耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

国家の“うそ”~政府・役人は「魚の釜中に遊ぶが如し」

2009-06-05 09:01:59 | Weblog
 “嘘は泥棒のはじまり”という。この国の役所には“泥棒”が横行しているらしい。

 去る6月2日、参議院外交防衛委員会で共産党の井上哲士(さとし)議員が、核兵器を積んだ米軍軍艦・航空機の日本立ち寄りを黙認してきた「核密約」を4人の元外務次官が認めたとする共同通信の報道について、「半世紀にわたって国会も国民も世界も欺いてきた重大な問題だ。国会に真相を明らかにせよ」と、歴代次官が保管してきたとされる秘密文書の提出を要求した。

 これに対し、中曽根外相も外務省の鶴岡公二国際法局長も「密約は存在しない」と従来の政府の立場を繰り返した。井上議員はまた、元次官が密約に関する文書が存在すると証言しているとして「日本共産党が2000年の国会で米政府が公開した密約文書を示し、同じものが外務省にあるはずと追求したことを裏付けるもの。調査し、国会に提出すべきだ」と要求したが、中曽根外相は「調査することは考えていない」と拒否した、という。政府・役人はまるで『後漢書』でいう<魚の釜中に遊ぶが如し>(魚が煮られるのも知らず、釜の中で泳いでいるように、災難が迫っているのも知らずにのんきにかまえていることのたとえ)である。

 
 本ブログ2008年12月23日の記事(『“佐藤栄作”の「ノーベル平和賞」~“遠きは花の香近きは糞の香”』:http://blog.goo.ne.jp/inemotoyama/d/20081223)でもふれたが、公開された米外交文書で明らかにされたことを政府はいつまで隠し続け、“うそ”を言い張るのだろう。『東京新聞』コラム「筆洗」は、キケロの「うそつきは真実を語りても信じられず」という言葉を引いて、外務省当局をきびしく批判している。

 <不快や不満の意思表示をするとき、世間には理屈を必要としない都合のいい言葉がある。「私は聞いていない」である。トップが強い口調で使えば使うほど、部下の顔色は変わる▼一昨日の朝刊一面を読み、歴代の首相や外相で一人くらいは「私は聞いていない」と、怒りだしたのだろうか。外務省の中枢官僚が核持ち込みに関する日米の「密約」を独断で管理し、選別した首相と外相だけに報告していたと、四人の事務次官経験者が証言した▼証言要旨を読むと「形式論」としては全員に報告すべき事項だが「大きな問題」なので、自分たちが主導したという。重大性を分かっていてトップに知らせないのだから、世間的にはそれこそ大問題だ▼聞いていたか否かにかかわらず、歴代首相らは結果として、国民にうそをついてきたことになる。民主主義国家においては、何よりも大きな罪である▼それでも現職の事務次官は「そういう密約は存在しない。私自身、それ以外一切承知していない」と、先輩たちの証言を否定した。米側で開示された公文書では既に「密約」の中身が明らかになっており、もはやうそを重ねているとしか思えない▼いまこそ真相を自ら明らかにしていく時期だろう。ローマの雄弁家キケロの言葉に<うそつきは真実を語りても信じられず>とある。政府にとっては本来、何よりも怖いことである。>


 『漢書』に<腐木は柱と為す可からず卑人は主と為す可からず>(腐った木が柱にはならないように、いつ災いを招くかわからないから、品性の卑しい人を主人としてはならない)と言っている。選んだ覚えのない“卑人”(品性下劣な人物)を主人とする国民は憐れというしかあるまい。