「サイボーグ」はCybernetic Organismの略で、生命体(organ)と自動制御系の技術(cybernetic)を融合し、人工臓器を埋め込むなどで身体機能の代替をさせるものを云います。米国の医学者マンフレッド・クラインズとネイザン・S・クラインが1960年に提唱した概念で、日本では石ノ森章太郎の漫画「サイボーグ009」でその名が知られるようになりました。
当初は人類の宇宙進出に結び付けて考え付かれた発想でしたが、現在実用に達しているサイボーグは、ペースメーカー、人工心臓、筋電義手・筋電義足、人工内耳、眼内レンズなどの人工臓器です。
義歯や眼鏡は古くから使われてきましたが、サイボーグには含まれません。最も多く使われている人工臓器は人工腎臓ですが、体外に誘導した血液から老廃物を排除して体内に戻す血液浄化装置で、身体装着型ではないためサイボーグではありません。
取り外し可能な義手や義足、パワードスーツなど、人体の外部に取り付けるサイボーグは体内に埋め込む侵襲型の危険性はありませんが、人工心臓やペースメーカー、眼内レンズ、人工内耳などの体内埋め込み型は埋め込んだ機械に自己修復性がなく、感染のリスクが高い問題があります。
米国ではサイボーグの軍事利用の研究が活発で、兵士の身体能力を大きく強化することや、ブレイン・マシン・インタフェースを導入してパイロットの脳と戦闘機の操縦機能を直結し、操縦の反応性を速めることなどが考えられています。
「サイバニクス」は筑波大学山海嘉之教授の提唱した、脳神経科学、行動科学、ロボット工学、ITなどの研究分野を融合した新しい学術領域で、サイバニクスの研究により「HAL」が誕生しました。
HAL
「HAL」(Hybrid Assistive Limb)は身体機能を改善・補助・拡張・再生する世界初の装着型サイボーグです。人が体を動かそうとする際、運動するぞと云う意思の信号が脳から神経を通じて筋肉に伝えられ、微弱な「生体電位信号」が体表に出ます。
HALは皮膚に貼り付けたセンサーでこの生体電位信号を読み取り、装着者がどのような動作をしたいのかを内蔵コンピューターで解析し、装着者の意思に従う動作をしたり、大きなチカラを出したりするのです。
現在2タイプがあり、HAL 3は脚部のみが稼動しますが、HAL 5は腕、脚、胴体のすべてが稼動します。HAL 5では装着者が本来持っている能力の5倍の重量を持ち挙げることができます。
2014年11月12日「HAL 作業支援用」(腰タイプ)と「HAL 介護支援用」(腰タイプ)がパーソナルケアロボットとして世界で初めて、安全性についての国際規格(ISO13482)の認証を取得しました。
2015年11月25日厚生労働省はサイバーダインの装着型ロボット「HAL医療用」を「HAL医療用下肢タイプ」として、筋萎縮性側索硬化症や筋ジストロフィー、脊髄性筋萎縮症、球脊髄性筋萎縮症など8つの緩徐進行性疾患用の医療機器として国内販売を承認しました。
2016年9月2日このサイボーグには、身体に装着して身体の不自由な人の歩行をアシストしたり、いつもより大きなチカラを出させたり、脳・神経系への運動学習を促す有用性が認められて、我が国で唯一診療報酬点数がつけられています。
HAL腰タイプ自立支援用
HALは重量物を扱う際の体を捻る動きや中腰での腰の負担を軽減し、軽微な歩行アシスト機能もあって、しゃがむのにも邪魔になりません。現在HALを導入した消防本部では腰痛の不安を抱える男性隊員に使用させている他、女性隊員が使うと男性隊員並みに重量物が運べると好評です。
HALを装着した女性消防隊員
近年、義肢のテクノロジーが急速に発展し、上肢切断者を取り巻く環境は大きく好転しました。日本では50年前に研究、開発が開始されましたが普及に至らず、2013年に「労働者災害補償保険」による片側前腕切断者への筋電義手給付が実現して、普及の兆しが見え始めました。
現在、多機能、高性能の筋電義手が利用可能になり、外見の補正だけでなく、上肢切断者のニーズに対してより高い水準で対応しうる時代が来ました。しかし現状での筋電義手は高価で、購入資金援助のコンセンサスが得られてはいません。
筋電義手(上)と能動義手(下)
人間の筋肉は脳の指令によって無意識に動かせますが、その際に筋肉に発生する微弱な電流を筋電(表面筋電位)と云います。筋電義手は発生した微弱な筋電をセンサーで感知し、ハンド(手先具)による「掴む」「離す」などの動作を可能にします。擬似的ではありますが、直感的な動作ができるのが筋電義手の特徴です。
筋電義肢にできる動作
筋電義手は基本的に筋電を動作のスイッチに用いるので、まずは筋電を検出できる筋を探す必要があります。他方、不慮の事故や生まれた時から手や足を持たない人に、実際に手足が存在しているかのように感じる「幻肢」と云う現象があって、痛みを伴ったりもします。
幻肢の痛みは実際に身体に存在しない場所で感じる痛みなので直接的な治療法はありませんが、人によって筋電義手の操作で幻肢の痛みが改善されることがあり、残存する筋から発生した筋電を義手に利用することの意味が理解できます。
物を掴む筋電義肢
人が1本の腕だけではできない作業は、日常、いくらでもあります。多少不器用でも筋電義手が2本目の腕として正常な腕とほぼ変わらない動作をしてくれれば、大抵の手作業はこなせるでしょう。片方の手を失った人にとってこれ以上の喜びはない筈です。
これからの筋電義手の開発の課題は、動きの自由度をどこまで高められるかにありますが、欧米では大人用だけでなく小児用の筋電義手も普及し始めています。筋電義手の開発者はこれまで低コストで自由度の高い筋電義手を作るよう努力してきましたが、現在は150万ほどの高価なもので筋電義手の無料給付は厳しいと云わざるを得ません。
しかし低コスト化ができれば、給付されなくても購入できるかもしれません。近藤玄大さんは自らが開発した筋電義手を、DIYで僅か数万円の製作原価で作成できる仕組みを一般公開しました。
近藤さんが最初に発表した筋電義手「handiii」(ハンディー)は、国内外のハードウェアコンテストで数々の賞に輝き、世界的な複合フェス「SXSW」(サウスバイサウスウェスト)でも大きな注目を集めました。
他の義手と異なり操作用のハーネスが不要で、どの位置でも開閉操作をすることができ、把持力が非常に強いので、重量のあるものや薄いものをしっかり掴む動作が得意です。
近藤玄大さんの筋電義手
驚かされたのは、続く「HACKberry」(ハックベリー)です。3Dプリンタさえあれば誰もがDIYできるように、全世界に向けて設計図を公開したのです。これまで150万円は下らなかった筋電義手を、設計図に従って僅か5万円で製作できるようにした意義は極めて大きいのです。
人工弁、人工血管、ペースメーカー、人工心臓は、心臓領域の代表的体内植え込み型人工臓器ですが、2018年12月「健康寿命の延伸等を図るための脳卒中、心臓病その他の循環器病に係る対策に関する基本法」が成立し、循環器病の医療が大きく前進する可能性が開かれました。
人工心臓の登場は画期的で、心臓の機能が極度に低下した患者さんが心臓移植を待つ間の延命装置として「植え込み型補助人工心臓」が医療保険の対象になりました。2021年には心臓移植を前提としなくても植え込み型補助人工心臓の装着が医療保険の対象となり、幅広い重症心不全患者さんが「人工心臓で生きる時代」が来ました。
我が国の人工心臓開発は国立循環器病研究センターが先導してきていて、40年以上前に独自の開発を始め、1980年代後半に「国循型補助人工心臓」を完成しました。
人工心臓は全身に血液を送るポンプが体外にある「体外設置型」と、体内に植え込まれる「体内植え込み型」に別れますが、国循型補助人工心臓は体外設置型です。開発当時にはまことに画期的で、現在も、緊急用に使用されています。
心臓は筋肉でできたポンプで右心房、右心室、左心房、左心室からなり、全身から右心室へと帰ってきた血液を肺へ送り、肺で酸素を取り込んで左心室へ戻ってきた血液を全身へ送る作業を、休むことなく、一生涯、続けます。
現在、心臓に栄養を送る冠動脈が詰まる心筋梗塞は、発症後3時間以内であれば冠状動脈内にカテーテルを挿入して、狭窄部を拡張したり、狭窄部にコイルを挿入して、心筋が壊死に陥る前に修復することが可能です。
心不全は何らかの原因で心臓の筋肉の力が落ちてしまった状態ですが、心不全を起こす病気は様々で、心臓の弁に障害が起きる心臓弁膜症や、心臓の筋肉が弱くなる拡張型心筋症は、症状が悪化すると心臓移植や人工心臓装着の対象で、根本的な解決策は心臓移植しかありません。
1997年脳死を巡る長い論争の末に我が国で「臓器移植法」が施行され、1999年臓器移植法に基づく我が国初の心臓移植が実施されました。免疫抑制剤の向上で移植臓器の生着率は向上していて、重症心不全に対しては心臓移植が最良の治療法ですが、脳死での心臓提供が極めて少ないのが現状です。
1990年代に米国で開発された「植え込み型補助人工心臓」は、これまで日本でも心臓移植を待つ患者さんに限って装着が許されてきました。植え込み型補助人工心臓はポンプを体内に埋め込み、コードを体外のコントローラーとバッテリーに接続する、より小型で、より安定した機種へ進歩し、95%以上の症例で心臓の左側の機能だけを補助する人工心臓で心臓の機能が保たれます。
植込み型は次第に小型化されて、米国では2000年代から人工心臓を着けて自宅で生活することが可能になりました。実際、欧米では多くの患者さんが長期間人工心臓で生活しています。我が国でも心臓移植を予定していない患者さんへの公的医療保険の適用が決まり、植え込み型補助人工心臓を装着して自宅に帰ることができるようになりました。
一定の制限はあるものの人工心臓で生きることが可能になり、自宅での生活はもちろん、外出や運動もでき、就学、就職、出産・子育てもできます。心不全の患者さんの生活の質は大きく改善しました。
人工心臓の開発の歴史では、軸流ポンプシステム、遠心ポンプシステムと様々な機種が開発されてきました。1999年ウイーン大学からドベイキー型軸流式補助人工心臓ポンプシステムの臨床応用成功例が報告され、2005年にはシドニーでオーストラリア国産の遠心型ポンプ、人工心臓ヴェントラアシストの臨床応用が成功しましたが、連続流ポンプが出現して一気に世界中に広がります。
小型化に有利な連続流ポンプシステムは、現在、世界各国で幅広く臨床応用され「脈のない」人工心臓として脚光を浴び、容積効率性の観点から注目されています。長期のフォローアップデータで、連続流の植え込み型補助人工心臓がより優れていることが判明し、拍動式補助人工心臓の開発は中止されました。
日本では2005年に国産の臨床が始まり、2010年にサンメディカル社のエバハートシステム、テルモ社のデュラハートシステムの2機種が製造認可されましたが、現在国産の補助人工心臓システムはエバハート1機種になっています。
エバハートのシェーマ
第二次世界大戦から10年経った昭和30年代(1955年~1965年)は、臨床医学がそれまでの診断する医学から、治療する医学に代わった時代でした。この時代に現在行われている外科手術のほとんどが出来るようになり、癌による死亡率が下がりました。
効果があり安定して使える血圧降下剤が普及して、高血圧に伴う脳出血や心筋梗塞の死亡率が下がり、効果の高い抗結核剤の出現で国民病と云われた結核が治る時代となり、平均寿命が一気に延びました。
癌による死亡率の減少は癌を生じた臓器を外科的に切除することによっていて、癌そのものを治しているのではないので、切除しっぱなしに出来ない臓器では臓器移植が唯一の機能回復手段となります。
人工臓器は臓器移植とともに研究開発が始まりましたが、有効な代替え手段となりうる人工臓器が臨床応用できるようになるまでには長い年月を要しました。しかし体内埋め込み型の各種の人工臓器が実用段階に入るに及んで、かつては夢物語に過ぎなかったサイボーグが、現実に、人類の役に立つ時代になったのです。
人はみな誰しも歳を取れば、次第に歩くことも大変になります。歩くだけでなく、すべての動作が大変になるのです。特に家庭内での女性の仕事は立ったまま、中腰、しゃがんだままの仕事が多く、腰タイプのサイボーグに助けてもらえれば、当然、楽になります。
現在の価格では個人が購入するのには高すぎて公的資金援助が必要でしょうが、サイボーグが家庭内の日常動作をアシストしてくれるようになれば、多くの老年者が若い人の手を借りずに、何年間かは老いの辛さを減じて、自分自身で明るく生活できるのではないかと期待されます。