子供の頃に食べたせんべいは、各地の名産と云った難しいものではなく、丸い「塩せんべい」、角型の「瓦せんべい」、小さ目の「あられ」でしたが、この他に家で焼いて食べる「かきもち」もありました。
子供の頃はまったく知りませんでしたが、塩せんべいは米から作られ、瓦せんべいは小麦粉を原料とします。味も食感もまったく別物なのですが、平べったい形をしているものは、ぜんぶ「せんべい」と呼ぶのです。
「塩せんべい」は、甘みのある「味噌せんべい」や「瓦せんべい」との対比で塩せんべいと呼ばれてはいるものの、実は醤油味で、正に、今の「草加煎餅」です。味噌せんべいは半月状に折りたたんだ味噌の香りのするもの、瓦せんべいはおおきな四角形や六角形で、少しそりの入ったものもありました。
塩せんべいは大きな石油缶入りのものもあり、大勢の兄弟がいても気軽に食べられるおやつでした。お店でガラスの瓶に入れて売っているばらのせんべいは、すぐ湿気るので空缶に入れてとって置いたものです。
うるち米を潰したり搗(つ)いたりして延ばしたものを焼いた「せんべい」は、醤油で味付けをします。「焼きせんべい」のほかに油で揚げた「揚げせんべい」もあります。もち米から作る小さい形のものは「あられ」、あられより大きいものは「おかき」と呼びます。
現在の「草加煎餅」の原型となったのは日光街道の草加宿一帯の農家で、蒸した米を潰して丸め、干したものに塩をまぶして焼き、間食として食べていたものです。草加宿が宿場町として発展したことに伴い、塩味の煎餅が旅人向けの商品として売り出されました。その後、利根川沿いで生産される醤油で味をつけるようになり、江戸に伝えられて全国に広まっていきました。
草加煎餅はうるち米が原料で、硬めでぱりっとした食感が人気ですが、味の決め手は何と云っても醤油の味です。噛みごたえも味の内なのですが、おいしさは醤油の味でまったく変わります。形も色も同じような塩せんべいは全国にたくさんありますが、美味しい醤油の味にありつくのには草加煎餅が一番です。その点揚げせんべいは塩味なので、当たりはずれはありません。
第二次世界大戦後は草加煎餅の名を日本全国の業者が使用したため、商標登録することになりました。草加煎餅(そうかせんべい、草加せんべい)とは、草加煎餅協同組合・草加地区手焼煎餅協同組合の地域団体商標(商標登録5053366号)です。現在でも草加市内には、煎餅の製造所や販売所は60軒以上存在しています。
米以外の小麦粉、卵などを原料にするもの、馬鈴薯などのでん粉を用いるものなど、類似の平べったい外観を持つものも、すべて、煎餅と呼ばれています。小麦粉を原料とするせんべいは主に関西で古くから作られていて、味は甘めのものが多く、そのため「甘味煎餅(あまみせんべい)」とも云います。瓦せんべいが代表です。
弥生時代には既に煎餅に近い物が食べられていたらしく、考古学的には吉野ヶ里遺跡や登呂遺跡の住居跡から、一口大程度に平たく潰して焼いた穀物製の餅が出土しています。
「煎餅」の記述が見られるのは正倉院所蔵の737年頃の文書とされていますが、ここに登場する煎餅は小麦粉を練ったものを油で煎ったもので、今のうるち米やもち米などで作られた煎餅とは違うものでした。
唐の長安に渡った弘法大師空海(774年~835年)は亀の子型のせんべいを食べて大変気に入り、作り方を習って日本に帰国し、煎餅の作り方を教えたと云われます。京都は唐菓子の伝統を受け継いでおり、「唐板」もしくは「唐板煎餅」と云われる小麦粉・卵・砂糖から作られる短冊形の煎餅があります。
「亀の子せんべい」は通常六角形や楕円形をした甘味煎餅ですが、秋田の大浪の亀の子せんべいは真っ黒です。明治の中頃お椀型の素焼きした小麦粉のせんべいに、甘みのある錬った黒胡麻を塗って売り出したものですが、お客さんに亀の形に似ていると云われて、亀の甲羅をかたどった型にしたそうです。
スーパーなどに並ぶせんべいやあられの多くは製造元が新潟です。新潟はおいしいお米がたくさんとれる土地柄ですが、県は米菓産業の技術開発に力を入れて経済面のサポートも行い、新潟県の米菓の出荷額は全国の半数以上を占めています。
おつまみとしてお馴染みの「柿の種」も、新潟県の長岡市が発祥の地です。その評判は全国に広がって、今ではいろんなメーカーが柿の種を作っています。激辛の柿の種もあり、ピーナッツを混ぜた「柿ピー」も広まりました。柿の種という名称は、商標登録されなかったので一般名です。
「八つ橋」は江戸中期の元禄2年(1689年)に、聖護院の森の黒谷(金戒光明寺)参道の茶店で供されたのが始まりとされています。八橋の名の由来は、箏曲の祖の八橋検校を偲び、箏(こと)の形を模したとする説と、伊勢物語第九段「かきつばた」の舞台、「三河国八橋」にちなむとする説があります。
米粉・砂糖・ニッキ(肉桂、シナモン)を混ぜて蒸し、薄く伸ばした生地を焼き上げた堅焼き煎餅の一種で、箏の形を模しており長軸方向が凸になった湾曲した長方形をしています。
明治時代に京都駅で販売されたことをきっかけに人気となりました。ニッキ風味が特徴で、第二次世界大戦後には「生八ツ橋(聖)」が考案され、今ではこちらの方も人気がありますが、「生八ツ橋」は正方形の生地を二つ折りにして餡を包んだもので、焼いたものではなくせんべいに含めるのは無理でしょう。
八つ橋は京都を代表する観光土産で、京都の観光土産として菓子類を購入する人は96%にのぼりますが、そのうち八ツ橋の売上は全体の45.6%(生八ツ橋24.5%、八ツ橋21.1%)を占め、京都を代表する土産物になっています。
「南部煎餅」は青森県南部地方の発祥で、基本は小麦粉と塩だけの素朴な煎餅です。八戸南部氏が藩主だった旧八戸藩地域に伝承された焼成煎餅で、青森県、岩手県全域が主な生産地・消費地で、同地域の名物になっています。
小麦粉を水で練って円形の型に入れて堅く焼いて作り、縁に「みみ」と呼ばれる薄くカリッとした部分があるのが特徴です。「白せんべい」と呼ばれるものの他、通常スーパー等で売っているのはゴマ、ピーナッツの入った2種類です。
その由来には諸説がありますが、大方は「長慶天皇創始説」を取っています。南北朝の頃、南朝の長慶天皇が名久井岳の麓の長谷寺を訪れ、食事に困った時に家臣の赤松助左衛門が近くの農家からそば粉と胡麻を手に入れ、自分の鉄兜を鍋の代わりにして焼き上げたもので、後の南部せんべいの始まりであるとする説です。
天皇は煎餅に赤松氏の家紋「三階松」と楠木正成の家紋「菊水」の印を焼きいれることを許したと云い、現在の南部煎餅にも「三階松」と「菊水」の紋所が刻まれていますが、昭和20年代初頭に八戸煎餅組合によって「南部煎餅」の創始起源が、この説を中心に整理されました。元々は八戸藩で作られた非常食です。明治時代になるとそば粉や大麦に代わって、小麦粉が使われるようになりました。
青森の南部地方と岩手の県北地方の周辺では、南部煎餅を使った醤油仕立ての「せんべい汁」が寒い時期に広く親しまれています。煮くずれしにくい調理用の「おつゆせんべい」を使います。近年、八戸せんべい汁研究所がブランド化を図り、八戸市を中心としてせんべい汁を提供する店が増えています。
海老の風味を持つ「海老せんべい」は全国的に広く存在しますが、海老せんべい一筋150年の「桂新堂」の海老煎餅は、米や小麦粉が主役ではありません。活きたまま工場に届けられた車えびと甘えびを、えびの身を崩さないように一尾一尾丁寧にスライスし、ミソや背わたを取り除いてタレをつけて焼き上げ、乾燥品をでん粉に混ぜて焼いたものです。
焼き加減を決めるのは職人の五感で、加工までの時間、焼きの温度など、すべてを吟味してつくり上げられる「踊り焼き」は、子供たちがおやつに食べるせんべいの類とはまったく別格の、見た目も味も、正に、芸術品です。
「おかき」は、もち米を原料とした餅を小さく切り(欠き)、乾燥させたものを表面がきつね色になるまで炙った米菓で、「欠餅(かきもち)」とも云います。
本来はもち米をそのまま炒ったものを「あられ」、ナマコに似た形に成形された「なまこ餅」を切って干し、焼いたものを「かき餅」とか「おかき」と呼んでいました。現在では小型のかき餅もあられと呼んでいます。焼く代わりに油で揚げたものを「揚げおかき(揚げあられ)」と呼びます。
かき餅は寒餅として大寒の頃に搗かれる事が多く、よもぎ・玄米・黒豆をまぜた物など、さまざまな種類のナマコ餅があります。昔はどこの家にも火鉢があり、灰を掻き分けて炭火を起こして金網を載せればかき餅が焼け、居間に集まって寒い夜を過ごす家族の楽しみの一つでした。
「雛霰(ひなあられ)」は、桃の節句の雛祭りに供えられる節句菓子で、菓子に付けられる白色は雪、緑色は木々の芽、桃色は生命を表しています。もち米を炊くか蒸した後に乾燥させたものや豆を炒ったものに砂糖がけして甘味をつけていて、見た目はきれいですが、私にはあまりおいしいと思って食べた記憶はありません。
お茶漬けの具として、餅をかなり細かく裁断したものが使われています。はじめはお茶漬けの歯ざわりを良くするものでしたが、後に湿気るのを防ぐ役割のあることが判りました。密封の技術が発達した現在でも、香ばしい風味が好まれてお茶漬けの標準的な具として入れられています。
このほか「げんこつ」と呼ばれる4、5センチ角の歯が欠けそうに固いおかき、食べやすい「薄焼きせんべい」、海苔を巻いた「磯部あられ」、ザラメのついた「ザラメせんべい」、生姜味の「生姜せんべい」、ピーナッツだけを甘辛い蜜で丸く固めた厚みのある「ピーナッツ煎餅」があり、せんべいの種類は数え切れません。
食べるものが洋風化し歯ごたえのあるものを好まなくなった今の子供たちに、今後、どのくらいせんべいが好まれるのか、昔のせんべいの味を懐かしむ年寄りとしては気になるところです。ちなみに私はぜんぶ自分の歯です。いまだに「げんこつ」にも挑戦できます。