池内 紀 / 光文社(2004/08/18)
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難解ではあるけれど読み始めると妙に面白いカフカをもっと読んでみたい。しかし、いざとなると手を出すのに躊躇して後回しにしがち。これはカフカの入門書として入りやすそうなので読んでみた。

作家の人となりを知ることによって理解を深めるというアプローチもあるわけだけれど、通常はどうでも良いような気もする。ただ、カフカという人はどうも気になる。それにカフカの場合「批判版カフカ全集」や「史的批判版カフカ全集」と大仰な題の全集があったりして、いったいそれは何なのだという興味もある。
前半は伝記小説でもない中途半端さに不満を感じたが10章「日記の付け方」あたりは興味深く作品を読んでみたいという気持ちにさせられた。

カフカの場合日記と習作ノートが入り混じっている。物事をややこしくしているプロートという人物にどうも金儲けの匂いがして怪しからんと思い込んでいましたが決してそうではないようだ。
プロートはカフカのノートの日記の部分だけを抜粋して発表した。身辺の記録と創作を分けて考えた。当然の事でありそのほうがすっきりする。しかし、カフカにとっては小説そのものが日常の記録に等しかったとの解釈。後の手稿全集は全部を載せたので量が倍近くなっている。一切合財を発表した事により前述の解釈にたどり着けたんでしょうか。
またカフカは実に出版という発表スタイルに消極的であり、未完に終わった「城」「審判」その他未発表創作物は全て焼き捨てるよう遺言している。遺言が守られていればカフカは奇妙な小説を書いたというだけのマイナーな存在のままだった。このように極東の阿呆までを出鱈目に面白がらせる世界的作家・カフカは友人プルートの裏切りが無ければ存在しなかった。

しかし、何故出版に消極的で、大作が悉く未完なのだろう。
小説を完了だと認定するのは作家自身であり、「完」の印を押すには勇気と大胆さと潔さと人によってはいい加減さが必要。もしももっとカフカが長生きをしていたとしても完成を見ることは永久に無かったのかもしれない。
完璧主義者だったのか小心者だったのか、まったく妙な人なのであった。
焼き捨てて欲しかった原稿を発表され、世界的に有名となった自分自身と自分の作品を天国から見てどう思っているのだろうと考えを巡らすのも楽しい。
手紙ストーカーぶりや婚約の解消を繰り返し創作のために独身の道を選んだカフカ。
冒頭著者が書いている間違ったカフカのイメージ。
読後多少親近感は覚えてもやっぱりブキミな人だし、そのイメージの方が魅力的。
さて、いつになるか判りませんが少なくとも「流刑地にて」「審判」「失踪者」あたりは読んでみようと思っています。


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