耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

「脳死移植法改正」案衆院で可決~乱暴な“死”のあつかい

2009-06-19 08:58:57 | Weblog
 今日の『西日本新聞』一面トップは、「“脳死は人の死”衆院可決」とある。これまで「本人が生前に書面で意思表示し、家族が同意した場合に限って脳死を人の死」とし、臓器摘出を認めるとしていたことから一歩踏み出し、「脳死は人の死」と定義して本人の意志が不明でも家族の承諾で臓器摘出が可能としたわけだ。とんでもない「法改正」というしかない。

 
 1997年施行の「臓器移植法」の成立は、従来の腎臓移植など死体からの臓器摘出(もしくは血族からの臓器提供)から「人の生死」の境界があいまいな「脳死」の概念を取り入れ、「生体」から臓器移植を可能にしたものだった。この法成立には長い時間を要したが、根拠は1992年1月、臓器移植の可否を論じてきた『脳死臨調』の答申にあったといえるだろう。『脳死臨調』は、脳死の人から移植を認めた上で、次のような見解を示していた。

①脳死は医学的にみて人の死といえる
②脳死は。竹内一夫氏を班長とする厚生省研究班が1985年に定めた判定基準によって正確に判定できる
③医学的にみて、脳死を「人の死」とするのが合理的な考え方で、法的にも「人の死」とすることが自然であり、国際社会の認識とも一致する

 この答申が発表された直後、脳死を「人の死」とは認め難いとする4人の委員(氏名省略)が“少数意見”を発表した。(これに関しては過去記事で取り上げたはずだが、いま掲載月日を特定できない)「脳死を人の死」とすることには根強い異論があって、現行法は厳しい条件(①本人が事前に脳死判定に従う意思を書面で示し②脳死状態で臓器を提供する意思も書面で示し③家族がそれらを拒まない)を付して成立した経緯がある。

 なぜいま、「脳死を人の死」と断定するのか。移植を待ち望む家族の強い要望があったのは確かだが、それにしても「人の死」をこれほど乱暴に扱う国会議員たちの良識を疑わざるをえない。医学史家の川喜多愛郎氏は『脳死臨調』答申をめぐる見解を『医学史と数学史の対話』(川喜多愛郎・佐々木力著/中公新書)で丁寧に論じているが、「脳死を人の死」とすることについてこう言っている。
 
 <脳死状態に陥った人間(ヒトでもあり、人でもある)の身体は単なる「もの」ではなしに、かつて精神をもち、人格をもって人を愛し愛された個人史をもつ遺体です。機械の力を借りているにはしても、生理学に言うところの生体の植物性諸機能を事実営むことのできるそのまだ温かい身体にメスを入れ、その臓器を医療の名において摘出することはメディシンの本質に照らして、あってはならない処置と私は考えます。いわゆる脳死状態においては、人工呼吸器という工学的エネルギーが力添えするにしても、その外呼吸でえられる分子酸素を利用する生きた細胞の代謝による「生化学的エネルギー」を生んで、しばらくは脳以外の身体諸臓器を支えている(例の脳死者が出産したという話が端的に示すように)わけですから、その状態を死と認定することに私は生物学的にも異議を申し立てざるをえないのです。>


 川喜多先生は「臓器移植」そのものに反対されていた。理由は①移植には必ず拒絶反応が伴い、移植後の生存に大きな負担が生じること、②ドナーの絶対的不足から生じる「平等・公正・透明」性の保障確保の困難などである。

(この項書きかけ)


  生きている臓器が欲しくて
  脳死という死を作る人間怖し     (静岡市) 鷲津錦司

 平成4(1992)年3月1日の朝日新聞歌壇に選ばれた歌をひいて、科学・医学史家の立川昭二さんは言う。

 <人間は、顕微鏡受精などで「生」をつくったように、おなじ科学技術によって脳死という「死」をつくったのである。そして、さらに今、その「つくられた死」をめぐって、これまでとは異なる「死」の医学的定義や社会的概念や法的解釈を「つくる」ことに躍起になっている。あるいは躍起にならざるを得ない時点に遭遇
しているのである。
 人間が「死をつくる」時代にきている以上、その事実を避けて通ることは、もはやできない。しかし――、だからこそ、そうした「死」をつくる科学技術のアンビバレンツ(両義性)に目を据え、「死」までもつくる人間自身を“怖し”と受けとめるメンタリティを、「ふつうの人びと」が失ってはならないということではないだろうか……。>(立川昭二著『臨死のまなざし』/新潮社)


 「死」をつくる立法府にしてはならない。参議院の良識に期待したい。