【今回の文章は、校長から本校教職員全員に配布している「校長通信」の内容から抜粋したものです。高学年の子供たちが同じように調べ学習を追求してくれることを期待しています。】
本校の伝統を引き継ぐとは、どのようなことなにかを考えてみます。
それはなぜかというと、現在、本校の伝統といわれることの中には、形式ばかりが残っていて、その精神性を引き継いでいないことが多くあると感じるからです。
まず最大の形骸化したものが「矢口魂」です。
昨年度、私が赴任した際、校内を細かく見て回ると、いたるところに「矢口魂」という文字があります。
このような学校精神を表現する言葉があるのは、とてもよいことであるし、子供たちの指導もやりやすくなります。
魂ということで世間的に有名なのは、
「大和魂(儒教などが伝来する以前の日本古来から伝わる固有の文化的精神)」
「負けじ魂(打たれ強くけっして折れない心)」
「会津魂(理を求めず義に生きる)」
「ゲルマン魂(ドイツサッカーの特徴。点を取らせないための体を張った守備と試合終了のホイッスルがなるまで走り続ける姿)」
「開成魂(新しい時代を創り出す気骨ある自由闊達な人材の育成)」
等々、世の中には〇〇魂なるものは、いくらでもあります。
では、矢口魂とは何なのでしょうか?と、昨年度1年間、様々な関係者に質問し続けました。
しかし、「完食すること」「農園を大切にすること」「挨拶」「やぐだま」「う~ん、分かりません」と、大した回答は得られませんでした。
それでもこの学校には、ポロシャツまで作成されて、町会の運動会でも町会長の皆さんが「矢口魂シャツ」を着て、現れるわけです。
そういう場で質問しても、「たぶん高橋校長先生の頃から使われ始めたような気がする」程度の認識なのです。
しかし、それほど古くから使われていた言葉ではないことは分かりました。
周年記念誌や卒業文集を調べてみました。
【120周年記念誌 2011年(平成23年)】
「今は、完食やあいさつ、矢口魂という伝統を大切にしていますが、当時大切にしている学校の伝統がありましたか。」(児童・由井さん)
「数年前の文化フェスタで「矢口魂」という言葉が出てきて、負けないとか最後までがんばるという気持ちをとても大切にしています。そういう思いが昔からありましたか。」(八木校長)
「スローガンというのは、記憶ではなかったな。」(同窓会長・角田さん)
「自然にみんなで盛り上げようというのはあったけど、学校をあげてこうしようというのはなかったかな。」(商店街長・佐藤さん)
「玄関に飾ってある「矢口魂心丸」の舟のように、そういう言葉が生きるような土地柄ではありますよね。」(八木校長)
「教育熱心な土地であることは間違いないですね。昔は原町といったんですよ。」(モリコウ・森さん)
「120周年という歴史のある小学校で、私も子ども3人も矢口小学校の卒業生です。「矢口魂」の捉え方は人それぞれ違うと思いますが、基本は同じだと思うので、そういう思いを大切に進んでいってほしいですね。中学生になった時に、矢口小学校にいて本当に良かったと思えるような思い出をたくさん残して、大人になってもらいたいなと思います。君たちもまだ半年以上、小学校生活がありますので、頑張ってください。」(佐藤さん)
「私も矢口小学校卒業、妻も子どもも矢口小学校卒業なので、大変矢口小学校にはお世話になっています。また、「矢口魂」という君たちの魂をこれからも引き継いでいって、伝統ある学校なので、それを更に良くしていっていただきたいと思います。誇りをもって矢口卒業生と言えるような学校にしていってほしいです。1日の始まりはあいさつから始まるというほどあいさつは本当に大切なことなので、大人になっても続けていってほしいと思います。その心がけを忘れずにいってください。」(角田さん)
【2013年(平成25年)卒業文集 八木校長先生の文】
77名の卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。(中略)
矢口魂 の言葉を贈ります。
数年前の文化フェスタのスローガンに登場し、120周年を経て、現在の矢口小学校にはなくてはならないシンボルになりました。
私は「最後まであきらめない」というところが、心に響きます。
人が生きていくというのは平坦で楽なことではありません。
常に困難さと向き合い乗り越えていく月日の連続です。
また、いつも元気に明るく乗り越えられるとも限りません。
へたりそうになったり、悲しみで胸が一杯になった時に、この言葉を思い出してください。
きっと魔法の呪文ように、また心を奮い立たせてくれると思います。
そうです。矢口小で共に過ごした仲間の背中には、この言葉が刻まれているのです。
背中の矢口魂が皆さんをそっと後押しして勇気付けてくれます。
また130、140~周年と、この言葉を合言葉にして歩み、また再び、この地で集いましょう。