の執権北条貞時公

 は、その近くに一基の石塔を建て、清盛公の霊を弔った、と能福寺の古文書に見える。

  現在に伝わる清盛塚十三重塔(県指定重文)がそれである。

  今、諸々の古記録文献には「京・愛宕山にて火葬荼毘の付し圓實法眼全骨を福原に持ち来り経ヶ島に納め‥‥」(又は)

 「大輪田の法華堂に納め‥‥」(又は)「能福寺の東北に埋骨‥‥」云々とあるところから遷都をも決断したほど兵庫の地を

 愛した清盛公の遺言に依り全骨を福原に持ち帰ったことが史実ならば歴史上、真の墓は、かって平安の末期、能福寺々領内に

 あった平相国廟と考えられる。

  奇しくも本年清盛公の八百回大遠忌を迎えるにあたり平家物語類書にも有名な平相国廟を再建復興し、併せて圓實法眼宝篋

 印塔、忠快法印塔を合祀した。

  現在わが国最大の国際貿易港として、繁栄せる神戸港湾の基礎を造った根本としての平清盛公に対して今、報恩謝徳の意を

 こめて、ここに安らかにお眠りになる廟を造り奉る。

  願わくば日本の国土と民衆を兵庫県民を神戸市民を守護したまえ

                          昭和五十五年二月 能福寺第二十四世貫主 弘善 識 

   右 圓實法眼篋印塔 鎌倉時代

      能福寺住職 名門徳大寺家出身 清盛公剃髪出家の師匠

   左 忠快法印塔(九重塔) 鎌倉時代

      清盛公の弟 教盛の長氏 圓實法眼の弟子にして当山住職。廟前にて有名な追善管絃法要を修し天台密教の学僧にし

      て比叡山に小川流」一派の潅室を興す。

  

  平成30年11月23日に再建なった真新しい鐘楼と手水舎が見えます。青空も出て来ました。

   小説キャナルタウン 34 兵庫大仏能福寺 鐘楼落慶法要 住職晋山式(2018.12.7)をご覧下さい。

   

  ご住職の読経のなか焼香が、続きます。

   

  平清盛公の回忌法要は小説キャナルタウン 6 新兵庫運河物語 2 能福寺 平清盛公837回忌追善法要(2017.2.9)

 続いて二回目となります。記事にはなっていませんが昨年も参列させていただきました。その時のご住職の話で、去年は土曜日

 今年は日曜日ですが来年からは平日が続くので心配と言っておられましたが「焼香の列が出来る」と言うぐわいにはなりません

 でした。超有名人の焼香をする機会はあまり有りません。変更がなければ例年2月4日の11時からになります。ぜひ皆様もお

 参り下さい。

  

  来世での長い生活を考えればこの世の生活は、ほんの一瞬のようなものです。だから回向を続けなければなりません。又いつ

か来世でご先祖様に合う日に向けて、今日の日を精一杯生きましょうと言う有難いお話でした。  合掌。



       北風正造君碑

  能福寺の境内には色々な石碑がありますがその一つの北風正造君碑です。神代まで遡ることが出来ると言われる名家北風

 家、兵庫の北風か北風の兵庫かと歌われた豪商ですが、明治26年12月の北風商店の倒産、明治28年12月5日北風正

 造(66代北風荘右衛門正造貞忠)の死を持って歴史の舞台から消えます。伊藤博文は初代兵庫県知事として共に仕事をし

 ています。友の不遇の死を哀れんだ伊藤博文揮毫の碑ですが、執権北条貞時公の造った清盛塚に通じるものを感じます。

  

  表の北風正造君碑は一部字が欠けた部分があります。裏は明治二九年一一月建の文字があります。

  

       兵庫の豪商北風正造君顕彰碑

         兵庫廻船問屋

         兵庫新川運河開発の発起人

  明治元年、鳥羽伏見の戦いの時、有栖川宮が東征総督として征途につかれた際、駿馬と三千両を軍に献上し、又、姫路藩が

 が官軍の攻撃を受け城下が戦場になろうとした時、彼が仲裁に入り、軍需金十五万両と引換えに、紛争を解決させたという巨

 人。現在日本一のお城、白鷺城が無傷で現存するのは、この人のお陰である。

  明治元年三月、兵庫県裁判所御用掛、商法司法判事、権大属等を歴任。同七年、新川社を起こして、兵庫新川の開発事業に

 関係し、米商会所、第七十三国立銀行等を創立し、その頭取となったほか、神戸製茶改良会社、神戸船橋会社の創立など、実

 業界にも貢献した兵庫きっての豪商であり、神戸発展の功労者である。

  明治二十八年十二月五日没。六十二才。当能福寺檀徒。この碑の伊藤博文の揮毫にして、明治二十九年兵庫県知事周布公平

 が建立した。

       十五万両は殿様の身代金?

  将軍家と繋がりの深かった姫路藩は佐幕派の急先鋒となります。大阪城詰めであった酒井家9代藩主忠惇は鳥羽伏見の戦い

 で破れた15代将軍慶喜を守って江戸まで戻ります。このため朝敵として討伐令まで出されます。岡山藩と龍野藩が城下に進

 軍、数発の砲撃を加えます。藩内には一戦交えようとする勢力もあったが慶応4年1月24日開城します。ひたすら嘆願を重ね

 5月21日にようやく10代藩主への家督相続を認められます。これで無事に収まったかと思われたが、8代藩主忠積(慶応

 元年大老に就任、のち病気で隠居)の領地を返納し駿府の徳川宗家に従いたいという嘆願書が出た。藩は忠積に嘆願書の取り

 下げを要求したが聞かない。希望通り?忠積は駿河の徳川領内に蟄居となったが不審をもたれた姫路藩に十五万両の軍用金が課

 せられることになります。北風正造にとっては朝廷への迂回献金のようなものであったのかの知れません。

  北風正造は資金面で明治維新を支えます。維新の功により明治16年正七位(死後、従五位)に叙任されます。

  明治18年12月に北風商店は一回目の倒産をします。この時は伊藤博文と旧姫路藩主酒井家のの援助で持ち直します。酒井

 家も恩を忘れていませんでした。
  
     

  「阪神淡路大震災ー33名の報告と証言」のトップカスタマーレビューにあった

  投稿者 北風家のファン 2008年9月22日を紹介させていただきます。

       さすが北風家!!!

  あの神戸を襲った悪夢が蘇る。神戸の出版・書籍業界は、独自の気風があり、多くの人を育て、文化を育んだ。個人的に思い

 出すことだが、有名なワイン評論家の藤本義一を世に送り出したのも神戸の出版業界である。

  さて、この本の中で、幕末に偉人北風正造を出したあの有名な北風家の傍流である、北風陸亘(みちのぶ)が、父北風一雄か

 ら引き継いだコーベブックスや南天荘書店の6箇所ある本支店の内、半数全壊という試練を受けたことを本人の報告として書い

 ている。その被害状況を確認するまで約二週間かかったというのだから、当時の混乱ぶりがよく判る。

  JR六甲道の倒壊をジャッキアップして驚異の復興を成し遂げた奥村組、千人にも及ぶ不眠不休の仕事をみて陸亘は書店の窓

 に『工事の皆さまおけがのないように』との横断幕を掲げる。古代から神戸と共にあった北風家の面目躍如たるところだ。さら

 に、工事完成後、『工事の皆さまありがとう。再建六甲道』と喜びの横断幕を掲げたのも公共に尽くした北風家の血のなせる業

 だろうか?

  NHKのプロジェクトXにも取り上げられた美談を、深く理解している人は少ない。神戸の地霊と言うべき北風家の一員から

 これらのエールが送られたことは大変意義がある。

  また、あの北風正造の北風商店と同じように、コーベブックス・南天荘書店も後に廃業するのは、歴史が繰り返すようで、涙

 を禁じえない。

  自宅内に能舞台を持っていたという文化的パトロン、北風家の分家に改めてエールを送りたい。

                                            以上が全文です。

  本の流通は特殊で、取次店から委託販売で本を預かります。売れた本は代金を支払い、委託期間を切れたものは返品します。

 このため開業には信用が必要で地方では土地の有力者が本屋を始めるケースが多かったようです。北風家ほどの名門であれば書

 店の経営と考えたのでありますが、北風一雄氏は戦前、古書店から始め兵役の後、空襲の焼け跡から再建された様で北風正造氏

 の直系では無いようです。北風家は主要7家が兵庫浜を支配し分家が全国に支店網を形成していたと言われますので多くの北風

 系の企業が今も活躍していると思いますがネットで見つかったのは上記の企業のみでした。



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