九十歳を寿ぐ卒寿と云うのがあるそうですが、2021年1月4日に90歳になりました。前回の「老いの検証3」は米寿を迎えた半年後でしたが、米寿と卒寿の間は期間が短く、喜寿と米寿の間のような決定的な老いの差は感じません。ごく僅かづつ老いの進行を意識しながら、毎日を過ごすようになったのがその間の差と云えるでしょうか。
この2年の間のボケ具合を較べると、勘違いの頻度は確実に増加しています。車の運転はやめていますので命に関わる勘違いはなくてすむ筈ですが、1日に1回くらいと思っていた勘違いが5回くらいにはなってきました。
度忘れの頻度は増加の一途です。以前は特定のヒトやモノの名前に限って出てこないことが多かったのですが、口に出したばかりの名前が出なくなることが急速に増えてきました。昔のヒトやモノの名前がぱっと出てくる頻度は減っておらず、なんでこんな何十年も前の名前が突然出てくるのかと思うこともしばしばあります。
記銘力の低下も進行していて、数字は意識して反芻した場合でも何か次のことを考えた途端に忘れてしまいます。忘れて当然のような古い数字が結構間違いなく出てくるのも、昔の名前が出てくるのと同じです。
若い人達は高齢者が日付と曜日の分からないのをボケの指標にするようですが、ボケだけとは云い切れません。名前や生年月日が分からなくなればボケと云ってもいいでしょうが、毎日が日曜日で約束事がないために日付も曜日も生活上まったく必要がないのです。
私は以前から老化によるボケをまだらボケと解釈しています。加齢によるボケは知能全体が同じように低下するのではありません。ボケた部分とボケていない部分の差がかなり画然としていて、全部の知的能力が同じように障害されるのとは、まったく違うのです。ボケていない領域が減り、ボケた領域が徐々に広がる形で進行するのですが、自分自身が歳を取ってみるまでは分かりませんでした。
このところコロナ騒ぎで日常の買い出しに行く以外に社会との直接の接触はなくなり、社会との繋がりはもっぱらインターネットに限られています。昨年暮に長い停電がありましたが停電の間はまったくすることがなくて、マンションの内廊下に出てみても非常灯が点いているだけで誰と会うこともなく、1台の非常用エレベーターだけが使用可能でしたが、社会から隔絶されるとはこう云うことかと思い知りました。
この2年間に限れば身体能力の低下をより強く意識させられています。よろめきやすくなり、ひょっとした地面の凸凹にも足が引っ掛かります。階段を降りる時には必ず手すりに掴まって慎重に降るようにしています。
嚥下反射の機能低下も進んでいます。口の奥にある食べものが、すんなり食道へおりて行ってくれないのを感じるのは、これまで経験したことがない不思議な感覚です。
自分で気をつければ誤嚥は避けられるはずなので、口一杯まではほうばらず、口の中に食べ物がある間は話をしないようにしていますが、呑み込む機能の低下がこんな形で現れ、しかも老人にとってこんなに危険なものだったとは、医師として誤嚥の患者さんも診たことがあるのに理解出来ていませんでした。柔らかい餅による老人の窒息の危険性も、今では実感として分かる気がします。
八十肩の痛みからは解放されました。前回の八十肩は長年続けていた肩の運動を半年ばかり怠けたことで20年ぶりに起きたようなので、朝夕100回づつの両肩の回転運動を今は欠かしていません。
若い時から何度も経験してきた立ち上がれないほどの強い痛みのぎっくり腰は、有難いことに起きていません。その代わり毎朝起きる度に腰が痛くなります。夜中にトイレに起きても痛みはないのに朝になると痛むのです。インターネットで検索してみると毎朝腰が痛む人は結構いるようです。
八十肩の時に整形外科で処方してくれたフェルビナクのスティックを塗ると、歩くのが大変な痛みが嘘のように消えます。明け方トイレに起きた時に腰に塗っておくと、朝起きた時に楽なのが分かり少し利口になりました。毎朝2度ほど塗るとどうやら痛みなしに家の中が歩けるようになります。
このところ1年以上ほとんど毎日悩まされているのは、体中の方々に所かまわず起こる皮膚表面の痛みです。肋間神経痛は以前から時々ありましたが、この1年は躯幹のほか頭部を始め手足のあらゆるところに、ほぼ連日、所かまわずどこかで神経痛が起こるのです。
つきんつきんと2~3回皮膚表面に痛みが走った段階で、痛む場所を触ってみると皮膚が知覚過敏になっているのが分かります。フェルビナクを塗ると収まってくれることが多く、塗るのは早いほどいいようです。収まらない時はサロンパスを貼ります。
通常サロンパスで数時間内に痛みが収まるのですが、それでも駄目な場合はロキソニンを呑みます。ロキソニンは八十肩や腰痛にはまったく効かないのに、この神経痛にはよく効きます。
水疱瘡に罹ると水痘ウイルスが生き残っていて、時に暴れて神経痛を起こすと云われていますが、私も子どもの時に水疱瘡には罹っているので時たま起こる肋間神経痛はそのためだと思っていました。
現在の痛みはあまりにも頻度が高く場所がいろいろで、スティックを素早く塗ると瞬間的に収まることから、皮膚の知覚神経端末と脳の痛みを感ずる中枢のどこかで、何らかの伝達ミスが起こっているのではないかと思ったりしています。
70歳台まで身長は175㎝、体重は77㎏で、現在は172㎝、71㎏です。首が前に出て来ましたが、身体は縮んでいません。髪の毛の量は減りましたが白髪は一頃より減ったままで、歯は全部健在です。傍目には歳より若く見えるようです。
5年ほど前に引っ越しをして以来、室内でのゴルフクラブの素振りが出来なくなり、体全体の筋力がガタ落ちで柔軟性が減りました。このところ長いことしゃがむと立ち上がるのが大変です。
スクワットは若い人には最適な筋力増強手段なのでしょうが私にはきつ過ぎて、現在しゃがんでお尻を僅かに持ち上げて下肢に負荷をかける運動を1日3回繰り返していて、それが効いてきたように思います。この運動なら心臓にも負担がかからず、少ない回数から始めれば誰にでもできますし、慣れると回数が増やせます。
視力は手元の小さい字を見るのがさらに困難になりました。20~30㎝の距離で小さい字を見るために眼鏡を新調し、小さい字も一応読めるようになったのですが、視野が狭いのでつい面倒になって手元に届く文書に目を通さず、結構大事なことを読み落としていたりします。
新聞は購読をやめて15年以上経ちます。テレビは大画面なのでよく見えるのですが、NHKBSのワールドニュースと天気予報を見るくらいです。民放の放映内容のあまりの劣化とCMの酷さに辟易し、NHKが高い料金を取っていながら民放化したのに耐えられないからです。
私は1951年(昭和26年)以来のホークスファンですが、2019年も2020年もテレビで野球を見たのはCSシリーズと日本シリーズだけでした。シーズン中のテレビ放送は見ないのですが、勝敗は気にかかりスポーツナビのダイジェストだけは欠かさず見ています。
「2019日本シリーズ」をブログに書きましたが、これは自分の眼でテレビをしっかり見て書いたものです。ちなみに私は余計なアナウンスや解説をされるのが嫌いで音声を消して見ていますから、他人の受け売りで書いているわけではありません。
コロナのせいもあって社会との繋がりは現状ではパソコンだけと云ってよく、デスクトップの大画面で字を大きくして読んでいます。これまでGHQに阻まれて長きに渡って知ることの出来なかった戦前、戦中、戦後の我が国の歴史に接することが出来、欠落していた歴史の重要な部分を知ることが出来るようになったのは、日本国民にとって良いことだと思っています。
老化による問題は他にもいくつかあって、夜中に口の中がカラカラになって目が覚めるようになりました。家内が日本橋の榮太樓の「十品目のど飴」を買ってきてくれて、しゃぶってから寝ると口の渇きで目が覚めることがなくなりました。これはお勧めです。
これも1年くらい前からですが食事の際に水っ洟が出ます。薬で鼻水を止めなければ外食には行けません。これもインターネットによると結構多い症状のようですが、最近少し良くなってきました。
私の医学部の同級生は半数以上が米寿を迎えましたから日本人男性の平均寿命81歳を大きく上回っていますが、小児科と産婦人科以外のすべての科のお世話になったと云ったクラスメートがいます。中古車を通り越して大古車になった今でも小さい故障は直せるので、結構、またとことこ走ることが出来るようです。
2020年2月にダイヤモンド婚(結婚60周年)を迎えました。これだけ歳を取ると何とか2人で助け合って生きていかなければ、1人で生活していくのはとても厳しいと云うのが夫婦の実感です。
数年前から始めた昼食、夕食作りは今も続けています。料理を私が分担したところで家内の家事量はほとんど減りません。昔通り几帳面に家事をするのを見ていると大分大変そうになりましたが、献立を考えなくてよいのは助かるそうです。その分パソコンに向かって毎日時間が足りないと云っています。
若くても老いても一日は一日、一月は一月、一年は一年ですが、若い時に較べれば何もしないうちに時が経ってしまう感じが強くなりました。もう一度若い時に戻してほしいとはまったく思いませんが、我々夫婦も日常の買い物を持ち帰るのが大変になり、自分たちで品物を購入して、後刻、家まで届けてもらうようにしました。
人生百歳時代と誰もが簡単に云うようになり、確かに元気な百歳は増えましたが、百歳まで元気で生き抜くのはそう簡単なことではなさそうに思えます。若い方たちのお世話になりながらも自分たちで出来ることは自分たちでやり、歳を取らなければ出来ない老いの検証を、これからも続けていければ幸いだと思っています。