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歳を取らないと分からないことが人生には沢山あります。若い方にも知っていただきたいことを書いています。

老いの検証 7

2024-02-01 06:26:13 | 日記

今回の老いの検証を書くに当たり、これまでの6回の検証を振り返ってみました。卒寿を迎えた2021年の正月より以前の緩やかな老いの進行に比べて、2024年正月に九十三歳を迎えるまでの3年間の急速な老いの進行を改めて実感させられ、卒寿以前の老化などは、まだまだ、日常生活に大きな影響を及ぼすほど進行していなかったのだと改めて思い知らされました。

2021年の春先のぎっくり腰の強烈なアタックをきっかけに、日常生活が激変しました。2、3日経っても整形外科のクリニックまで歩いて行けず、マンションの車椅子を借りて、家内に押してもらって受診したのが難行苦難の始まりでした。

腰痛自体は長続きしませんでしたが、その後が問題でした。右の下肢全体を錐でももみ込まれるような強い痛みが間断なく襲って来るようになり、この痛みも湯舟につかっている間だけは嘘のように収まるのですが、湯舟から出た途端にまた痛み出します。10年以上前に脊柱管狭窄症の診断を受けていますが、ぎっくり腰は動かなければ痛くないのに、この下肢の痛みはじっとしていても痛いので本当に参りました。

第4腰椎の右側に1週間おきにステロイドの注射を2回してもらいましたが効果はなく、3回目に第4腰椎の右側に加えて、右の第4腰神経の通り道にあたる大腿上部にもステテロイドを打ってもらい、2日くらいは嘘のように痛みがとれましたが、その後も痛みはぶり返します。

特に痛みの原因となるような眼で見て分かる病変が下肢にあるわけではないので、末梢から脳の中枢に至る痛覚の伝達経路のどこかで異常がおきているための痛みなのでしょうが、痛みの強い間は大変でした。

一応起きて生活していたのですが、気がつくと両方の臀部の筋肉が急速に委縮して尾骨が出っ張り、脊柱の両側の背筋も委縮して腰堆が真ん中に突き出ています。寝付いたわけではないのに右のお尻に「ただれ」ができて、皮膚科で褥瘡だと云われました。

極端な右下肢の痛みは3か月ほどでようやく軽くなりましたが、機能の回復は家の中が歩ける程度で、外出のために電動車椅子を購入しました。腰痛や右下肢の痛みが軽くなってからも、臀部や背部の筋肉はまったく恢復してきません。なんの効果も期待したわけではなかったのですが、痛さが減ってから軽い膝の屈伸運動を始めました。1か月くらい経つと、委縮した臀部の筋肉と腰椎の両側の筋肉が少し盛り上がって来たのに気がつきました。

3か月位で筋肉の量としてはだいぶ回復しましたが、力は戻らず、しゃがんだ状態からは何かに手で摑まらないと立ち上がれません。しかし90歳を過ぎてからでも、筋肉が回復することが分かったのは大発見でした。回復の速度は極めて遅いものの、老化と云うのはまったく回復力を失ってしまうのではないようです。

以前から肋間神経痛には時々悩まされていましたが、右下肢が痛みだした頃からは、頭部や顔面、手足など、体中至る所に頻回に皮膚表面の神経痛が起こるようになりました。つきん、つきんと2~3回皮膚表面に痛みが走った段階で、痛む場所を触ってみると知覚過敏になっています。

触れると痛く、即座に痛み止めのスティックを塗ったり、テープを貼ると収まることが多いのですが、収まらない場合は何度も塗ったり、貼ったりになります。この皮膚表面の痛みはロキソニンの服用が効くのですが、出来るだけ飲まないようにしてきました。

何かに摑まらないと床から立ち上がれない状態は1年半以上、今も、続いていますが、昨年の年末にふと気が付くと、手を使わずに床から立ち上っていたのに吃驚しました。もっと前から試みていれば、もっと早く手を使わずに立てていたかも知れないのですが、今でも摑まらないで立ち上がれるのは、しゃがんだ時間が2秒くらいまでです。しかしなんの期待もしないまま続けてきた腰や下半身の運動が、やっと筋肉の回復に効果を現してきたようなのです。

いずれにしても昨年は、一昨年に続いて痛みに翻弄された1年でしたが、身体の痛みが減るのはなんと云っても有難いことです。私にとってはこの痛みは歳を取ってから起こったもので、行動の自由を奪われた点では正に老化現象ですが、老化によって誰しもが必ず痛みを起こすものではないでしょう。

痛みで呆けの進行にまで気が回りませんでしたが、昨年の後半には度忘れの頻度が増加し、口に出したばかりの名前がその直後に出て来ない現象がひどくなりました。昔のヒトやモノの名前がぱっと出てくる頻度は意外に減らず、何十年も前の名前がなぜ突然出てくるのか不思議なこともしばしばで、きっかけさえあれば思い出話は結構出来るのです。

何かをしようとすると手が震える企図振戦は少しづつ強くなってきて、小さい字は書けなくなりました。たどたどしくキーを打つのには困らないので、日頃はパソコン様様です。やむを得ず字を書かされることがあると、パソコンで漢字を選ぶだけに馴れてしまった現在、書いた字が果たして正しく書けているかどうかには自信がなくなりました。

これまで、度々、警戒を要すると述べてきた嚥下反射の機能低下は、心配していたほど急速には進行してこないようです。しかし口の奥の方にある食べ物が、すんなり、食道へ降りて行ってくれない違和感は食事の度に意識します。

耳の聞こえが悪くなったことも初回の老いの検証に書いていますから、これも結構前からのものですが、2020年の一時的な強い難聴以後には強い難聴は起きていません。昼と夜の食事の支度は私が続けていますが、支度の前に腰痛に備えて腰にスティックを塗ってからになります。

電動車椅子は順調に使えていて私は近所への外出ができるようになりましたが、家内の腰が痛んだり下肢が吊ったりで、外を歩ける距離が減って来て遠くで買い物をするのが厳しくなりました。

電動車椅子にも多少の荷物は積めますが、イオンの買い物は家まで届けてくれるので助かります。しかし届けてもらった買い物を、常温、冷蔵、冷凍と仕分けして仕舞いこむのも大仕事です。

家庭内の仕事量の多さと大変さはよく分かっていた積りですが、それでも昨年は二人の体の動くうちは自分たちですることに決めてやってきました。しかし家内も力の要る仕事は無理になり、脚立が必要な高い所の仕事なども危険で出来なくなりました。ちなみに家内は2月の節分で米寿を迎えます。

自分たちだけで頑張る方針は昨年の暮に、遂に、転換せざるを得なくなり、お手伝いさんを頼むことにしました。良い業者さんを紹介してくださった方があって、とりあえず不定期にヘルパーさんを差し向けてもらう契約をしました。

年末には窓ガラスの清掃や、換気扇など高い所の清掃作業を頼みましたが、大変丁寧にしてくれて、一昨年は拭き切れなかったガラス窓の上の方のも綺麗になり、気持ちよく新年を迎えることが出来ました。

我が家は何回か引っ越しを重ねているうちにソファーを置かなくなっていて、リビングにはリクライニング・チェアーを1台置いて来ましたが、私が専用で使ってしまうと家内には、昼間、体を伸ばして休める場所がありません。暮れにリクライニングの可能な事務用椅子をパソコンで見付け、家内のパソコン用の椅子を交換しました。

以前は私が組み立てたものですが、もう、無理で、男性のヘルパーさんに頼みましたが、家内はパソコンに向かっている途中でも、そのまま、リクライニングにして体を伸ばすことが出来るようになって大変喜んでいます。

ヘルパーさんを頼んでみて、家庭内の日常生活レベルを維持するのに必要な能力が、今の自分たちでは大きく下回ってしまったことがよく分かりましたし、若い人の仕事ぶりを見ていて、今の若い人がいかにきちんと仕事をしてくれるのもよく分かりました。

意地になって自分達だけですべてやろうとしなくても、今回のリクライニングのように若い人に組み立てを頼めれば、年寄りでも使うことは出来るのです。体の不自由さとボケの進行は必然ですから、いかにうまく若い人の力を借りていくかが今後の大きな課題です。

人生百二十歳時代だと云う人も現われましたが、老化を体験していない人には簡単そうに思えても、一定の段階まで老化が進むと誰の力も借りずに生きていくことが、事実上、不可能なことが分かってきます。

九十三歳の現在、老化のペースと少しずれているのかなと思うのは、15年ほど前に一旦かなり白くなった髪の毛が、それ以後、逆に黒くなったこと、まだ、全部自分の歯であることです。外見上は歳よりも若く見えるのだそうですが、当人にとっては外見と実態が異なるのは皮肉そのものです。

今日も無事でよかったと云うのが1日の終わりの夫婦の合言葉です。これから先も若い人たちの力を借りて、感謝しながら、1日、1日を積み重ねて行きたいと思っています。

                                 

                                              

    

 

 

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