耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

明治の「コレラ一揆」と“豚インフル”騒動~「お上」の頭は同じ

2009-06-23 11:35:18 | Weblog
 『厚生労働省崩壊』(講談社)をこの3月に出版した厚労省の現役医系技官・木村盛世さんの「オフィシャルサイト」6月12日の記事。

 <WHOがフェーズを5から6にあげました。つまり世界中に新型インフルエンザが蔓延している(パンデミー)の状態です。
 これをうけて我が国の政府はどう動くのでしょうか。

 おそらく霞ヶ関は頭を抱えていることでしょう。なぜなら間違った行動計画を作成し、検疫偏重を続けたために国内対応がおろそかになり、きちんとした疫学調査など二の次三の次になったからです。
 はたしてどこにどれだけ患者がいるのか定かではありません。このため国内レベルを上げるのかそれとも下げてゆくのか科学的判断ではなく、政治的判断にゆだねられることになるでしょう。

 一番の問題は国内のレベル決めに多くの時間が割かれることです。今早急にしなければならないのは今後毒性が高くなるであろう第2波にむけての国内対応です。そのためには行動計画の抜本的な書き直しと感染症に関わる法改正が必要です。

 国内レベル対応決定は政治家とマスコミ対策にはなりますが、国民にとってはほとんど意味がありません。厚労省がやるべきことは国民の安全を守るという、第一義を優先するのが義務だと思います。>

 すでに本ブログ(5月24日:『現役厚労省技官が告発する「混迷“豚インフルエンザ”対策』)で取り上げたが、厚労省は木村盛世さんの予言どおりの状況に追い込まれている。このごろマスメディアは「豚」の「ぶ」の字も書かないが、頬かむりする厚労省が記者クラブで情報を発信しないのだろう。まったく情けないマスメディア、ジャーナリストだ。


 木村盛世さんの“告発書”には「天然痘テロに日本が襲われる日」と副題がついている。本書未読のため詳しくは知らないが、1980年、WHO(世界保健機構)は天然痘の根絶宣言を出した。「根絶後に予防接種を受けた人はおらず、また予防接種を受けた人でも免疫の持続期間が一般的に5~10年といわれているため、現在では免疫をもっている人はほとんどない。そのため、生物兵器としてテロに流用される場合に大きな被害を出す危険性が指摘されている」(Wikipedia=『天然痘』)ことを言っているらしい。つまり、わが国の防疫体制をはじめとする厚生労働行政のお粗末さを告発しているわけだ。


 天然痘は、どうやら「神代」の昔からあったらしく、天皇初め著名貴族も罹患している。維新後は明治天皇や夏目漱石も天然痘患者だったというから、決して珍しい伝染病ではなかった。今はなくなったが「伝染病予防法」というのがあった。1965年、「衛生管理者」資格試験の時に出題されたこの法律にいう「法定伝染病」は、コレラ、赤痢、痘瘡(天然痘)、ペスト、日本脳炎など11種が指定され、発病者は「隔離病棟」に強制的に収容された。この隔離病棟はかつて「避病院」と呼ばれ、子供のころの記憶ではとても怖れられていた。

 頃は明治の「コレラ一揆」の話である。立川昭二著『明治医事往来』(新潮社)をみてみよう。

 <明治12(1879)年8月8日の『朝野新聞』は、「新潟港の貧民米価暴騰に狂い立ち、大挙米商を襲撃――処々に放火」と大々的に報じている。新潟警察署長が県令に提出した上申書には、暴動の原因として、
  第一条 米価沸騰
  第二条 虎列刺(コレラ)予防に罹る魚類販売禁止
  第三条 虎列刺患者を避病院へ送る事
 と記されている。米価高騰に不満を抱いていた民衆が、コレラ対策を機に暴動化したのである。>

 暴動は各所に発生、凶暴化していく。一人の男が川べりで散薬を服用していたのを見て、毒物を河に投入したと流言し、数十人が集まって分署の巡査に引き渡し、暑気ばらいの服薬と申し立てるのを群集は認めず分署から男を掠奪して撲殺し、血迷った群集は商人数軒と医師二軒を襲い、避病院と検査所を打ちこわしてしまった。応援に駆けつけた本署の警官も襲われ、ついに軍隊が出動、死者13名を出してようやく騒ぎも鎮まった。暴徒は分署に集まって次の要求を突きつける。

一、コレラ患者を避病院に入れず自宅療養とすること
一、コレラ死者の葬儀を自分で行なうこと
一、コレラ予防のため売買禁止になった果物の売買を許すこと
一、魚類も同じ
一、米穀の輸出を差止めること
一、裸体を許すこと

 明治12年新潟県下だけで大小10件のコレラ騒擾事件が発生したという。続いて同書は中見出しに「じゅんさコレラの先走り」として次のように書いている。

 <「コレラ!」ときけば、警官を先頭に吏員・医師が一団となり、お上(かみ)のご威光を笠に、消毒・隔離を強行していった。こうした防疫行政が、たまたま御一新への夢破れた民衆の誤解・反感・憤激をかうのは当然のなりゆきであった。
 サーベルをがちゃつかせる警官が先頭にやってくるとなれば、権力への不信・反感を抱いていた民衆とは対立・抗争は必然的におこった。民衆はコレラそのものよりも、消毒・隔離の名のもとに、有無をいわさず家屋敷のすみずみまで踏みこんでくる警官の方を恐れた。

  いやだいやだよ じゅんさはいやだ
  じゅんさコレラの先走り チョイトチョイト

 明治15年頃にはやったチョイト節の一節である。強制隔離に対する民衆の怨嗟のあらわれといえる。>

 強圧的な防疫対策に食品販売禁止・米価高騰などがからんで、民衆の抵抗運動はついに暴動化し、「コレラ一揆」と呼ばれるまでになった。現代、“豚インフルエンザ”をめぐる「お上」の動きに振り回された自治体や商工業者は、この「コレラ一揆」に悪夢の源流をみる思いがするにちがいない。「お上」(舛添クンは代弁者?)の頭の中身は明治も今も変わらない。(目立つは「民衆の力の衰え」か?)