耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

「おたまじゃくしは蛙の子」~“蛙”雑感

2009-06-21 09:14:38 | Weblog
 もう大方、田植は終わった。夕暮れになると、水がはられた田圃(たんぼ)では蛙の合唱がはじまる。それにしても、蛙の数がめっきり減って、喧騒をきわめた夜の合唱もいまはどこかしらさびしい。

 
 わが国の民話やイソップ寓話集にも蛙を主題にした話は多い。全国に分布する民話で『京の蛙と大阪の蛙』というのがある。(長崎と網島などの地名で語られたり、地名はなくあっちとこっちと語っているのもあるらしい)

 <むかし、大阪の蛙は京見物に、京の蛙が大阪見物に出かけました。とちゅう二匹の蛙は、峠の頂上で出会いました。
「京の町はどんなもんか」
「ここから見えるのが京の町じゃ。大阪の町はどんなもんか」
「ここから見えるのが大阪の町じゃ」
 二匹の蛙は、京や大阪の町を見たくなり、手をとりあって二本足で立ちました。ところが、蛙の目は背中についているので、京の蛙は京を、大阪の蛙は大阪を見ることになってしまいました。
「なんじゃ、京の町はわしの町とちっともかわらん」
「なんじゃ、大阪の町はわしの町とちっともかわらん」
 二匹の蛙はがっかりして、もと来た道を引き返していきました。>(日本民話の会編『日本の民話事典』/講談社+α文庫)

 著書の編集者は「“井の中の蛙(かわず)、大海を知らず”ということわざとこの話との関連も興味深いものがあります」といい、これは「旅」が一般庶民の身近かになってからの話としている。イソップの有名な次の話はご存知だろう。

 <自分たちに支配者がいないことを苦にした蛙たちが、ゼウスの所へ使者を送って、王様を授けて下さい、と頼んだ。ゼウスはこの連中の愚かなのを見すかして、池に木ぎれを放りこんでやった。
 蛙たちは、初めこそドブンという水音に驚いて、池の深みに身を隠したが、そのうちに、木ぎれが動かないものだから、水面に上がって来ると、すっかり木ぎれを馬鹿にして、とび乗って座り込む始末。
 こんな王しか持てぬのは心外だと、蛙たちは再びゼウスを訪ね、支配者を取り替えてほしいと願った。最初のは余りにも愚図だというのだ。すると、ゼウスが大いに腹を立てて、水蛇を遣(つか)わしたので、蛙たちは捕(つか)まって食われていった。
 支配者にするには、事を好むならず者より、愚図でも悪事を働かぬ者がましだ、とこの話は説き明かしている。>

 
 蛙を主題にした童謡も多いが、ここには二つだけ挙げておこう。

 
 『おたまじゃくしは蛙に子』   永田哲夫:作詞・アメリカ民謡

 おたまじゃくしは 蛙の子
 なまずのまごでは ないわいな
   それがなにより 証拠には
   やがて手が出る 足が出る


 『蛙の笛』   斎藤信夫:作詞   海沼 実:作曲

 月夜の 田圃(たんぼ)で コロロコロロ
  コロロコロコロ 鳴る笛は
   あれはね あれはね
   あれは蛙の 銀の笛
      ささ 銀の笛

 あの笛きいてりゃ コロロコロロ
  コロロコロコロ 眠くなる
   あれはね あれはね
   あれは蛙の 子守唄
      ささ 子守唄

 蛙が笛吹きゃ コロロコロロ
  コロロコロコロ 夜が更(ふ)ける
   ごらんよ ごらんよ
   ごらん お月さまも 夢みてる
      ささ 夢みてる

 (次をクリックして選曲すると曲で歌えます)

 『童謡』:http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/00_songs.html


 いつも「癒やし」を頂戴している次の『池さん』のブログをご覧ください。モリアオガエルの産卵の様子が見事に捕らえられています。

 『芦生原生林の博物誌』:http://forestwalk.exblog.jp/d2009-06-16


 およそ半世紀前、彦根の琵琶湖畔(国民宿舎だったか?)で開催された労働組合青年部の「労働講座」に参加した折、研修の合間に琵琶湖に浮かぶ“竹生島”と国宝の“彦根城”を見学した。彦根城は小ぶりな城だが、風格があって名庭園でも知られている。この庭園を廻って池にさしかかると、通路に足の踏み場もないほど小さな蛙がウジャウジャいるではないか。池には蛙の子「おたまじゃくし」がウヨウヨ。さらに池の上の小枝(モミジか?)には「池さん」の写真そっくりの光景が見られた。あれがモリアオガエルだったのだろうか。


 食用蛙(ウシガエル?)は中国・上海でも食べたが、かつてここ佐世保にも、通称「海軍橋」のたもとに専門店があって、よく食べに行った。肉は鶏のささ身のようにさっぱりした味で、主にフライにしていただく。沼などに棲む食用蛙は牛のように「グァオ グァオ」とうるさく鳴くが、最近では遠くまで響くこの独特な鳴き声を聞かない。種類を問わず全体に蛙は減っているらしい。
 
 例年、梅雨時になると植木鉢にアマガエルが数匹姿を見せる。保護色だから、水遣りなどで体をふるわせ、ヤヤッ、こんなところにいたのかと気付くことになる。今年はとっくに“梅雨入り”したというのに雨が来ず、アマガエルとの対面もまだである。


 小林一茶の「痩蛙まけるな一茶是に有」はあまりにも有名だが、これには「むさしの国竹の塚といふに蛙たゝかひありけるに見にまかる四月廿日也けり」と前書がある。「竹ノ塚」は東京・足立区にあり、東武伊勢崎線の北千住から五つ目の駅。小菅刑務所に程近いと言ったほうがわかりやすいか。荒川、中川に挟まれた土地で、さぞや昔は蛙も多かったことだろう。一茶には蛙の句が多いが、いかにもという句を三句選んだ。句から蛙が目の前に現れてくる。

  つくねんと愚を守る也引がへる

  云ぶんのあるつらつきや引がえる

  天文を考え顔の蛙哉